自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

集合意識と自分

2015年09月23日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

ヒットラー意識の片鱗は誰の心にもある       2015/9/23

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ヒットラー意識が自分にもある~?

そんな馬鹿なと思う方もいるに違いない。

もう少し、‘神様’(*1)の言葉を続けたい。

“あなた方の星で起こる出来事は、もう三千年も続いてきたわけだが、

あなた方の‘グループ’、つまり地球という星のすべてのグループの集合意識の反映だ。

ヒットラーという経験が可能になったのも、グループ意識の結果だ。“

つまり、ヒットラー意識の片鱗があるからこそ、ヒットラーが現れたとき、

多くの支持者が彼に権力を持たせていったという。

“ヒットラーは何百万人の人たちが協力し、支援し、積極的に

服従しなければ何もできなかった。

だから、ドイツ人と呼ばれる小グループはホロコーストの大きな

責任をになうべきだ。

しかし、ある意味では人類という大きなグループにも責任がある。

人類は、どんなに冷酷な孤立主義者でも無視できないほど、

惨事が広がるまで、

ドイツ国内の苦しみに無関心で、鈍感だったのだから。”

 

‘神様’の言葉には、ナチスに権力を持たせホロコーストの惨事を

招くまで、ユダヤ人迫害を進めるためには集合意識の存在が否めない

という。

もともと、アウシュヴィッツの強制所などは ユダヤ人に対して

ヒットラーの抱く弱点を矯正させるための収容所として造られたという。

もともとは、ユダヤ人問題を“解決させるための”手段として考えられた

のだった。

ところが、時を経て、ガス室へ彼らをいざない死に至らしめる結果

を招く。

 

神様は言う。

“ヒットラー経験の恐ろしさは 彼が人類に対して罪を犯したという

ことではなく、人類が彼に罪を犯させたということだ。”

 

人は何か失敗があると、自分が不幸になると、環境を他人を責める。

ヒットラーのような独裁者の存在がユダヤ人の迫害を招いたと言う前に

私たち人類がそれを生み出す潜在的な意識を持っていることに、

気づくべきなのかもしれない。

私たちの環境は私たちの心の鏡といわれるのなら、それは家庭と

いう小さな単位から、世界というグローバルな単位にいたるまで

同様の法則が働いているとみえるだろう。

あなたの世界、そして、世界のありようは、そこに住むすべて

の人たちの集合の反映だ。 

周りを見回せば、やるべきことがたくさんあるのがわかるだろう。

もちろん、今の世界で満足していれば、別だが。 

驚いたことに、大抵の人は満足している。だから世界は変わらない。”

 

いまだに内紛や戦争が世界のどこかで起こり、罪もない市民や

女性子供が犠牲になる。

医療に対しても、宗教に対しても、政治に対しても、経済の

仕組みに対しても、何か釈然としないものを感じていても、人々は

自分の小さな意見を言うことは、あえて反撥や反感を招くだけだと

あきらめ、大勢の人たちのあとに、誰かが決めてくれた結論の

もとに‘自分の幸せ’の中に満足し、差しさわりのない生活を

良しとしているものだ。

 

“大抵の人は、適者生存で力はせ意義なり、競争は不可欠、

勝利が最高の善とされている世界で満足している。 

そういうシステムが‘敗者’を生むとしても、自分が敗者で

なければ、それでよいと思っている。”

敗者になれば、社会からはじき出されたり、ホームレスになったり、

非難の的になり、世間から相手にされなくなる。

自分は少なくてもそうはならないし、人並みに幸せな生活で

満足していることが幸せである~と信じる。

大勢の人たちの苦しみ、他者の、敗者の悲しみに想いを

馳せる機会も少ないから、弾圧されている少数派の人たちの

意見に耳を傾ける余裕もない。

こうした普段 何気なく抱いている私たちの意識こそ、

マイナスの集合意識が成長する下地になるのかもしれない。

“集合意識というのは、きわめて強力で注意しないと、

個人の意識をはるかにしのいでしまう。 

だから、地球上の大きな人生経験が調和のとれたもので

あってほしいなら、どこにいても、何をしても、自分自身も

集団意識を創りだそうと努力しなければならない。”

と神は言う。

 

ヒットラーが出現した意義があるのならそれは何か?

“人間性を示すこと”と神は答える。

人間とは?

崇高な意識を持てる反面、どれほど、矮小な偽善者に、

そして、利己的幸せで満足できる可能性を示すための神の

演出した‘リーラ’~ 演劇なのだ。

“歴史を通じて、注目すべき教師たちが現れては、

あなたたちの本当の姿を思い起こさせる目覚しい機会

を提供している。

人間とは何かについて、彼らは息をのむような生々しい

手本を示した。

自覚的な意識があれば、その経験をもとに多くの物は

どこに到達でき、どこに到達するかを教えてきた。“

 

その経験をもとに新たなグループ意識が生まれる。

その集合意識が自分に相応しいか、納得できるか、

それは個々で判断して選ぶ。

私たち一人ひとりの意識、それを、自分で確認して行動

していくこと、それが大切だと、ヒットラーの出現した

背景にはその意義が隠されている。

 

ところで、

私という言葉、世界中の言語にこの言葉だけは無い言葉

はないだろう。

同様、私たちという言葉も必ず、どの言語には存在するだろう。

私が、私の、と言う間は、相手という他人を認め、もし相手が

好ましくなければ離反や分離を生むだろう。

でも、私たち という言葉を使うようになると、そのグループ

に入っている人たちが単位になるから、

分離はよほどのことがなければ起こらないだろう。

そこには理解と愛が基調になっているからだ。

私たちの~と言葉を替えるだけで、次の言葉も少し変わってくる。

考え方も変わってくる。

ほんとうに私たちのために平和で健康的な生活を送るために、

主語を 私 から、 私たちに置き換えて考えて行くだけで、

何かが違ってくるような気がする。

 

*1~ここでいう、

神様とは以下の本の中に

出てくる主体の言葉です。

’神との対話’ 

ニール・ドナルド・ウォルシュ  

吉田利子訳  サンマーク出版

 

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