自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

天国と地獄の存在、ヒットラーの場合

2015年09月17日 | 健全生活のために”死”の常識を反転

ヒットラーは天国へ行った?!

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神との対話(*1)の中のお話しのひとこまをご紹介したい。

“死ぬ”ということを考えて初めて“生きる”ということの意味が

わかると私は常々思っている。

ところで、今、私たちは本当に“生きて”いるのだろうか?

機械のように、何も考えずに、感覚の赴くままに美味しいものを

食べるのを生きがいに 様々な欲求を満たして 寝て起きて、

惰性的に常識的に生きていれば 無難(ぶなん)だと

当たり前のルーティーンで毎日を送る。

 

深く考えたりすることは野暮、まして死についてなんて・・・

たった一度の人生、とにかく、楽しく悔いなく生きなければ、

損じゃない?と、ワイワイガヤガヤの楽しいグループの中で

美味しい店はどこか?なにが一番の流行か?と気にかけ

社会的に安全だというレールの上を、漠然と安穏と生きて

いるのは本当に“生きている”といえるのだろうか?

 

こんなことを考えるのも、特攻隊の人たちの番組や映画が

戦後70年ということで今年は、たびたび、メディアにとりあげ

られたせいかもしれない。

彼らの死に行く前の気持ちを綴った手紙を読み想いを馳せても、

想像ができないほどの範疇であることを知る。

紙切れ一枚で戦争に駆り出され、消耗品のような扱いを受けて

死の片道切符の飛行機へ乗る~その前日、前夜、彼らは

悲痛な面持ちで一睡もできず、しかし、翌日、まるでカラリと

晴れた青空のような笑顔で上官たちに敬礼をして、杯を

酌み交わして足取り軽く飛行機に乗っていく映像が残されていた。

 

死とは? 生の重みを感じるための片方の天秤に乗せられた

重石のようなもの。そんな事に思いを馳せながら次のの言葉

を読んだ。

皆様はどんな感想を持たれるだろうか? 引用する・・・

 

“ヒットラーは天国に行ったのだ・・・

(地獄に行かないのか?という質問に対して)

第一に彼は地極にはいけない。地極というものが無いからだ。 

だから、彼が行けるのは一か所しかない。

そこで、問題が起こる。本当の問題は、ヒットラーの

行動が‘悪’かどうかということだ。 

ところが、私は、宇宙には‘正’も‘悪’も無いと

繰り返していっている。・・・”(引用終わり)

 

正邪は無い。それは

“文化によって、時代によって、宗教によって、

地域によって、・・家庭によって、一人ひとりの

個人によっていくらでも変わる対象にすぎないという。

 

ある時代に大勢の人が‘正しい’と考えたことがたとえば、

魔女だと思った人を火あぶりにするといったことが、

現在は‘間違っている’とされる。”ように。

 

ヒットラーが地獄に行かないもう一つの理由。 

それは、死によってもたらされる魂への恩恵を、

体をもって生きている私たちには理解できないからだという。

神”は説明する。

 

“あなたは、地上の暮らしのほうが、天国での命よりも

良いものだと思っているのかね?

いいかね、死の瞬間にあなたは、かつて味わった最大

の自由、最大の平安、最大の喜び、最大の愛を知るだろう。”

 

この言葉がピンとこない方も大勢いるに違いない。

以前ブログで 生と死 のジャンルの中で、臨死体験を

した人たちの多くの言葉を取り上げた。 

臨死体験車の皆が一応に 言う決まっているフレーズが

あったが、その中にも上記の神様の言葉に相応する内容があった。

死ぬまで気がつかなかったが、死んでみて、愛のような

あたたかいものに取り巻かれている気持ちになる~と表現した

自殺者の魂(‘生きがいの創造’の中の事例)もあった。

 

ところで、ヒットラーが何百万人ものユダヤ人たちの命を 

狂気のような独裁政治下で奪ったという事実は誰もが

知っている。

それは決して許されるべきものではないことも

西ドイツ政府は、国民たちに学校授業を通して教育し、

当時の収容所に関する様々な歴史的建物などを保存して、

自ら戒めていることを世界に表明している。

しかし、当時は、ヒットラー自身を総裁として熱烈

な支持をしたのは国民であり、誰ひとり、そうした

ユダヤ人への迫害事実に抗議をしたドイツ国民は当時

いなかったに違いない。

つまり、ヒットラーの行為を責める前に、そうした

集団意識、”ハインリッヒ・ヒットラー!”と

ヒットラーに忠節を尽くす意思表示、右腕を前に突出し、

ヒットラーを称えた群集心理こそ、実際問題にされる

ところだったに違いない。

 

平和・・・今私たちが聲を挙げるべきことはないのか・・・?

何か、今、できることはないのか?

あきらめと人任せをする前に、何か・・・? 

いずれにしても、ヒットラーの魂は天国 (地獄は無いとしたら) 

に行って、愛の光に満たされているのだろうか・・?

 

ここでいえることは、生命は身体が消えても、

なお、魂として個性をもって生き通しであるということを、

神はメッセージで伝えている。信じるかどうかは

あなたの自由意思ではあるが・・・続きは次回に譲りたい。

 

 

*1~ここでいう

、神様とは以下の本の中に出てくる主体の言葉です。

’神との対話’ 

ニール・ドナルド・ウォルシュ 

吉田利子訳  サンマーク出版

 

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