自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

え、病気だったの?身心調和をとるという意味

2016年12月29日 | 協会ホームページ

12月29日の記事の補足

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先ほど投稿した記事の中で”最近身心調和がとれて”

云々で、もしかすると、病気だったと勘違いする方も

いると思い補足させていただきます。 

病気ではなく、むしろ、浄化で、自分の心の塵芥

(ちりあくた)が目につき始め、目くそが鼻くそを笑う 

方程式に わかったように理屈をこねまわしていても

なんの意味もないと、自分の人間性と対峙すること

にしたわけです。

心が心理学的に、神学的に、ヴェーダ的に どんなものか

勉強したところで、たった一つの大切な法則を

私は忘れかけていたのです。

つまり、心 と 言葉 と 行動 が一致していなければ、

砂上の城のような人生に終わるということです。

まだまだですが、少しだけ、それを見つめる機会が

あったことで、今日 久しぶりにブログを開けること

ができました。 

それを身心調和という言葉で表現したということです。 以上

 

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波動・人・ピアノ・エディ婦人

2016年12月29日 | 健康のための心の波動

 

無邪気さ/陽気/生きていること   12月29日 2016年

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久しぶりの投稿です。 

数か月の間 瞑想と妄想の交互の時を過ごしていました。 

感覚的な自分は,臆病でトラウマに捉えられやすく、トラウマは、

潜在意識の奥のほうに横たわっている,醜い巨人の目のようで、

その目が開き始めた気配を感じると、エネルギーが

縮小して,小さな自分になっていくのがわかります。


一方、それにひっかからないよう、宇宙のカプセル

(数年前のブログで詳細に詩をもって説明)に乗るとそのまま

瞑想状態になり、トラウマもブラックマジックも、

五感感覚で振り回され、いつかは、塵に化す肉体的の自分

(mortal being)も,漆黒の闇のような煙の中に見えなくなります。

ブログを休んでいる間に、こうして、妄想と瞑想の

切り替えが少しうまくなりました。

 

波動~最近、少し身心調和をとることができて、

ブログの原稿を投稿するエネルギーが出てきました。

それは たった一つの実感、つまり、このブログを

読んでくださるあなたは私で、私はあなたで、あなたの

考えていることを反映してブログの内容が自然と

浮かんでくるということ。 

簡単に言えば、あなたも私も 繋がっているいるということ。 

さらに言えば、一人で生きているようで、

このエネルギーは波動の同調する人達の間に拡散しながら、

旋回し、延びたり、幾重にも別れたり、上や下、右左に

上る、線香の煙のように、一筋のそれが、隣にただよう

一筋のそれに合体するような、生きているもののように

感じられたからです。

ここで活字になって、それは読む人に言霊的エネルギー

として広がるだけでなく、たぶん、宇宙の向こうにも届いて

いる~のだから 信念の波動をだすことは無意味のこと

ではない~

自分の真理はある人たちにとっても真理で 真理が

広がれば、また、違う形であらわされた真理と出会い、

そうやりこうやり、少しずつ 何かが変化して そして 

具象化していくのですから。

 

エネルギーは具象化するということ。 

必ず、絶対、時間はかかるかもしれないけれど、エネルギーは

具象化するという信念ができました。 


エネルギ^= 波動 = 生命 = 意識の想い 

= 想念 ~ 発信の大切さ・・・

量子論とつなげていけば、細胞の中の一つ一つの電子は

想念のもとに形を変えていくのですから、すべての物質には

原子がある以上,その形もまた、想念というエネルギーによって、

造られているのですね。(*1)

 

人~はその蜘蛛の巣のような 周りからも自分からも発する、

複雑に入り組んだ波動の中に置かれてます。

例えれば、碁盤の上に置かれた、碁石のようなものです。 

碁石といっても、同じ石ではない、碁石と違うところは

微妙に一人ひとり個性があり、役目が異なり、運命も

違うから色合いも大きさも違うものでしょう。

ただ、碁盤という線が入り組んだ、”波動の上”に

おかれているということでは共通の 全体の中の、

”one of them”に過ぎない。 


過ぎないといっても、そのことを知ると、

みんな同じ、同格、同質条件の中で、つながっている

ということがわかって かえって、力強い頼もしさを

感じることができるから不思議です。

 

ピアノ~の調律を一年振りに,専門家にお願いしました。

昨日のことです。 

一つ一つの鍵盤をたたかれながら、ピアノ線の

強弱を確かめられ強めたり弱めたり、ポンポン

と頭をたたかれてよいこよいこされるように、

心地よさそうにしていました。

最後に和音を出して旋律となり、瞬間 ピアノの

嬉しそうな溜息が聞こえ、思わず私はキッチンから

調律の現場に、駆けつけました。 

なんといい音、風呂に入って、凝ったところ

をマッサージされて、やさしく極上のバスタオル

で拭かれてうれしくて 気持ち良い!と、一声を放ったような、

ぴかぴかの心地よい音でしたので。

 

敬愛するエディ婦人は次のように言っています。

”Sound is a mental impression made on mortal belief. 

The ear does not really hear. Divine Science reveals sound

 as communicated through the sense of soul - through spiritual understanding."

 

つたない訳で補足しますと、

”響き(音)は 五感感覚が信じるところの心的印象である。 

耳は実際には聞いていない。神聖なる科学でいえば、

真の音は魂の聴覚を通して伝達されるのだ。

言い換えれば、それはスピリチュアルな理解を通して聞こえる。”

 

真の音とは、魂を揺さぶる感動を与える音のことでしょう。

そういう音楽は五線譜に書かれたものだけではない。

真理の言葉を聞いり、読んだりした時、

心から純粋に喜びを感じているとき、

無心に子供に帰って遊び心を楽しむとき、

愛する人とともにいるとき、腹の底から笑える時、

そんな時に,魂が震えてそれが振動になり波動になり、

空気を震わすとき、魂の音楽が始まっています。 


スピリチュアルな理解とは脳でああだ、こうだと

分析して得られるものではなく、直観と魂で感じるものなのだ、

きっと・・涙とともに、時には。

 

そんな体験を重ねていきたい。 

そういうふうに生きている人たちと,もっともっと出会って

みたい・と思う、今日この頃であります。

ご精読ありがとう。

 

 (*1) :“原子や素粒子そのものは、

固体として形を持っていない。

それらは、物とか事実というより、

潜在性や可能性の世界を形成している”

(~“見えない世界の科学が”医学を変える“ 

長堀 優博士著 星雲社 2013)



 

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