自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

究極のマントラ(2)~谷口雅春師の唱えた言霊

2019年07月24日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

谷口雅春氏の教える、”人間の実相” と、

ガヤトリーマントラ との共通点

*********************************2019・7/25  

前書き)

"祈り"は眼に見えない科学の一つだと考える。

なぜなら、”祈り”はほとんど確実に何らかの影響力を持つ

ものだから。

私が、タイトルでつかっている”究極のマントラ”とは、真言

祈りの言葉など、無数にあるそれらの中で、インドにおいて、

最もパワフルと言われている”ガヤトリーマントラ”をさして

いる。


次回から、少しずつ、詳しく紹介させていただくことにして、

今日は、唯心論説く谷口雅春師と、そのガヤトリーマントラ

の共通点について記事を投稿させていただきたい。


このサンスクリット語で語られるマントラの存在を知って

いる人は少なくないが、その言葉の意味を理解している人は、

多くは無い。

このマントラが、”究極”なそれと呼ばれる所以(ゆえん)は

何か? 


インド古代から伝わるヴェーダ哲学の真意を表した、この

マントラによって、三界の業が浄化され、本来の人間の実相

が現れるとされるからだ。

では、実相とは何か?


今日は、その究極なマントラの内容と、共通する真理を説かれた

谷口雅春師(注;師はガヤトリーマントラご存知なかったと思う)

の言葉をご紹介したい。

 *************************

手元に谷口師の教えた経言(のりごと)(*1)がある。

これはある意味、マントラである。

しかも、究極のマントラに限りなく近い内容だと私は思う。

どこが近いのかといえば、”性善説”の徹底、つまり、善しか

実存しないという、人間の実相像である。

谷口師は”人は神の子である”とシンプルに言い切った。

だから、親神(おやがみ)の資質である、無限の愛と智慧、

無限の供給に 誰もが恵まれていて、当たり前だという。

神の平穏の懐(ふところ)に抱かれて、安寧の中で静かに

歓びに浸っている姿こそ人間の実相であるという。


谷口師は言霊(ことだま)を使って、その実相が顕現すされる

ように、唱えやすく、わかりやすい、力強い経言を残した。


以下にいくつか、ご紹介させていただく。
皆様も、よろしければ、静かに、ご自身の唇をもって、声に

出して読んでいただきたい。

その内容が、言霊となって耳に広がるとき、自分の体と心が

どう反応するか、身をもって体験していただければ幸いだ。 

 

”吾は今、‘善’そのものと融合して一体であることを感じる。

吾はもはや、‘善’そのものと疎隔(そかく)の感じをいだか

ない。

吾は‘①神’の家に住む神の子としての権利を自覚して②悦び

満たされているのである。

吾は③悪夢より目覚めて‘神’の御許(みもと)にいくのである。

今吾は内在する神の生命と愛と智慧とを明らかに知るのである。

吾は我が境遇と運命とが④自己自身の想念の反映にすぎない

ことを悟ったのである。

それゆえに、吾は最もよきものを、最も浄きものを、最も真なる

ものをのみ思うのである。


吾は⑤すべてのもののうちに、我が求むるよきものを見出すこと

できるのである。

吾は今、神の智慧と力とで満ち溢れている。

吾は今、宇宙生命と一体なることを感じて、歓びに満たされて

いるのである。

それゆえに吾が求むる一切は必ず成就するのである。

吾れこのことを感謝し奉る。”

 

次に以下、この経言(のりごと)の中で私が下線を引いた言葉、

①から⑦までの私の個人的見解による解説~

 

①  神’の家に住む神の子( 性善説の極地を説くマントラ)

このフレーズは、聖書の中の言葉を思い起こさせる。

人が、放蕩息子にたとえて、神から離れた姿を例えている。

本当は、人は、父=神 に愛されてその後継者として、すべて

を与えられているのにもかかわらず、その真実認めない

どころか、本当の自分は(親から愛されていないから)神(親)

と離れたところにあると思いこみ、家出をして、さまようのが

聖書の中の放蕩息子であり、現代の、神を忘れた私たちの姿でも
ある。

谷口師の言う、”神の家に住む神の子”とは、本来の私たちの姿

を表現して

いるのだろう。

 ②  悦び

びでもなく、びでもない、ここでつかわれている、びと

いう漢字の意味するものは、法悦’の悦、つまり、本当の真実

(法)を知ることで得られる、

心の安寧、無執着、つまり、法悦(ほうえつ)状態をさす

 

③  悪夢より目覚めて

豊臣秀吉の辞世の句にあるように、生きている間の出来事は

一瞬の、夢幻(ゆめまぼろし)である。

良い夢ばかりでなく、苦労や悲しみを伴う、悪夢を見ている

こともあるだろう。 

その間は不安定で怖い。

まるで、大波に揺られている小舟のように、私たちは周囲の

環境や、価値観に揺さぶられ、感情は上がり下がりしている。


何をしても、なかなか思うようにいかず、あがいたり、アリ

ジゴクに陥るように、抵抗すればするほど、事態が悪くなる。

執着してもしかたがないのに、心が離れられなくなって、

どんどんと、かたくなになっていく。


こうした、現実の苦しみのように見えて、その実、そこには、

実態は、仮想で、実存的(永久に存在する)ではない。

夢から覚めれば、実相がわかる。

だから、これらの苦しみを、悪夢 と呼ぶ。

これらは、”顛倒妄想”の中での体験を意味している。


谷口師は教える。 

私たちの父親が、神であると知れば、言い換えれば、私たち

の本来の実相が、どのようなものなのか合点がいけば、すでに

すべてが一瞬にして変わる。

実相が現れれば、太陽が雨雲を押しやるようにして、明るい光

そのものの、実態(実相)が出現して”悪夢”は自然と、雲散

霧消(うんさんむしょう)して、消えると・・


 ④  自己自身の想念の反映

仏教で説くところの唯心所現(ゆいしんしょげん)を意味する。

私たちの周囲で起きている、人の言動も環境の良しあしも

すべて、元を問えば、私たちの想念、つまり、考え方や物の

観方が創り出したものだ。

つまり、自分の考え方が変われば、周りが変わるということ。

周りが変わるとは、単純に物質的変化だけではない。

目に見えないもの、健康や豊かさ、希望や愛情など精神的に

すべて変化する。 

 

⑤  すべてのもののうちに、

我が求むるよきものを見出す良きもの、善なるものを私たち

無意識に求めるようになっている。

それを現実にもたらすためにも、良いことを想い、考え、想念

清めていくことが大切だろう。

いろいろな方法で。

先人たちはそのために、言霊のパワーを使って、マントラ(祝詞

や経や、真言や言霊)を教え、残してきた。


⑥  歓び

ここでつかわれている歓びという漢字は、前に出てきた法悦

の’悦’とは異なる。

法悦はで味わうもの。

びは心で感じ、身体的なものだろう。


前後の文脈をみると、’宇宙生命と一体なることを感じて

とある。

宇宙生命、これもまた、理解しようとしても言葉では、簡単

には、言い表せない。

自然治癒力セラピーを通して、あるいは、個人個人の修行を

通して、私たちのに無尽に走る神経のように、すべての細胞

有機的に結び付け、自然治癒力を促している、今、この身体に

みなぎる、生命力こそ、その宇宙生命の現れの一つと、すでに

多くの方たちが体験で知っている

別の形で、それを、感じ取り、歓喜で生命の実感を、知っている
方たちは、きっと、多いことだろう。

 

⑦  必ず成就する

自分が欲する祈りは、~人を傷つけようとするものは除いて~、

案外、”自分“だけの祈りだけではないことがある。

気が付かないうちに、宇宙の大生命意識が、自分の心に種を

落とすことがある。

それが、芽生えて、言葉として表現できる、”祈り”になる。 

こういう祈りは、必ず実現する’と先人は教える。

 

さらに、自分自身が常に、大いなる宇宙意識と結びついて

いる自信があれば、どんな祈りも成就するだろう。

だから人は修行するのかもしれない。

修行することで、神や仏、宇宙の意識に限りなく近いところ

自分を置いておきたいのだ。

それは自分のためだけにあらず、自分を含め、他者を、星々を、
宇宙を、清めることができるという、大いなる喜びの為に。

自分が、神や仏に近いところにいるという自覚は、'叶う’という

確信につながり、確信が強い分、実現に必要な要素を、自然と

四方八方から引き寄せる力となるからだ。

よく、’とんとん拍子に物事が運ぶ’、とか、’偶然に偶然が

なって’、’流れるように、物事が進んだ’いう話を聞く。

それは、神や仏の恩寵も勿論だが、その人自身の潜在意識

にためられた、強い信念がものを言っているのだろう。

 

 

 

 * (1)”日々読誦30章経” 光明思想社 平成25年

 

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