自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

自分の真意がわかってもらえないとき・・・

2021年12月16日 | 健康のための心の波動

自分はしょせんダメ。。強迫観念。             2021/12/15

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以前の私は、よく、次のような質問を自分になげかけていたようだ。

その時は、

自分がなんとも無力で、厄介者で、なんのために生きているのか、

ふっと、迷子になったようなときその時は、また、理由なく憂鬱な

気持ちに覆われたとき、その時は、あるいは、友人たちと

和やかな団らん後の、あとに残った洗い物をしながら、

静寂の中に、突然、放り込まれて不安になったとき・・・

特に、ヒトに良かれと思って為したことが、裏目に出ることが

多い気がしていたとき、・・・

 

その質問というのは、

①~自分が良かれとしてきたことを認めてもらっていないから、不機嫌なの?

②~それを理解してもらいたいの?

③~それを誰に認めてもらいたいの?

④~自分の存在意義の不確かさを今感じている?そして、誰かに打ち明けたい?

⑤~そんな風にして、関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?

 

上の質問には、そんなとき、大方、”そう”と答える自分がいた。

次の、問いかけもさらに、自分にしてみた。

 

⑥~他者を理解しようとする前に、他者が自分をどう理解しているか

気になっていない?

⑦~所有物や知識、容貌、地位や肉体的力って、他者との関係で大切?

⑧~物事を個人的解釈や思い込み判断をしていない?

⑨~自分が正しい、相手は間違っていると決めつけてない?

 

上の疑問の中で、いまだに自分に問いかける事項は、⑥の、

”他者を理解しようとする前に、

他者が自分をどう理解しているか気になる” かもしれない。

他人と自分の感性は、もしかすると、月と太陽ほどに、感受性が

異なるかもしれないと、近頃、よくわかってきたつもりだが、

それでも、”自分を理解できないのだから、他人を理解する

なんて無理” と、途中で、その人を理解しようとする心意気が、

だんだんと絞んでいき、結局、成り行き任せにしている自分

がいることに気づく。

その一方で、どこかで自分の信念は、間違っていないはずだと

言い聞かせている。

 

関心を寄せてもらうことで心を落ち着かせようとしている?”

の項目は、認知症になった母の特性でもあったので、人はきっと、

関心を寄せてもらいたいと、本能的に持っていて、そのことは、

その人にとって、ある種の癒しになるのかもしれないとも思う。

 

⑦の質問は、当時、貧富の差があまりにも強い、インド社会で

生活していたからだろう。

身なりや住まい、身だしなみや服装で、大方その人が属している

カースト(社会的身分制度の階層)がわかるようになって

いたから、人皆平等という、当たり前のことが、インド人社会の

中では通用しないことが多々あるという現実を見過ぎていた、

ためだろう。

虚栄と、一言で片づけられない”何か”そこにはあり、でも

その”何か”によって、実際、天と地ほど、異なる対応が社会に

存在することを、当時のインドの政治的中心圏・デリーの

生活で感じる毎日だった。

 

いまだに問い続けている質問がある。

⑧の、思い込みに関すること~だ。

自分の思い込みの強さは、もしかしたら、精神病の一歩手前?

と思うほどの強迫性があり、それは生まれついたものらしく、

10代のころから意識していた。

今でも、辟易することがある。

 

さてさて、こんな質問をここに今日、提示させていただいた

わけが、ある。

これは、スピリチュアル的心理学でいうところの、"自我"の強さ

のテスト質問でもあるからだ。

皆さまの、エゴの強さを計る、質問として見ていただければと思う。

 

しかし、この質問も、だんだん、年を重ねて、その意義を

なくしてきた感がある。

当時は、”自我=エゴ”、”エゴ=なくすべきもの”、”なくしてこそ、

平穏の境地に達するという、単発的な発想(思い込みの一種?)

があったから、これらの質問を、そのエゴの強さの判断基準にしていた。

ところが、今の私には異なる判断基準ができた。

それは、”自我”は決して悪いものではな、むしろ、この

三次元的地球生活を送るためには必須なアイタムであると、

感じるようになったのだ。

そして、この質問を逆手に、活用できないかと考えた。

 

つまり、

①相手が自分にしたことは、たとえ、結果が良くなくても、

相手が自分にとって良かれと思ってしてくれたと、思うこと

②相手を理解しようとする姿勢で接する

③相手を認めることができるよう、長所を探す(それを言葉にする)

④相手が不当に自分を責めて、存在意義を否定していたら、

話を徹底的に聞いてから③に戻す

⑤関心とは人類愛の一歩と思い、無関心にならないよう心掛ける

⑥他者への理解を深めようという姿勢を保って話を聞く

⑦できるだけ、自分の身だしなみや、物質的(知識的)状態を、

良好に保ち、相手に不快感を与えない物質的なもの

(与えられているもの)に感謝して、豊かな心で時間を相手と共有する。

⑧思い込みしていそうなときは、感情的にならずに、状況判断

できるまで待ち、状況判断する

⑨自分の信念は大切にするが、相手の信念をも、尊重する

⑩相手の存在価値を、もう一度、自分でかみしめて心から、

そのことを味わう(相手への心的注目)

 

他人を愛する一歩は、自分を愛すること。

自分を愛するためには、自分の心にストレスを持たせないこと、

ストレスを持たせないためには善意に物事を解釈・認めていくこと、

これが最近の、自分の行動基準判断になっています・・・・

 

 

 

 

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