自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

毒素崩壊、全快までの経緯(3)

2023年03月09日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自然治癒力の限界         2023年3月9日

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3月3日に自然治癒力の号外版を

いれましたので、今日は父の介護

の記録シリーズの最後となります。・・・・

                 

5月21日(金曜日) 

朝6時 排尿(360cc)

午後12時半 もち雑煮ときな粉に

まぶして、2ヶ

午後4時半 排尿(400cc)

午後6時半 夕食、寿司ごはん、

味噌汁(シジミ、豆腐)、

サラダ(筍、ホタテ、きゅうり、大根)

5月22日(土曜日)

深夜1時 排尿(600cc)

午前3時 排尿(600cc)

午前7時半 排尿(350cc)

午前9時半 朝食

午後3時 排尿(400cc) 

無色透明

午後3時半 おやつ そばがき

午後6時半 排尿(400cc)

無色透明

この日をもって、ほとんど、

尿が正常に戻る

 

5月23日(日曜日)

午前4時 排尿(600cc)

午前6時 排尿(700cc)

朝食 8時にとる

午後1時 排尿(400cc)

午後6時 排尿(400cc)

当初は、血尿排出、腎不全の可能性

あるなかの、入院を主治医から

勧告された。が、父の体は三週間を

経て、自然治癒力誘発のセラピーと

自宅療養で、ほぼ、正常に戻った。 

血尿もなく、食欲も出て、体温も

平熱になる。

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記録は以上です。

私は、5月23日の記録をもって、

父に、念のために、最終検査したら

勧めました。

国立機構相模原病院の入院検査

をすることで、ほぼ、完全に回復

したことを証明し、父や母が安心

するのには、これが一番でした。 

入院当日は、父のベッドは、ナース

ステーションの隣に置かれました

それほど、医師が知っていた過去の

父の容態は重篤の割合が高かったと

いうことだと思いました。

しかし、検査を進めていくうちに、

父のベッドは何回か移動。

入院最終日までには ナース

ステーションから一番遠い奥の部屋

に移されていました。

 

”良く、ここまで回復しましたねえ”

と主治医が驚きました

医学では想像できない自然治癒力は、

医学の常識すらも超えてしまう例の

ような気がしました。

2004年、こうして父は元気を

回復したのですが・・・・。

それから三年後、その自然治癒力

に、限界がある・・・という体験

したのです。

2007年の2月でした。

父が再び、具合

が悪く私に施術をしてほしいと

頼んできました。

私の答えは”お父さん、申し訳

ないけど、今回は私、直せない

かもしれない・・・

 

何故こう答えたのか今でも

説明ができません。

ただ、その時、父の、自然治癒力

を誘発できるかといえば、そうで

ないという直観があったのだと

思います。

運命とか、宿命とか、その人の

生命の灯が消えるときは、必ず、

来るのと同じ理屈のような気が

します。何か、逆らえないもの

を感じたのです。

結局、この手紙から数か月後、

自宅で、父は苦しまず、眠るように、

息を引き取りました。

 

犬のクウちゃんも、父も、夫も、

その生体に流れる生命力は同じ

ものです。

つまり、あらゆる生体の持つ

不可思議な治癒力は、自然治癒力

と称されて、それは、”生命力”

という、宇宙の生かす気と力の、

賜物です。

それは、誰にも備わっています。

にもかかわらず、多くの場合は

自分に内在する、この生命力以外

の”何か”に頼るのが常でしょう。

緊急を要する手術や、否めない

例は別として、ほとんどは、生命

の力で、完治するものです。

自分の内在する力に気が付かない

・・・それは地球人類の嵯峨

(さが)かもしれません。

この宇宙では、きっと、薬なしで

プラーナという生命力元素を、

身体に取り入れて、

健康長寿をいつまでも、若々しく

楽しんでいる惑星人がいるはず

です。

話がそれましたが、順気が整って

いる父の身体は、癌と診断された

のに、痛みと自覚は全くありません

でした。

きっと、父のように、穏やかに、

静かに、痛みも苦しみもなく、肉体を

去ることが、”天命を全うする”

理想的な姿なのだと思いました。

 

施術は無意味だったのか?

そうも思いません。

こうして、穏やかにこの世を去る

ための順気が整えられた身体を、

父の生命力と共同作業で、作ること

できたからです。

 

 

 

 

 

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