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いつかだいぶ前になるがNHKのヒストリア~という
番組で、何故、古墳の形が前方後円墳、手前が四角で
後方がマルの形をしているかという解明をしていた。
同志社大学の元教授が 語っていた:
“古墳はツボの形をしていて、中国では不老長寿の
ユートピアの国をツボの上にかたどり、埋葬品と
一緒に埋めたことから、それに由来するのではないか”
日本超古代史、秀真伝(ほつまつたえ) は 古事記や、
日本書紀より古く編纂された~と認める人たちが増え
てきている。
6世紀以後、仏教文化の促進のため、聖徳太子以後、
”秀真伝”は、世から消え、密閉された。
心ある人達によって、それを、後世に伝えるために、
しかるべき処々に、保管されながら、最近、ようやく、
陽の眼をみて、今、多くの研究者たちに、解読読解と
普及が試みられるようになった。
神道関係者には、宗務庁が、”古事記”を正式な古文書
と認めている以上、秀真伝え(ほつまつたえ)の内容は、
公にはされていないのが現状である。
”古事記”と比較すると、”秀真伝”は、単なる神話以上
の、現実的かつ、科学的、史実的表現が見られる。
’現実的’というのは、何に関してかといえば、
日本人の現代にも続いている、独自の日本文化的遺産
のルーツが、精神的にも、歳時記的にも、明確に
記されているところだ。
さて、今日のテーマである、”古墳”と、”秀真伝”の
関係に戻ると、秀真伝には、古墳を通して、日本人
特有の宇宙観が 垣間見られる箇所をみつけた。
14綾に以下の記述がみられる:
”此処に於いて子守神は、御(み)種(たね)紀(ふみ)に
ついての教えを講ずるなり。
「古、天地の未だ分離せざる時、初に一元の気ありて其の
貌(かたち)は円(まどか)にて鶏卵の如きなり。
この気、動きて陰陽に分かれ水に膏(あぶら)の浮く如く、
陽(お)先づ昇りて天となり、陰は後に降りて地(くに)埿(どろ)
を成す。
更に土(はに)・水を分け土(はに)は山(やま)と成り、水は海
と成る。
天の気を空(うつお)と云い、空の動きて風を化(な)し、
風の動きて火(ほ)と化(ば)けるなり。“
・・・・・”空・風・火・土・水の五気が交(まじ)わりて
人と成り“
ここでは、私たちの世界を形造る、5元素が明らかにされる。
空、地、水、風、火 である。
それぞれがどのように誕生したか、上記の記述には書かれて
いる。
そして、その五元素、五気が合わさって、人間ができた。
稲作も大陸文化とされているようだが、イザナギ尊が、
それでは、先の同志社大学の先生が述べていた、東の国に
ある’不老長寿の国’ は、どこだろうか?
そう、”日本”である。
秀真伝えでは、そのことが明記されている。
それは、不老長寿の国と呼ばれていた理由は、富士山に
生えていた、“千代見草”と呼ばれる不老長寿の草が存在
していたからだと記述がある。
さらに、15綾には “支那王~しなきみ~出でて、
千代見草 尋ぬと嘆く”とある。
どういうことかというと、ここでは、蓁の始皇帝が、
不老長寿の仙薬(千代見草)を 東方海上にあると
聞き、探しにきたが、見つけられず落胆したと
いうのだ。
秀真伝研究家である、姑(はは)須田痲紗子に
よると、
“ 和歌山県新宮市と 熊野市に、それにちなむ
(草を探しに来た)徐福の墓があり、現代の中国
の学者たちの間では、蓬莱島は日本だったという
説を裏付ける。” としている。
さらに、蓁時代をさかのぼる、中国の春秋時代にも、
東方海上にあるといわれる、’神仙’に仙薬を求めに
出向いたということが記されている。
つまり、中国の墓からの出土品の、ツボの形の上に、
仙薬を求めにいくモチーフの彫刻から、このツボを、
無くなった魂が永久に生きるための、死者とともに
葬った、不老不死の仙薬を入れるツボであったので
はないかという仮説がある。