自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

スピリチュアリズムで病が癒えるか?(前編)

2023年09月26日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方
 

2023年9月26日

シャーロックホームズの作者、コナンドイルの
スピリチュアリズムが、自然治癒力とどう、関係あるの?
と聞かれました。
はい、あります。
私は、スピリチュアリズムの本質は、人を健康にするものと
確信しているからです。
そしてドイルの意見が、その健康にする、”秘訣”を引き出して
くれるから、こうして、数回にわたり、ご紹介しています。
今日のお話は、”スピリチュアリズムで病が癒えるか?”の伏線
つまり、前編となります。

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“偏見のない心の持ち主ならば、近代スピリチュアリズムが
集めた証拠と霊界通信が、質量ともに、文句のつけようの
ないものであることに納得がいく。” 

コナン・ドイルはそういう。
彼は、様々な交霊会に出席したようだ。
同時に、心霊学会にも所属し、霊的研究に没頭した。
そして、交霊会の意義を次のように著書で(*1)語っている:
 
“大戦(注・第一次世界大戦)によるショックは、われわれ
人類に精神的ないしは、道徳的な真摯さの大切さを意識させ、
勿体ぶった宗教的みせかけの仮面を吐きとる勇気を与え、
壮大な新しい啓示(須田傍線)を理解し、取り入れていかざるを
得なくなるように仕向けるためだったのだ。” 
 
傍線を引いた言葉、”壮大な新しい啓示”こそ、ドイルが考える、
心霊科学をさしていた。

その本来の意義を、人類が認めるためには、かつてないほどの
規模の第一次世界大戦 という大きな代償結果を体験せざる
得なかったと、ドイルはいう。 
 
確かに、当時隆盛を誇った心霊学研究の社会的背景には、
第一次世界大戦前後の腐敗的社会現象(*2)の影響が少なく
なかった。

そうした事態にあって、本気で関与できなかった、“キリスト教
教会の無力化”を見て、ドイルは考えた:
宗教界の陰湿さと良心の麻痺”により 
“組織体としての教会は、もぬけの殻となり、人類にとっての霊的
滋養分など、さらさら持ち合わせず、魂の抜けた儀式典礼の世界
(注3)と化してしまい、人間一般の行為の役にたつものは
何一つ見いだせなくなっていた。” 
 
いつの時代にも共通する現象かもしれない。
どんな宗教でも、信者が増えて組織化すると、生き生きした教え
が影をひそめ、儀式を中心とした儀礼化信仰へと、移行する。
 
そこで、ドイルは、”人間の悪魔的所業”に対して何もできない、
儀礼化したキリスト教に対して、少しばかりの改善を要求した。

その目的は、観点を少し変える”ことで、死んでいたキリスト教
生きたものに甦(よみがえ)らせるためだった。
 
それでは、ドイルの考えた、生きたキリスト教というのは、
何だろう?
 
それは、一般生活を営む人々のエネルギー源を補給して
日常生活の中で、人々に活力を与えることができる宗教
というのがドイルの考えだった。
 
では、”観点を少し変える”というのは、どういうことだろう?

具体的に言えば、“神の子イエスの‘死’ 以上に、人間イエスの‘
生きざま’を伝えることが大切だ”ということだった。

交霊会によって、ドイルが“啓示”と呼ぶ、信用おける霊界通信に
よれば、多くのキリストの実像とその教えの本質”に関しての
メッセージがあったという。
 
おしなべて、そこには、キリスト教成立に不可欠とされている、
原罪とか、贖罪とか、は、本来のキリストが降誕した意義
とは、無関係だという内容が、高級霊から伝えられてきた。
 
一方、教会は、すべからく、”人は罪深い、と教え、
”神の1人子、イエスが人類の罪の贖罪として、磔にかかった
のだから、イエスを信ぜよと言い続けてきた。

そこでは、原罪という生まれながらの罪意識から、人類(信者)
は抜けきることはできず、キリストを通してでなければ、救われ
ないから教会での礼拝の必要性を教えた。
 
一方、ドイルは、霊界通信によりもたらされた”啓示”から、
教会が扱っている、キリストの死”に対する比重はバランスが
とれていない”として、根本的見直しと改善を主張した。 
 
どういうことかといえば、イエスの生涯は わずか、33年間。
そのうち、ユダの裏切りでとらえられ、十字架の磔(はりつけ)
までは一週間。 

新約聖書の中では、宣教を始めてからのイエスの所業や人生は、
ほんの、数年間しかとり上げておらず、それ以前のキリストの
生きざま(磔にかかる以前)を、聖書でとりあげていないことに、
矛盾を感じたドイルだった。

  ”キリストの誕生、この高級霊がこの地上に降誕した本当の目的
は、魂を鼓舞する見本として、人類に垂示することだったと
私は考える。

もしも、人類が、身代わりだの 犠牲だの、堕罪だのといった
空想上の教義や、それにまつわる謎めいた議論にうつつを
抜かすことなく、キリストの人物像そのものを、手本とする
努力を、真剣に続けてきていたのなら、今日の人類の文化と
生きがいのある人生のレベルがずっと高度になっていたこと
であろう。“

磔前のキリストの人生、それは、修行の連続だった。
人として、何を苦しみ、どのように向き合い、絶対なる愛を
説く人となったのかは、とても興味深い。
キリスト教を愛の宗教という人も多い。
コナンドイルは、何よりも、自分の中にこそ、キリストが存在
して(真理の言霊・聖霊として)、それを知ることが
スピリチュアリズムの大きな目的と考えていた。
後半に続きを譲りたい。
 


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*1)”The Vital Message by Arthur Conan Doyle ”(1919)
Psychic Press Limited 23 Great Queen Street, London,
WC 2B 5BB, England
本文(ドイル言葉)引用部分: ”コナン・ドイルの心霊学” 

(2)
18世紀から19世紀にかけて発生した人間の悪魔性を
のぞかせる所業”として、 
①ロシアの貴族たちと政界の退廃性、“双方が行った虐殺の
かずかず、ユダヤ人の虐待”、
② ベルギーでレオポルド2世がアフリカで行った虐殺と虐待、
③ 南米のアマゾン支流、プートゥマイオ川での同様の残虐行為と、
それに便乗して利益を搾取していた英国資本主義者達
④トルコで頻発していた大量虐殺 
 などをあげる。

(注3)魂の抜けた儀式典礼の世界
余談だが、宗教が’古く’なり、実質性が欠けてくるのと比例して、
儀式や典礼を主宰するだけの機関に化していくのは、キリスト教に限らず、
すべての既成宗教にいえるようだ。
古来、キリストはそのように儀式化したユダヤ教に対して、仏陀は、
そのように化したインド古来から続く、バラモン教に対して、新生なる
’生きた霊気’を吹き込むために、この地上に、出現した。 
 
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