古代日本人の、宇宙観の象徴として・・・ 2023年8月24日
前回からの続きです・・・
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さて、前回からのお話、前方後円墳の形をもう一度、
見てみたい。
○の形、これは 秀真文字でいえば、空(うつぼ)を、
□は、地を意味している。
どういうことかといえば、秀真文字は、○・△・□など
の象形に、天地からのエネルギーを表す線をいれて、
四角の象形を意味するものは、’’囲まれている’、つまり、
限界の存在する、土地に関連する言葉に使われ、丸は、
天に関連する言葉に使われる。
例えば、〇に中心点を入れると、”あ” のオンになり、
天地(あわ)の、天 を意味する。
たとえば、国という漢字をみると、外枠が四角に
取り囲まれ、その中に 王 が取り仕切っている。
つまり国とは、王が取り仕切る境界線のある土地を
意味する。
他にも、固定の 固 も四角に覆われている。
宇宙の元素が集まると、塊となり、固くなるという
意味だろう。
さて、話を元に戻して、古墳に、それ以外の、五元素は
どこに表現されているのか?
水・・・その周りに堀がほられ、”水”の存在がある。
火・・・”火”は、その古墳のもともとの色、”赤土” に
象徴され、一緒に埋められた”埴輪”にも、焼き物として、
火の要素をみることができる。
こうしてみると、古墳は、空(丸)と地(四角の形)、
土(赤土)や、水(堀)などで、宇宙構成の五元素
の象徴であることがわかる。
そこに、故人が葬られたということは、古代日本人
の宇宙観を表している古墳で、故人の肉体と魂は、
五つの大きな宇宙を構成する元素に戻るということを
示唆しているのでは? と私は考えた。
6~7世紀、蘇我入鹿が力を持つようになり、朝鮮から
仏教文化を導入してから、この本来の日本人の墓観念は
変化して、7世紀以降は古墳が造られることはなかった。
それはちょうど、日本古来の超古代史 ホツマツタエが
世の中から、隠蔽され、古事記が編纂されていった時代
に即応する。
現在でも、5千基ほどの、3世紀から6世紀にかけて造られた
とされる古墳が日本全国 北は青森、岩手、南は鹿児島
まで残っている。
高崎市にある、保渡田(ほどた)八幡塚古墳は 5世紀に
造られ、火山噴火で埋まっていたおかげで、ほとんど当時
のままで残されている。
埴輪などの付属品も当時の色合いや原型をとどめ、多く
出土された。
琴を弾く王や、力士なども認識できて面白い。
福岡県の王塚古墳は 6世紀のもので、レプリカが用意され
古墳内部も見ることができる。
赤黒緑の三角形の模様が多く壁に描かれ、遺体が横たわった
であろう石段の上には一杯の星が描かれている。
興味深いのは、奈良県の巣山古墳では2006年に古墳の脇土下
から 長さ8mの木造の船が出土されたことだ。
以前、エジプトピラミッドで見た、パピルスに絵に描かれて
いた、船とよく似た船であった。
エジプト古代王と船、日本の古代史の君と船、これも、古代人
の死に対する発想に共通点があったのだろうか。