自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

臨死体験を科学的に考察

2019年04月24日 | 健康のための心の波動

臨死体験は妄想か?薬の副作用か?  2019・4月24日

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冬をこした アマリリスが今満開です。

 

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ここでまた脱線する。 

というのも、先々回まで、何回かに分けて、アニータの臨死体験を取り上げていた。 

その延長戦上から、同じく死の瀬戸際を体験して、医療に対する観方が変化した

内田久子医師をご紹介した。

内田医師は、自分の臨死体験を経て、医師としての使命を“生命医療”に置いていくと

いう指針を自覚したのだった。

 

ここで、読者の中で、‘それでも臨死体験は胡散臭い’と感じていらっしゃる方がいることは

否めないように思った。

そこで、今回は、そうした方たちの思いを代弁しているような説を取り上げながら、

臨死体験について再度触れて’臨死体験のお話’の締めくくりにしたいと思う。

 

臨死体験を語る人たちの言葉に素直に耳を傾けるとしたら、超自然的事象として

受け入れているということになるだろう

一方、科学的解釈を試みようとすると、死後の世界に行くという体験に対し、

いくつかのアプローチがあるだろう。

例えば、①  薬学的解釈、②生理学的解釈、③神経学的解釈、④心理学的解釈などだ。

 

一つずつ、順を追ってみてみよう。

①  薬学的解釈

この解釈は、“危篤状態に陥った際、患者に投与された治療薬の作用”で臨死体験を

したとするものだ。

ある種の薬物は確かに幻覚や妄想を生みやすい反応をおこすことは知られている。

例えば、ケタミン(シクロヘキサノン)は麻酔剤に含まれ、静脈注射で人体に挿入される。

効果は痛みを感じなくなる、ということ以外に環境に反応がなくなるということもあり、

“分離性の麻酔剤”の一種だ。

環境に反応がなくなるとはどういうことは具体的にいえば、これを打たれた患者は

自分の手足、物理的身体感覚からの分離を感じるということだ。

そして、麻酔から覚めてもしばらくの間、幻覚や鮮明な夢を見て明確に覚えているために

心理的動揺をもたらすことが多々あるという。

 

実際、臨死体験した人たちの共通した認識の一つには “自分の体を分離した自分” 

を覚えたということがあり、それ‘薬の影響’と考えることも当然だろう。

先にご紹介したムーア医学博士(*1)はこうした薬の影響で臨死体験にかなり近い

経験を語った患者を体験を例にとってる(*2):

 

“あれは10代の後半だった。歯を充填してもらうときに麻酔剤として

亜鉛華窒素をかがされた・・・

麻酔が効き始めると、自分が輪を描いているような感じに襲われた。

自分が回っているのではなくて治療用の椅子がぐるぐる回り始め次第に上に

登っていくような感じがした。

 

すべてのものがそこでは輝いていた。

上り詰めた時、私を天国に連れていくために、天使たちが下りてきた。・・

ある時点で、看護師と医師が誰か別の人のことを話しているのを聞いた、・・・

がすぐに何を言っていたのか思い出せくなった、・・・あの時は自分は天国

に行くのだと信じて疑わなかった。・・すべてがとても素晴らしく、あのガス

せいで完全に不安から解放された。“(以上)

 

この麻酔薬を投与された患者の体験談は、臨死体験者の体験と共通している。

たとえば、“上に登っていく感覚” “輝いている場所” “天国に行くという感覚” 

“完全に不安から解放された”という言葉は臨死体験者のそれと類似している。

が、博士がインタヴィーして集めた臨死体験者の共通点と決定的に異なる点

して次を挙げている。

この体験がその後 この女性に影響を及ぼしたことはなく、この女性は現在、

物理的肉体が滅んだのちは魂の生存に疑いを持っている”

そのことが、臨死体験者との相違だという。

 

さらに、医師と看護師の話が聞こえたが、“覚えていない”こと、つまり、

体験の内容が全体的に漠然としていることも、肉体を離れた臨死体験者の共通点

とは異なるという。

ムーア博士は多くの臨死体験者の話から、彼らが必ずしも、麻酔薬や妄想に陥り

やすい薬などを投与されることなく、こうした体験を得たということを強調する。

 

ムーア博士の言葉を引用する。

“死後の世界の体験に対する薬学的解釈を否定する要素、最も重要なことは、

多くの場合に体験者は体験以前に薬物は全く投与されていないことである。

死後の世界に踏み込んだ後に投与されている事例すらいくつかある。・・・

 

治療薬の投与を、臨死体験以前に受けたことがあるとする人も、その薬物は多岐に

わたっているのだ。

アスピリン、抗生物質、副腎皮質ホルモン、局部麻酔、ガスによる全身麻酔、である。

このような薬物の大部分は中枢神経には効果がないものばかりである”

 

②  生理学的解釈

生理学的見地というのは、“生物の細胞や器官と体に関して、さらにこれらの相互

関係性からみて”ということになる。

臨死体験の場合で言えば、生物学的に死の段階にあるときの、“脳への酸素供給が極めて

少なくなるために起こる現象”ととらえる見方だろう。

ムーア博士が面接した臨死体験者の資料をまとめてみると、必ずしも、すべての

臨死体験者がこうした生理学的要素の条件下に置かれていないことを指摘する。

 

“肉体に全く損傷を受けていない状態でこのような体験をした例がある”として、

生理学的解釈が十分でないとする。

次の解釈の観方、③神経学的解釈、④心理学的解釈に関しても諸説あるようだ。

来週引き続いて、触れさせていただきたい。

 

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(*1)レイモンド・A・ムーディ・Jr. 

バージニア大学及び大学院で哲学専攻。

1969年、哲学博士号取得、3年間のノースカロライナ東部の大学で教壇にたち、

1972年バージニア医科大学で医学博士号を取得。

その間1965年に死後の世界の体験談を聞いて以来、臨死体験現象の研究に没頭する。

 

(*2)評論社の現代選書8.“垣間見た死後の世界” 昭和58年評論社

 

 

 

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