自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

子どもの心と自然治癒力

2015年09月11日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

自然治癒力とペットセラピー     9・11/2015

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自然治癒力をspontaneous healing と訳すが homeostasis と呼んだのは

世界医師会のジュネーブ宣言に則ってつくられた 医師の誓いの中の言葉だと言われている。(*1)

これには、“病を癒すのは自然である。 医なるものは造化の臣である”と記されているそうで、

わたしは包帯をするだけだ。神が治し給う”と英国の有名な外科医の言葉と呼応するらしい。

 自然治癒力を ここでは ホメオスターシスと呼び、この言葉に代表される自然治癒力は

ホルモンと神経の働きが大である。

 

三という数字は意味深い。

心療内科を設立した池見酉次郎博士は人間の心を三つに分けて、

自然治癒力の関連性を考える。

子供の心、大人の心、親の心 の三つだ。

穢れの無い純真な心を‘赤子の心’によく喩えられるが、ここでは、

‘知性の発達途上にある、脳幹と古い皮質で営まれる心、ありのままの自然体の心’

定義している。

自然治癒力と”子供の心”がとても関連しているという。

子供の心 は 年を経ても、誰もがもつ心の一要素である。

”大人の心”は 知性を持った人間が記憶判断力を活用して、精神的活動をする際に

重要な役割を持つ心だ。

池見博士は、”主体的で進歩的、創造的な自己実現への知恵”を”大人の心”と定義している。

大人の心が主体となって、創造的に、自己実現する上にその目的、動機が必要になる。

理想 や ’公共性のある自他ともに生かしあう自分’を求める部分と、

金銭や物欲、それによって得られる権力などへの欲求も ”大人の心”に含まれる。

常に他者との比較があるから競争が生まれ、競争意識には、”劣等感、嫉妬心”や差別意識

なども生まれるだろう。

 

池見博士は ”子供は4歳を過ぎるとねたみの心を起こすようになり、6.7歳になると、くやしい

という言葉を口にするようになるといわれる”と書いている。(*1と同著)

最後の”親の心”とは、文字通り、無償の愛を持てる心でもあり、思いやりの心に通じる。

この三つの心の中で、自然治癒力に関連しているのは どの心なのだろう?

 

自然治癒力を 博士がホメオスターシスと呼んだのは、その言葉の持つ、

恒常性 という意味あいが、もっとも自然治癒力を言い当てていると考えたからだろう。

自然治癒力は、人間の体を外部の影響に左右されず恒常的に保とうとする。

たとえば、体温調節:36~37度に保つよう、夏には皮膚の血管が拡張し、

発汗することで体温を発散させ、冬には、皮膚の血管が収縮して体温の発散を防ぐ。

自然治癒力をたもつために、先に述べたように、自律神経系やホルモン系が働いている。

さらに、心や感情は、視床下部や古い皮質に呼応して、刺激されたり、コントロールされたり

しているから、心の状態が自律神経やホルモンを支配しているとされる

脳の部分に影響を与える。

自然治癒力が 発揮されるためには、心の安定、トラウマやストレスに影響されないよう、

意識をリフレッシュさせ、怒りや恐れなどを抱かないリラックスした状態が一番だ。

リラックスした心の状態、自然の状態、つまり、池見博士は ”子供の心”の状況が

一番 自然治癒力の発揮に効果的だという。

 

”子どもの心” でリラックスできる環境づくりとはいったい何なのだろう?

子供の心にとって、こうした環境を創りだしてくれるのは母親の暖かなぬくもりだろう。

母乳が推進される理由も母乳に含まれる成分が免疫をつくるという理由もあるだろうが、

母乳が出る母親に抱かれることも大きな要素だと思う。

母乳が出るというのは女性にとっては当たり前のことのようでそうではない。

悩みや不安、神経質になっているとき、母乳は豊かに生産されないのだ。

大らかで心身共に健康的な母親に抱かれるのは、子供の心が安心する、

目に見えない何かが介在するような気がする。

スキンシップは人間にとって、一生重要な意味合いを持つものだが、

子供の心の成長にとってはかけがいのない、愛情の交換手段でもあるだろう。

 

愛情欠乏性による、発育不全というのも医学界では発表されている。

成長ホルモンの分泌を左右するからだ。

よく引き合いに出される事例を皆様もご存じかと思う。

米国のハーロー博士が子ザルを使ってこの成長ホルモンの実験を試みた。

6か月間 檻の中に母親と隔離されていた子ザルは 普通に育った子ザルと一緒にすると、

一緒に遊ぼうという意欲がなくなった。

6か月以上、隔離されていたメスざるは妊娠させて母親となっても、

子ザルを放り投げたりして自分のそばに寄せ付けなくなった。

ストレスが昂じるのか 子ザルに対し暴力をふるって、かみ殺した事例も出た。

罪な話だ、このような実験をしなければ、動物たちを犠牲にしながら、

ふれあいの大切さを研究しなければならないのだから。

愛情と憎しみ、安心と恐怖、これを交互に与えられた動物は人間を含めて、

自分で正しい意思決定を行えなくなるらしい。

それを以前、実際体験した人から聞いたという知り合いの話を又聞きして、

信憑性はわからないが、フィクションとしてもあり得る話だと納得したことがある。

ある秘密結社では、非常に幼い子供を誘拐して部屋に閉じ込め、そこには温かい布団もベッドもなく、

金網のような犬舎の檻のようなところに押し込められる。 

子供は一人ボッチだから、不安と恐怖でいっぱいだ。

お腹がすいたころ、優しくご飯を運び、抱きしめ、安心させ、また、すぐ一人ボッチ。

この状況が数年続くと、子供はその大人の言うことはすべて何でも聞くようになるというのだ。

洗脳の一手段らしいが、恐ろしい。

 

池見博士の自然治癒力の話から脱線してしまったが、お許しいただきたい。

触れ合いと愛情、これが 基本的に”子どもの心”に必要だ。

”ふれあい”と”愛情”、それは、高齢者施設での応対にも 応用されている。

相手の目腺に合うよう体を低くして、体のどこかにボディータッチしながら、

“あなたに会えて本当に嬉しい”と 微笑みと穏やかさをもって、接する。

それが、相手のかたくなになった心も溶かすことは現場で多く実証されている。

心が溶ければ、脳活動が活発化するから、体の各部位の凝りも解け、

生体の持つ自然治癒力も発揮しやすくなって、心身、生き生きする。

 

池見博士は 子供の心を 人間原点の心とも呼ぶ。

愛情に敏感に影響し、自然治癒力を発動しやすい自然体の心、

ある意味野性的な原始的な素直な心ともいえるだろう。

昨今のペットを飼う人が増加、ペットは子供の数より多いといわれるほどだ。

セラピー犬の存在も 社会的にNPOが活動などで、認められるようになったが、

高齢者の方たちが 犬たちとの温かいふれあいを通して、心を和ませ、

健康増進にも役立っていると聞く。 

働いている友人も、留守番させているペットが、仕事から帰ってきて玄関で

飼い主を待ち、あるいは、お出迎え時、嬉しそうに尻尾を振る姿にホットするという。

誰でも”子供の心”という、心の原点に、戻って自分を取り戻したいと思うだろう。

忠実なペットとの触れ合いで、機械的になった人間関係や、気遣いの多い会話の

やり取りから暫し離れた、言葉の必要ない愛情空間に戻りたい。

猫でも鳥でも、犬でも、ペットの一番癒される所は

”無駄な会話をしないで良いこと、質問を一切しないから・・・ただホットさせてくれるから”

と友人は答えた。

 

 

 *1 セルフ・コントロールの御医学 NHKブックス、池見酉次郎、昭和57年

 

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菜食主義とスピリチュアル、心と悩の関係  

2015年09月08日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

ホルモンと神経、自然治癒力 2015・9・8

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交感神経と副交感神経のさわりを先回最後のほうでふれたが

今日は、この神経は感情と密接に関係しているというテーマ。

 

緊張すると、交感神経は反応し、それを弛緩するときに副交感神経が働くが

心臓が早鐘のようにドキドキするという興奮状態は交感神経の働きだ。

興奮するといっても、その感情はさまざまで、おおむね、ナーバスになっているときの神経

状態をここではいう。

そこには、怖い、怒りなどいわゆる負の精神状態(反対がプラス感情で陽気で気にしない、

元気で穏やかな精神状態)がみられる。

そうすると、身体的には、心拍数のみでなく、気管支が拡張し、血液の循環も回り、

赤血球は増加し、血糖値も上昇する。

血糖値があがるのも、肝臓のグリコーゲンが触発、体の興奮状態に見合う

エネルギーを供給しようとする自然な生体の働きだ。

 

ところで、”何故、菜食主義が良いのか?” という質問を思い出した。

こうした心と体の機能の関連性がその答えだった。

ある師はこのように述べた。

“四足の動物、とくに牛あたりになると、トサツ場に着く前にすでに涙を浮かべるほど、

感情が豊かである。

それは死に対する恐怖、悲しみを感じ取るからであり、それは人間と同様、

心拍数や血液に影響を与える。

その時の心の波動は肉や血液などの細胞に必ず負の感情の刻印を押している。

それを私たちが口にするとき、彼らの恐怖心や悲しみを期せずして口にしているのである。

牛豚などの四足の獣肉を食すれば、波動は波動を造るから私たちの 

私たちの身体的波動にも少なからずそうした負の波動を取り込んでしまう“

 

古来、日本では四足の獣の肉は普段食さない習慣があった。

超古代史 秀真伝え(ほつまつたえ)でも、動物タンパク源としては 小魚、たとえば、シラス

のようなものは食するに、さほど問題はないとされ、鶏肉や獣肉は、血が穢れるので

浄化するために、大根などの毒を消す 食材のみを何日間か食すべきである

と詳細に 規定が述べられている。

それもこうした マイナスの想念波動を受けるという理由もあてはまるような気が

する。

 

肉食系男子、という言葉が生まれたほど、肉食の人は 野性的なエネルギッシュの印象を

与えるようだ。

男らしいという意味合いとともに、気質的にも、好戦的だ、獲物をしとめるに必要な

アグレッシブな印象を含んでいる。

肉食を常食とする国の人は、牛などの家畜の死の前の怒りと悲しみと恐怖の感情を

取り入れているので そういう感情波動が 農耕民族の血を受け継いできた国民性

とは 文化面や日常生活のなかで、異なるのかもしれない。

 

自然治癒力的に解釈すれば、こうした対照的な二つの神経はともにその状況に呼応して

体を保持するために、働くのだから、交感神経の過剰な反応を 無理やり抑える必要は

必ずしもないといえそうだ。

たとえば、血圧が高いから血圧を落とす。

これまで何度も例にあげていることだが、血圧は 今、高くなければ正常に身体が

保てないときにたかくなるのだから、むやみに血圧を低く抑えようとする必要はない。

政治家が国会答弁で野党に追い込まれて血圧が上昇する。

吉田茂はマッカーサーとのやり取りの最中は血圧が200以上になるのは

常だったと当時の医師が側近に話したというのを聞いたことがあるが、

国会を解散してからは、140前後の正常値に下がったという。

頭を使う、ツナの上を渡るような政治的駆け引きの集中と緊張には、

当然頭に血を登らせて(血圧を高くして)エネルギーを送り込まなければ、

ならない局面に体が対応したのだろう。

老人になれば血圧が高くなるのは理にかなっていて、体全体の細胞が萎縮していくなか、

血管も細くなったりするため 少々ポンプの馬力をあげないと、頭の芯まで血流がスムーズに

回らないからだ。

これを 脳梗塞を引き起こしやすいという言う理由で血圧を人為的に下げると、頭の大脳皮質の

古い細胞が体のメンテを司っているわけだから、その部分に栄養分がうまくまわらず、

全体的な体のバランスが崩れて行くといえるかもしれない。

意識や創造性なども 頭脳でコントロールしているのなら、血圧の薬を常用すれば

するほど、”ぼけ”も早くなったり、進んだりするかもしれない。

 

怖いのは血圧ではなくて、血管収縮の柔軟性と、血液の質だ。

ドロドロではなくサラサラした血液が、伸び縮みできる柔らかい壁を通っていれば、

そうそう、血圧が上がっても、それがパンと切れることはほぼないと言ってよいだろう。

そのためには、食生活をととのえ、油、肉食を適当にして、体の順気を整えて、

柔らかさを保っていることが一番のメンテナンスだと思う。

整体創始者野口先生は、風邪を上手に引けば、血圧も下がり、脳溢血の割合も

減ると言われているぐらいだから、血圧の数字のみを問題にするのは、

葉っぱなどの、末梢を見て 根っこをみることなく、その木を健全にしようと

しているような気がする。

生命は、生きとし生けるものすべての中を貫いている、エネルギーだから、

全体の有機的つながりを無視して、語ることは片手落ちのような気もする。

 

さて、こうした自律神経でさえ、感情に左右される要素があるのなら、ホルモンはどうだろうか?

キーポイントは脳下垂体だ。

ここで多くのホルモンを分泌して 副腎、甲状腺、性腺を司っている。

この脳下垂体は脳の一部で間脳を挟んで大脳皮質とつながっている。

精神的に言うと、脳下垂体はスピリチュアルな部分に呼応する大切な場所だ。

額の第三の眼と呼ばれる点は、脳下垂体とも呼応しているからだ。

これはまた内容が少し違うポイントになるので後日話題にさせていただきたい。

 

ホルモンは内分泌腺で造られて 血液やリンパ液に分泌されて、体の隅々に

運ばれて化学的な働きを及ぼし、身体を正常に保ってくれる。

脳下垂体が精神的な一番のネックであるしここで 副腎甲状腺、などの司令塔の役目を

しているということを考えると、ホルモンの分泌=精神的な状況ときわめて

深い関わり合いをもっていることも理解される。

 

ホルモンと神経、さらに免疫を考えると、私たちの体が自然治癒力という

不思議な生体の力で守られていることを知る。

人体に腐食した90%の菌体は 皮膚の表面で死に、体内に侵入しても、リンパ球に

よって、体液の働きで解かされて消滅するという。

インターフェロンは利するの活動を抑え、補体は抗原抗体反応を促し、免役グロプリンは

抗体としての働きを持って、体のメンテナンスをする。

これらの成分が体液成分と言われるが、リンパ球と免疫グロブリンはそれ以外に

自己と非自己を見分けて、侵入してきたものを異種要素として消滅させ、自己の細胞でも

不必要なタンパク成分や細胞を消滅させる力を持っているという。

これらの働きの力を一般に免疫力と呼ぶのだが、自律神経、内分泌の系統と合わせて

自然治癒力を維持するための大事な働きとみなされているわけだ。

 

 

 

 

 

 

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ホームに入れることは罪意識がぬぐえない? 

2015年09月02日 | 介護と自然治癒力

母のカルマと私のカルマの間で・・・  2015・9・2

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母がホームに行く背景とその”せざる得なかった理由”を先回のブログでしたためた。

なんだか、言い訳がましいと思いながら。そう、電話で数人の知人に結果報告すると、

”そこまでしたのだから、悔いることはないでしょう。” 

と 私と母を見守っていてくれた友人知人は口をそろえて言ってくれる。

 

一人だけ、”甘いかもしれないけれど…ヤスヨちゃんの対応次第でお母さんの症状は

変わると信じたい、

まだ、可能性があるということは、あなたに、そうする使命もあるのでは?・・・” 

と優しく’無理しないでね’という いたわりの言葉とともに電話口で 

励ましてくれる友人もいた。

彼女の言葉は、私の本音でもあり、ここで母をどんな理由づけにせよ、

ホームに預けるのはその可能性を捨てること、つまり、

”自分と母との’アートマ’レベルでの敗北”、

”自分が関与できるはずの母の実相顕現と幸せの可能性を捨ててしまうのか・・” 

という 罪意識を観ぜざる得ない日が、続いていた。

 

しかし、7月26日 母はとうとうこの家を去った。

家はガランとした空気が漂った。

私はいない母の姿を無意識に四六時中、心で追っていた。

終(つい)に、ホームへ行った見えない姿の母を朝から晩まで、家の中に見出していた。

母がいたときの日常が、私の習慣となって、4時には目が覚める。

晩御飯の支度にかかるころ、5時には母を所定の所に送ってくれるデーケア送迎バスの迎え

に家を出る。 

”楽しかった?今日は何をしたの?”と母とかわす会話、自宅の階段の前に着くと、

”お父さん、なんでこんなに 上りずらい階段作ったんだろう”と 気合をかけて、

階段を上っていく。 

 

この階段の上り下りのおかげで母の足腰は鍛えられたように思う。

上る母の傍らによりそい、補助する方も日々力の入れ方が楽になるのを自覚するほど、

足腰の回復(今年3月、大腿骨骨折後)が早かったのは、この階段があったからだろう。 

よいしょ、よいしょ!’と声を出して一段一段、上る母に

”階段の上り下りのリハビリの御蔭で、回復が早いのね”と言えば、頷く母。

 

三階の門扉を開けると、母のために、咲かせた赤いゼラニウムの花が眼に

まぶしいほど、映る。

鮮やかな赤、きれいだね”と眼を細めていた母。

 

午後5時半、”家が一番ホットする、美味しい夕飯、有難う。美味しいねえと言って 

テラスから入ってくる夕暮れの涼しい風に ”気持ち良い風だねえ”とくつろいでいた母。

午後7時、母は一人で風呂に入りたいと立ち上がり、私は脱衣を手伝っていた。

 

認知症特有のスイッチが入らない母は、かわいらしい人だった。

朝6時半 一緒に、おぼつかないながら、過去帳のご先祖様の名前を確かめながら 

般若心経を読み上げて 神棚にお祓いをするようになった。

昼間は、好きな買い物が待ち遠しく、

今日は晴れているから、ヨーカ堂で食料品 買いに行こ”と何度 車いすで出かけたか・・・

途中で決まって、

あら、私だけ乗っているの悪いから替わってあげる。

ヤスヨ、乗んなさい、車いすに、私が代わって、押してあげるから”

と、言う。

認知症特有の判断力の無さの言葉か、真から思いやりで言っているのか? 

あまり、度も言われると、”押してくれる元気があったら、初めから車いすに乗って

こないで歩いて今度来ようね”と 意地悪な言葉が口に出た。

 

そんな愛らしい母は、夜は人が変わった。

夕飯後 8時ごろからベッドの上でテレビを見ながらウトウトしているうちに 

イビキをかいて爆睡し他かと思うと、ほんの2時間後、10時に目覚める。

それからは母は独裁者となり、独壇場である。 

一睡もしないで 翌朝6時まで、元気なのだ。

元気といっても、魂的には寝ている状況らしいので つじつまの合わないことを

言ったり、感情的になったり、突発的な行動を起こすので、こちらは母から、

目を離せないし、気を抜けない。

 

特に、今年、6月下旬からは 足腰が元気になったのに比例して 

行動半径が増えて、目が離せなくなった。

私は、物理的に、体を夜間休めることができない日々が続くと体に応えてきた。

 

皆様はご存知だろうか?

寝る ということは、ある意味、究極の瞑想方法でもあることを。

寝ることによって、魂は身体から離れられる。 

そして、身体に 若返りのエッセンス (疲れをとり、新陳代謝を高め、新組織

~細胞~を作り出すために)を持って寝覚めとともに、肉体に魂は戻ってくるのだ。

 

肉体を持つ身としては、やむを得ず、霊的資質を エネルギー体で寝ている間に 

身体という波動の荒い物質の中に取り入れることが可能であると思われる。

寝れない ということが、こうした影響を体に及ぼすのかという事実を身を持って

知り得たように思う。

 

その頃、私は気づいていた。

ある事実、それは、本当の母と、本当ではない母の二面”を理解したうえで

”本当の母”は”本当ではない母”に対して 自らも不安と恐れの中に、戸惑いを感じている

とを。

(本人は”本当の母でない母の行為”を 5分後には、忘れているが・・)

私自身、母に対して今まで持ていた ”恐れ” はすでに無くなっていたこと。

母自身が被害者であるのだから。

 

同時に直観的にこんな質問が心に湧く。

本当でない母”に対して私がとことん愛を持って接することに 

どのような意味があるのか?

本当の母でない 母 というのは、母がこれまでの人生で自分自身の行いや

信念によって作ってきた蜃気楼のような感情体だ。

それがカルマによって、できているのだとしたら、母のカルマ(業)として、

母自身が今世で向き合い、自らの何かに気づくことが 母の今世の仕事でもある

のではないか?

その気づきは 生きている間に可能かどうかわからない。

たぶん どんなに遅くても、死後、母が光に連れられて、自分の一生を

ヴィジョンとして見たとき、母が一生の間に行った、一挙手一同、相手に及ぼした 

悦びも悲しみも 不信感からきた相手への暴言も 今度は受けた側となって、 

その感情が再現され、初めて反省の余地を残していることを知るのだろう。 

永遠に生き通しの母の魂はそれを良き学びとしてさらなる向上に向けて

次のステップを踏むのだろう。

 

グループホームで 清潔な部屋と万全の見守り、暖かい食事と24時間、

眼を注いでくれている職員さんがいる。

満ち足りないものがあるとしたら、無償の愛 を体験できないこと、

ということかもしれない。

与えるにしても、受け取るにしても、家族の中にいるときとは異なるだろう。

しかし、もし(仮定ではあるが)、母が、これまで 愛を与え続けてきた人なら、

あるいは、無償の愛に対する信頼を持てることができたら、たぶん、このホームに

入ることはなかっただろう・・・・つまり、母のようなタイプの認知症には

ならなかっただろう~とも感じる。

 

それは、たぶん、不安 が母の人生には 大きく心を閉めていたのだろう。

自分を信じられない、人を信じられない、 という要素が大きなその不安な心を

代表していたような気がする。

不安が募れば、恐怖心になる。この恐怖感に対しては、たとえ、娘でも、(おこがま

しい言いかただが)、この10年間居住地をインドから移し、 心は常に母に

寄り添っていた私でも、どうすることができないものなのかもしれない。

 

母は、”揺らぎの多い感情的で 人を容易に、かつ、不用意に傷つけるエネルギー

をかかえていたようだ。 

私が、幼いときの記憶に照らし合わせても、そういう母の側面があらわに出た、場面は

覚えているので、そうした母の認知症として認定される要因の1つ、’激しい興奮感情’は、

特に、晩年の母特有のものではなかったようだ。

 

いずれにしても、私自身、介護生活の中で、失望したり希望をもったり、

愛と執着、恐怖や怒り、戸惑いとためらい、そしてまた 母への愛情に戻ってくる~

そんなサイクルを 数えきれないほど、堂々巡りのように、繰り返してきた。

 

5月からは 母を中心とする生活圏の枠以外の行動は物理的に無理だったので、

暫くの間、アートマセラピー施術はお断りしていた。

現在 少しずつ、体調も戻り始め、余裕がでてきたのは、”祈り”と、”母への愛の想念”

を送り続ける事、が 必ず、母のより良い将来の希望をつなぐということを体感したからだ。

 

8月2日、母のことを、心配してくださっていた以前のケアマネさんとホームを尋ねた。

変わらない彦田さんでホットしました”とケアマネさん。共に昼食をとり 

美味しい美味しい”と 好きなハンバーグを完食した。

それから、車いすを押して買い物、”楽しかった、もう十分”と言うので、ホームに送ること

にした。

ここ、どこ?” と 出迎えに来た一番親しい ホーム長に 母は尋ねた。

あなた様 どなたか、知りませんが、ここどこですか?

私は実家に帰るとばかり思っていました”

と真顔で聞いている。

 

自分の部屋に案内されて、ここは実家ではない、

どうして、ヤスヨ、私を置いていかないで!”

と 髪の毛を引っ張るような言葉を私の背中に投げかける。

それもたぶん10分もたてば、忘れてしまうのかもしれないと思いながら 

私の心には波風がたつ。

最後に 背中の後ろから 

うそつき!! 実家に帰るからといって外に出たのに、!!”母の声。

そんな約束もした覚えがないが、少し打ちひしがれた気持ちで ホームを後にした。

 

 

 

 

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