③今度はこの人物が持っていた英雄的な徳とその英雄性の度合いに関して宣言がなされます。さらにこの手続きに於いてこの人物は尊者(Venerable)、もしくは天主の召使い(Sevant of God)と呼ばれるのです。それは、これら全ての手続き(①と②)を通過した後に彼らが獲得する最初の称号です。そうしますと私たちには奇跡が必要となります。次の手続き(福者としての宣言)に進むに当たり、天主がハイといわなければならないのです。つまり、その通りです、この人は天国にいますよ、という印ないしは奇跡を私たちに与えなければなりません。それと分かる為にも、天主にしか出来ない何か驚くべき事が起らなければならないのです。伝統的列聖では、この手続きで、(この人物に対する取次ぎの祈りなどによる奇跡の)目撃者に応じて、またどのくらい前の目撃者なのかに応じて、二つあるいは三つ、そうでなければ四つの奇跡が必要でした。もし二百年も前の人物であれば、当然この人物にまつわる奇跡の目撃者など生存しないからです(おそらく奇跡の目撃者が生存した年代が古いだけ、より多くの奇跡が要求される)。また、この人物が福者(Blessed)として宣言される前に、奇跡を幾つ必要とする、というある種の規則が教会にはあります。
では、第二バチカン公会議に関してなのですが、彼らは奇跡に関する規定を変えてしまいました。現在、手続き③に於いてはたった一つの奇跡が求められるだけであって、次の手続き⑤でも、私やはり一つの奇跡が求められるだけだと思います。ヨハネ・パウロ二世の場合、列福前③の奇跡は一つでした。それは(マリー・シモン・ピエール・ノルマン(Marie Simon Pierre Normand)修道女が患っていた)最も制御の効かない病気であるパーキンソン病の癒しでした。パーキンソン病とは、対処の困難な病気です。それから思い出してください、ヨハネ・パウロ二世が亡くなった時ですが、この彼が死去されたその日である2005年4月2日、バチカン市国の聖ペトロ大聖堂前で、「サント・スビト!サント・スビト!」と記された大きな横断幕を人々は掲げていました。「彼を今すぐ聖人にして下さい!彼を今すぐに聖人に!<つまりこの手続などどうでもいいから>今すぐ彼を列聖してください!彼は聖人です!彼は聖人なのです!」、これこそ、そこにいた人々が叫んでいた事なのです。しかし、かつての教会法では、私たちは列聖候補となった人物の聖徳を審議するこの手続き①と②に至るまで、20年か30年、あるいは40年は待たなければなりませんでした。というのも、たくさんの情動(emotions)があるからです。