Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

サムエルの書(上)第一章の解説と黙想 大聖グレゴリオによる神秘的な意味

2019年04月09日 | カトリックとは
愛する兄弟姉妹の皆様、

サムエルの書(上)第一章の黙想を提案します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

ラマタイム(Ramathaim)の町の中に一人の男がいた。天主のしもべであり、エルカナと呼ばれていた。

ラマタイムは、私たちにとってアリマテアとしてよく知られている。衆議所のアリマテアのヨゼフがピラトから私たちの主イエズス・キリストを葬る許可をとったが、そのヨゼフの出身地である。

エルカナは、父によりレビ族に属していた。母によってはユダ族に属していた。
彼は、エフラタの出身であった。エフラタとは、ベトレヘムのことである。

エルカナには、美しい妻がいた。アンナという名前である。残念なことに、可哀想なアンナには子供が授からなかった。

モーゼの掟によると、特別な場合には子供を得るために、副次的な妻を娶ることが特例として許されていたので、別の女性を娶った。ペンニナ(フェネンナ Fenenna)といった。

ユダヤの歴史家による別の文献を信じるならペンニナには男の子だけで10人いた。

エルカナは、毎年、過ぎ越しと、五旬祭と、幕屋祭に、いけにえをささげるために自分の町からシロ(Silo)に上った。その当時、シロに契約の櫃があった。

エルカナはレヴィ族でしかなく、司祭ではなかったので、司祭の手を通して犠牲を捧げた。

ある日、エルカナはいけにえをささげた後、犠牲(いけにえ)の残りを二人の妻と子供たちと分けた。いけにえの脂身は祭壇で燃やされ、胸の部分は司祭に与えられ、残りが奉献者に属するからだ。

アンナは、食卓について、その分け前が、別の妻のペンニナとその息子と娘らにそれぞれ与えられるのを見て、ペンニナがアンナを軽蔑するようなコメントを聞いて、エルカナがアンナをより愛するのを嫉妬するペンニナの残酷な態度を見て、毎年のいけにえの巡礼は、アンナにとって苦痛であった。

競争者のペンニナはアンナの恥、つまり主が彼女の胎を閉じて子を与えられないことについて、ひどく辱めていたからだ。毎年そうであった。主の聖所に上るごとにペニンナはアンナを悲しませていた。

エルカナはアンナの涙を見て、慰めようとする。
「アンナ、なぜ泣くのだ。なぜそう悲しむのだ。なぜ食べないのか。おまえにとって十人の子よりも私のほうが良いではないか。」

つまり、おまえのことをこんなにも愛している夫が一人いることは、数え切れない心配を与える子供の数々よりもよっぽど良いのではないか?という意味だ。

アンナは、宴会のあと、立ち上がり幕屋の方に向かい、祈るために主の前に出た。
そのとき祭司エリ(Heli)は主の聖所の扉の柱に近い腰かけに腰を下ろしていた。
アンナは心を痛め、泣きに泣いて主に祈った。

「ああ万軍の主なる天主よ、あなたのはしためのこの惨めさを顧み、私のことを思い出したまえ。このはしためを忘れず、男の子を与えられるなら私は一生その子を主にささげ、その子の頭にかみそりをあてることもしますまい。」

アンナの主の前での長く祈った。同じことを何度も祈った。
アンナは沈潜し、深く心の中で語っていて、くちびるだけ動かし、声は外に出ていなかった。

ユダヤ人にとって、祈りは体の動きとなって、大きな声で唱えなければならないとされていた。

大司祭エリはこの女は酔っているなと思った。宴会でたくさん酒を飲んだのだろう、と。エリはアンナに言った。
「酔っていつまでそこにいるのか。ぶどう酒の酔いを早くさませ。すこし横になって休んだらどうか。」

競争者ペンニナからの侮辱を避けるために、祈りに慰めを求めて逃げてきたアンナは、司祭からも酒飲みだと馬鹿にされた。しかし、アンナは怒らずに静かに答えた。

「いえ、主よ、私は悲しみに打ちひしがれています。ぶどう酒も酔う物も飲んではいません。ただ主の前で私の思いを告げていたにすぎません。主の婢を、ベリアルの娘等の一人と思うなかれ。このはしためを自堕落な女だと思ってくださいますな。私は苦しみと悲しみのあまり主に語りかけていたのです。」

エリはアンナが本当のことを言っていると分かった。アンナの平静さ、単純さ、慎み深さがよく分かった。
「安心して行け。イスラエルの天主はおまえの願いを聞きたもうだろう」。

アンナは司祭の言葉を主からの言葉として受け入れた。天主は彼女の祈りを聞き入れて下さるだろう!
アンナは言った。「願わくは汝の婢、汝の御眼前に恩恵を得んことを。」
つまり、「私のためにお祈り下さい。」

それからアンナは夫のもとにもどり、喜んで食事をとった。もう前のように悲しんではいなかった。「その顔色最早さまざまに変わることなかりき。」つまり、気分のむらもなく、喜んだり、悲しんだりすることなく、大司祭の言葉に信頼し、平和を取り戻した。

この次の日、日の昇るころ一同は起き出し、もう一度幕屋に行って、主の前にひれ伏してラマタ[イム]の家への帰途についた。

その後エルカナが妻を知ったとき、主は彼女を思い出された。アンナは身ごもった。その年の終わりころ彼女は身ごもって男の子を生んだ。その子はサムエルと名づけられた。サムエル、つまり「主に願った」。

夫のエルカナは毎年のいけにえを主にささげて、サムエルの誕生を感謝し、誓いを果たすために家族一同を連れていこうとした。

しかし、アンナはついていそうとせず、夫にこう言った、「この子が乳離れして主の顔をおがみに連れていけるようになり、ずっと向こうにとどめておけるようになるまで、私は参りません。」

夫のエルカナは答えた、「おまえの思うようにしてよい。子を育て上げるまでいかなくてよい。主はおまえの望みをかなえてくださるだろう。」

アンナは家に残り、乳離れするまでその子を育てた。

乳離れしたときアンナは子を連れ聖なる場所に登った。三歳の雄牛一頭、一エファの麦粉、皮袋一つのぶどう酒を持ち、子の手をひいてシロの主の神殿に上った。雄牛をほふってから彼女は子どもをエリに紹介した。

「主よ、お聞きください。あなたのお命が真実であるように、私もそれにかけて事実を申します。私はちょうどここ、あなたのそばで長くとどまって主に祈った女です。私はこの子について祈りました、主は私の願いを聞き届けてくださいました。それで私もこの子の一生を主にゆだねます。この子を主にささげます。」
そして彼女はその子を主の前に残して去った。

大聖グレゴリオによると、次のような神秘的な意味があると言います。

エルカナは、キリストの前表(figura)である。だから「ひとりの男 vir unus」と言われている。唯一の人であり、第二はない。聖父が喜びとする御独り子である。

エフライムの山地なるラマタイムソフイムに彼はいた。
ラマタ・サフィム Ramatha Saphim この二つの名前は「完成したヴィジョン、観想」を意味する。何故なら、キリストは天主性を観想する至福直観の内におられ、そこからこの地にやってこられたから。

彼は「エフライムの山地」からの人だ。「エフライムの山」の意味は「豊かさの山」である。キリストは、全ての聖徳の満ちあふれた山すなわちマリア様からの人だから。

エフライムの人である。エフライムとは「実り豊かな」という意味だ。何故なら、キリストは全世界を養う豊かな実りをもたらすからだ。

彼はシロに決められた日に登った。「さてこの人はシロに於いて萬軍の主を禮拜し、之に禮物を献げんとて定めの日にその市より上りぬ。」何故ならキリストは、預言者によって定められた日と段階を厳格に守って、この地上での生活を送り、常に自分の体を全世界の救いのためのいけにえとして捧げるために天上の方へと歩んでいたからだ。

シロとは、「送られた」という意味だ。何故ならキリストの全生涯は従順の生涯であり、聖父から与えられた使命を果たすだけに費やされたからだ。

この地上で、彼には二人の妻がいた。つまり、ユダヤ会堂(シナゴーグ)【ペンニナ】と教会【アンナ】である。二つとも当時は本当の宗教であった。両者とも、当時は、永遠の生命に霊魂を生むことが出来た。

ペンニナには子供が多くいた。何故ならシナゴーグは物質的に豊かだったから。アンナは子供がなかった。何故なら生まれたばかりの初代教会は、キリストから愛されていたにもかかわらず、信徒の数が少なかったからだ。この初代教会について雅歌はこう歌っている。"Soror nostra parva, et ubera non habet." (8:8)

ペンニナのアンナへの迫害は、ユダヤ人たちが教会に対してなした迫害と軽蔑である。アンナは涙を流し祈る。使徒たちもユダヤ人たちの不信を歎いたからだ。聖パウロもユダヤ人たちについてこう言う。「私は、心に大きな悲しみと絶えまない苦しみを感じている。私の兄弟と、肉親の者のためならば、私自身は呪われてキリストから棄てられた者となることさえ望む。」(ローマ9:3)

キリストは、教会を慰める。「アンナよ、汝は何故泣くや、何故食せざるや、また何故汝の心を悩ますや。我は汝にとりて、十人の子にも優るに非ずや」と。

おまえは私という最高の宝を持っているではないか。おまえは天の王と婚姻の絆で分かちがたく結ばれているではないか。10人の子供、つまり天主の十戒を知っているがそれよりも上に行くことを知らない子供たちよりも、すぐれていることではないか。

アンナは子供が授かるように祈る。絶え間なく祈る。沈黙の内に祈る。内的に祈る。

大司祭エリは「主の聖殿の門前なる腰掛に坐しおれり」、主の聖所の扉の柱に近い腰かけに腰を下ろしていたが、アンナが何をしているか理解できなかった。何故ならユダヤ教の司祭職は、モーゼの座に座っていたが、神殿の外に、聖殿の門前にあったからだ。聖殿の中には入らなかった、真の天主を霊と真理のうちに礼拝する本当の聖殿が理解できなかった。

だから、使徒たちが聖霊降臨の時に神殿で天主の御業を語ったとき、彼らは使徒たちが酒に酔っていると思った。「かれらは、うまいぶどう酒をいっぱいのんだのだ」とからかう者もあった。

「汝何時まで酔えるぞ。汝の飲み過ぎたる葡萄酒の酔を醒ませ」とは、つまり、使徒たちに、「一切イエズスの名によって話したり教えたりするなと禁じた」ことだ。

アンナの答え「然らず、葡萄酒をも、強き酒をも、飲みたるにあらず」は、聖ペトロの使徒たちを代表した答えに通ずる。「ユダヤの人々、イェルザレムに住んでいるすべての人々よ、私のことばに耳をかたむけて、次にいうことを知っていただきたい。今は、朝の九時であるから、あなたたちが思っているように、この人々は、酔っているのではありません。」

サムエルの書(上)第一章を、ラテン語のブルガタ訳、光明社の訳、バルバロ神父訳の対訳でご紹介いたします

2019年04月09日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 「判事の書」は、サムソンの死で幕を閉じます。しかし、最大の判事であるサムエルが、この世に現れなければなりません。

 しかしサムエルの話は、イスラエルにおける王の出現と深い関わりがあります。何故ならサムエルがイスラエルに君主制を導入させるからです。初代王サウル(前1095年)から始まって、ナブコドノゾルによるエルサレム陥落(前588年)のセデキア王までは、四巻の「列王記」と呼ばれる本に書かれています。その内の最初の二巻は、サムエルの書(上下)、最後の二巻は「列王の書」(上下)とも言われます。

 サムエルの書(上)を、ラテン語のブルガタ訳、光明社の訳、バルバロ神父訳の対訳でご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

Vultata 光明社 バルバロ訳
Samuelis I Capitulum 1 サムエル書上 第1章 サムエルの書 上 第1章 
1 fuit vir unus de Ramathaimsophim de monte Ephraim et nomen eius Helcana filius Hieroam filii Heliu filii Thau filii Suph Ephratheus エフライムの山地なるラマタイムソフイムに、その名をエルカナと云う人ありけり、エフライム人なるスフの子トフ、その子エリウ、その子イエロハムの子なり。 ラマタイムに一人の男がいた。この男はエフライムのズフ人で、エフラタのズフの子、トフの子、エリウの子、エロハムの子でエルカナといった。
2 et habuit duas uxores nomen uni Anna et nomen secundae Fenenna fueruntque Fenennae filii Annae autem non erant liberi 彼に二人の妻あり、その一人の名はアンナ、他の一人の名はフェネンナと云えり。フェネンナには子等ありしが、アンナには子等あらざりき。 彼には妻が二人あった。一人はアンナ、一人はペニンナといった。ペニンナには子があったけれどもアンナにはなかった。
3 et ascendebat vir ille de civitate sua statutis diebus ut adoraret et sacrificaret Domino exercituum in Silo erant autem ibi duo filii Heli Ofni et Finees sacerdotes Domini さてこの人はシロに於いて萬軍の主を禮拜し、之に禮物を献げんとて定めの日にその市より上りぬ。ヘリの二子、オフニとフィネエス、其處に主の司祭たり。 彼は毎年万軍の主を礼拝して、いけにえをささげるために自分の町からシロに上った。シロにはエリの二人の子オフニとピンハスが主の祭司としてつとめていた。
4 venit ergo dies et immolavit Helcana deditque Fenennae uxori suae et cunctis filiis eius et filiabus partes その日また来りしかば、エルカナ犠牲を献げて、その妻フェネンナとそのすべての息子娘に分前を與えけるが、 ある日、エルカナはいけにえをささげた。その日妻のペニンナとその息子と娘にいけにえの分け前を与えることにしていたけれども、
5 Annae autem dedit partem unam tristis quia Annam diligebat Dominus autem concluserat vulvam eius アンナには悲しみつつただ一部を與えぬ、そは彼アンナを愛したればなり。されど主はその胎を閉ざし給えり。 アンナには分け前を一つしか与えなかった。主はアンナの胎を閉じられたにしても、エルカナはアンナのほうを、もう一方の女より愛していた。
6 adfligebat quoque eam aemula eius et vehementer angebat in tantum ut exprobraret quod conclusisset Dominus vulvam eius その敵手も亦之を苦しめ、主がその胎を閉ざし給いしを責めて、いたく悩ましたり。 それに競争者のペニンナはアンナの恥、つまり主が彼女の胎を閉じて子を与えられないことについて、ひどく辱めていた。
7 sicque faciebat per singulos annos cum redeunte tempore ascenderent templum Domini et sic provocabat eam porro illa flebat et non capiebat cibum 彼女は年毎に、彼らが主の聖殿に上る時の廻り来る度に然し、かくの如くにして之を怒らしめぬ。さればアンナは泣きて食物を摂らざりき。 毎年きまってそういうことがあり、彼らが、主の聖所に上るごとにペニンナはアンナを悲しませていた。いまもアンナは泣き出して何一つ口にしようとしなかった。
8 dixit ergo ei Helcana vir suus Anna cur fles et quare non comedis et quam ob rem adfligitur cor tuum numquid non ego melior sum tibi quam decem filii 時にその夫エルカナ之に云いけるは、「アンナよ、汝は何故泣くや、何故食せざるや、また何故汝の心を悩ますや。我は汝にとりて、十人の子にも優るに非ずや。」と。 そこで夫のエルカナは言った、「アンナ、なぜ泣くのだ。なぜそう悲しむのだ。おまえにとって十人の子よりも私のほうが良いではないか」。
9 surrexit autem Anna postquam comederat in Silo et biberat et Heli sacerdote sedente super sellam ante postes templi Domini 茲に於いてアンナも、シ口にて飲食せし後起ち上りしが、折しも司祭ヘリ、主の聖殿の門前なる腰掛に坐しおれり。 アンナはシロでの宴会のあと立ち上がり主の前に出た。そのとき祭司エリは主の聖所の扉の柱に近い腰かけに腰を下ろしていた。
10 cum esset amaro animo oravit Dominum flens largiter アンナは心悲しきあまり、主に祈りて、いたく泣き、 アンナは心を痛め、泣きに泣いて主に祈った。
11 et votum vovit dicens Domine exercituum si respiciens videris adflictionem famulae tuae et recordatus mei fueris nec oblitus ancillae tuae dederisque servae tuae sexum virilem dabo eum Domino omnes dies vitae eius et novacula non ascendet super caput eius 願を立てて云いけるは、「萬軍の主よ、汝もし汝の婢の悩みをみそなわして、我を憶い、汝の婢を忘れず、汝の召使に男子を與え給わば、我は之を生くる日の限り主に献げて、その頭に剃刀を觸れざるべし。」と。 そしてこう誓いを立てた、「ああ万軍の主なる天主よ、あなたのはしためのこの惨めさを顧み、私のことを思い出したまえ。このはしためを忘れず、男の子を与えられるなら私は一生その子を主にささげ、その子の頭にかみそりをあてることもしますまい」。
12 factum est ergo cum illa multiplicaret preces coram Domino ut Heli observaret os eius 然るに彼女が主の御前にて多く祈りたる時、偶々ヘリその口に目を注ぎぬ。 アンナの主の前での祈りが長かったので、エリは彼女のくちびるに目をやった。
13 porro Anna loquebatur in corde suo tantumque labia illius movebantur et vox penitus non audiebatur aestimavit igitur eam Heli temulentam さてアンナは心の中にて語りたれば、ただその口唇動くのみにして、聲は全く聞えざりき。さればヘリは彼女を酔えりと思いて、 アンナは心の中で語っていてくちびるだけ動かし、声は外に出ていなかった。エリはこの女は酔っているなと思った。
14 dixitque ei usquequo ebria eris digere paulisper vinum quo mades 之に云いけるは、「汝何時まで酔えるぞ。汝の飲み過ぎたる葡萄酒の酔を醒ませ。」と。 エリはアンナに言った、「酔っていつまでそこにいるのか。ぶどう酒の酔いを早くさませ」。
15 respondens Anna nequaquam inquit domine mi nam mulier infelix nimis ego sum vinumque et omne quod inebriare potest non bibi sed effudi animam meam in conspectu Domini アンナ答えて云いけるは、「わが主よ、然らず、蓋し我は極めて不幸なる女にして、葡萄酒をも、強き酒をも、飲みたるにあらず、主の御眼前にわが心を披瀝したるなり。 アンナは答えた、「いえ、ご主人さま、私は悲しみに打ちひしがれています。ぶどう酒も酔う物も飲んではいません。ただ主の前で私の思いを告げていたにすぎません。
16 ne reputes ancillam tuam quasi unam de filiabus Belial quia ex multitudine doloris et maeroris mei locuta sum usque in praesens 汝の婢をベリアルの娘等の一人と思うなかれ。そは我わが悲嘆の夥多なるあまり、今まで語りたればなり。」と。 このはしためを自堕落な女だと思ってくださいますな。私は苦しみと悲しみのあまり主に語りかけていたのです」。
17 tunc Heli ait ei vade in pace et Deus Israhel det tibi petitionem quam rogasti eum その時ヘリ之に云いけるは、「安んじて行け。希わくはイスラエルの天主、汝が彼に求めし願いを、汝に容し給わんことを。」と。 エリは答えた、「安心して行け。イスラエルの天主はおまえの願いを聞きたもうだろう」。
18 et illa dixit utinam inveniat ancilla tua gratiam in oculis tuis et abiit mulier in viam suam et comedit vultusque eius non sunt amplius in diversa mutati 彼女乃ち云いけるは、願わくは汝の婢、汝の御眼前に恩恵を得んことを。」と。かくてこの女、その途を行きて食し、その顔色最早さまざまに変わることなかりき。 アンナは答えた、「このはしために今後も好意をお示しください」。それからアンナはもとにもどり食事をとった。もう前のようではなかった。
19 et surrexerunt mane et adoraverunt coram Domino reversique sunt et venerunt in domum suam Ramatha cognovit autem Helcana Annam uxorem suam et recordatus est eius Dominus さて彼等朝に起き、御前に禮拜し、帰りてラマタなるその家に至れり。しかしてエルカナその妻アンナを知りしに、主之を憶え給えり。 日の昇るころ一同は起き出し、主の前にひれ伏してラマの家への帰途についた。その後エルカナが妻を知ったとき、主は彼女を思い出された。
20 et factum est post circulum dierum concepit Anna et peperit filium vocavitque nomen eius Samuhel eo quod a Domino postulasset eum 郎ち日を経てアンナ懐胎し、一子を産むに至りしかば、彼女その名をサムエルと名づけたり、是、主に求めたるによりてなり。 その年の終わりころ彼女は身ごもって男の子を生んだ。その子はサムエルと名づけられた。そう名づけたのは「主に願った子だから」と彼女が言ったからである。
21 ascendit autem vir Helcana et omnis domus eius ut immolaret Domino hostiam sollemnem et votum suum 茲に於いてその夫エルカナ、及びその家族一同、主に祭の犠牲と誓いたる物とを献げんとて、上り行きしが、 夫のエルカナは毎年のいけにえを主にささげて誓いを果たすために家族一同を連れていこうとしたけれども、
22 et Anna non ascendit dixit enim viro suo non vadam donec ablactetur infans et ducam eum et appareat ante conspectum Domini et maneat ibi iugiter アンナは上り行かず、その夫に云いけるは、「我この子の乳離れするまで行かじ、然る後之を携え行きて主の御眼前に現れしめ毎も其處に留まらしむべし。」と。 アンナはついていそうとせず、夫にこう言った、「この子が乳離れして主の顔をおがみに連れていけるようになり、ずっと向こうにとどめておけるようになるまで、私は参りません。」
23 et ait ei Helcana vir suus fac quod bonum tibi videtur et mane donec ablactes eum precorque ut impleat Dominus verbum suum mansit ergo mulier et lactavit filium suum donec amoveret eum a lacte その夫エルカナ乃ち之に云いけるは、「汝に善しと見ゆる所を為し、之を乳離すまで留まれかし。ただ我は主が曰いし所を果たし給わんことを願う。」と。よりて女は留まりてその子乳を與え、之を乳より離す期を待ちぬ。」 夫のエルカナは答えた、「おまえの思うようにしてよい。子を育て上げるまでいかなくてよい。主はおまえの望みをかなえてくださるだろう。」そして女は家に残り、乳離れするまでその子を育てた。
24 et adduxit eum secum postquam ablactaverat in vitulis tribus et tribus modiis farinae et amphora vini et adduxit eum ad domum Domini in Silo puer autem erat adhuc infantulus かくて之を乳離したる後、彼女は子牛三頭、粉三桝、葡萄酒一壺と共に、之をシロなる主の家に携え行けり。時にその子なおいと幼かりき。 乳離れしたときアンナは子を連れ、三歳の雄牛一頭、一エファの麦粉、皮袋一つのぶどう酒を持ち、子の手をひいてシロの主の神殿に上った。
25 et immolaverunt vitulum et obtulerunt puerum Heli しかして彼等子牛を屠りてその子をヘリに付したるが、 雄牛をほふってから彼女は子どもをエリに紹介した。
26 et ait obsecro mi domine vivit anima tua domine ego sum illa mulier quae steti coram te hic orans Dominum アンナ云いけるは、「乞う、わが主よ、汝の魂は活く、主よ、我はかつて此處に於いて汝の前に立ち、主に祈りたりしかの女なり。 アンナはエリに言った、「ご主人さま、お聞きください。あなたのお命が真実であるように、私もそれにかけて事実を申します。私はちょうどここ、あなたのそばで長くとどまって主に祈った女です。
27 pro puero isto oravi et dedit Dominus mihi petitionem meam quam postulavi eum 我はこの子の為に祈りしを、主はわが求めし願いを我に容し給えり。 私はこの子について祈りました、主は私の願いを聞き届けてくださいました。
28 idcirco et ego commodavi eum Domino cunctis diebus quibus fuerit accommodatus Domino et adoraverunt ibi Dominum et oravit Anna et ait されば我も亦之を主に献げたり、その生きる日の限り彼を主に献ぐべし。」と。彼等乃ち其處に於いて主を礼拝したり。時にアンナ祈りて云いけるは、 それで私もこの子の一生を主にゆだねます。この子を主にささげます」。そして彼女はその子を主の前に残して去った。

聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告 Traditional Latin Mass SSPX Japan 2019年3月

2019年04月09日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

先日は、大阪で初金、初土に聖伝のミサを捧げることができました。初金には御聖体の前で聖時間も行いました。四人の子供たちも一生懸命お祈りしていて、とても嬉しく思いました。
土曜日には、大阪で復活祭の時に洗礼を受けるべきご家族の四名のために、ミサの後に洗礼式固有部分の前の準備の儀式を行いました。

主日には東京で受難の第一主日のミサを捧げました。ミサの後には、月の最初の主日でしたのでいつもの通り御聖体降福式があり、その直後に、生まれたばかりの赤ちゃん(カタリナ)の洗礼式がありました。天主様に感謝!

来たる4月12日、13日、14日、15日、16日には大阪で、
4月14日(主日)には東京で聖伝のミサがあります。

ティシエ・ド・マルレ司教様が、手術を受けなければならなくなり、アメリカの神学校で4月7日に予定されていた叙階式が延期になりました。司教様のためにお祈り下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

私たちの大切な小野田神父様こんばんは。
大阪での4月の初金・初土のミッションありがとうございました。
ミサの報告をお送り致します。

5日(初金) 至聖なる聖心の随意ミサには20人、
6日(初土) 四旬節第四週の土曜日(御受難の主日の前日)のミサには24人の方々が御ミサに与るお恵みを頂きました。
デオグラチアス!

5日のお説教で、私達の創造主であり、無限の善、至高の存在であられる天主の御一人子、三位一体の第二位の天主ご自身が、なぜ、あれほどまでにお苦しみになったかがカトリックの信仰の核心である事、それは私達の人類の罪が許されるためであり、如何に天主が私達を愛しているかという事を黙想しました。

ひと言の不平もなく恩知らずの私のために苦しみ、十字架上でご自分の命を差し出されたイエズス様に比べ、少しの痛みや苦しみに弱音を吐いたり、周りの同情を買おうとした自分が情けなくなりました。
どうか、今日からは、イエズス様の愛に愛で答えることができるよう、十字架のもとにいることを愛する事が出来るようしてくださいと、にマリア様を通してお恵みをお願い致しました。

御聖体降福式では、洗礼を受ける準備をしている方々の為、また病気で苦しんでい居る兄弟姉妹のため、日本に早く聖ピオ十世会の修道院ができて多くの霊魂がイエズス様の元へ帰る事が出来るようにお祈りしました。

6日の四旬節第四週の土曜日のミサは洗礼志願者のために特に祈っていることがわかります。
イザヤの予言の中のイエズス様が善き牧者としてだけでなく、やさしい母として私達の事を見て下さっているという箇所に感動しました。
イエズス様と共に、極限まで苦しまれた御母マリア様のお苦しみの事も黙想しました。聖クリゾストモがカルワリオにイエズス様を捧げる祭壇とマリア様の苦しみを捧げる祭壇があると仰った事の意味を明日から始まる御受難節、聖週間によく黙想したいと思います。

ミサの後、ご家族4人の洗礼式の前の部分がありました。
ご復活には水で洗われて洗礼式を完成されますが、ご家族が聖なる家族となられて出来ればご家庭から聖なる召命がある事を祈ります。

食事の後に行われた聖母の汚れなき御心へ聖ピオ十世会を奉献する祈りの更新、初土曜日の黙想、ティシエ・ド・マルレ司教様のためのロザリオ一環、グレゴリオ聖歌の練習にも沢山のかたが参加されて、天主様を中心とした時間を兄弟姉妹と一緒に持つことができたことも大きなお恵みでした。

神父様には、ただでさえ苛酷なミッションスケジュールに加えて、洗礼などの秘跡や祝別などをお時間のギリギリまで与えて頂きました。
天主様が神父様の多くの犠牲と愛に報いてくださいますように。また、マリア様の特別の御保護がありますようにお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
昨日は数々のご配慮を賜り、ありがとうございました(^-^)

教会では洗礼式中の返答ができなかった娘ですが、インマクラータさんが式次第を持たせてくださったので、帰宅後にも読み上げて聞かせました。
すると、『捨てます』『信仰です』『永遠のいのちです』と返ってきたのでビックリしました。
小さいながらに、心はしっかり洗礼式に向いていたのですね。

デオ・グラチアス!

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 27人(内、子供3人)
女: 32人(内、子供5人)
計: 59人(内、子供8人)

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幼児洗礼式後のパーティー
26人

晩課
7人
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【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御受難の主日のミサの報告をさせていただきます。
祭壇の上に掲げられている十字架には喪に服すため紫の布が掛けられていました。
十字架が喜びを表しているから十字架を隠すのですという言葉が印象に残りました。
十字架のすばらしさを理解するものは、イエズス様の流された御血によって自分が天主のものとなるよう買い戻されたと知る故だとのことでした。十字架から放たれる光を霊的に見ることができるのでしょうか。

私も、十字架がキリスト教の象徴でカトリック信仰の要であることの意味をもっとよく理解できるようになりたいと思います。なぜ、祭壇の中央には、十字架に釘付けにされている主であるイエズス様の御姿が掲げられているのでしょう、イエズス様のこの愛の深さをよくわかることができますように、と思います。十字架から放たれている光を霊的に見ることができたらと思います。

人々に裏切られて屈辱を受けて暴力の限りを受けて耐え難い苦痛と計り知れない悲嘆とをうけて、しかもそれを極限まで受け入れようとさえ望まれ、少しでも多くの苦痛と悲嘆を望まれさえされたのは、人間の救いのために必要なものがご自分という生贄によって捧げられる苦しみと痛みと悲しみ・嘆きだけだったという、現実のゆえだったのかなと思いました。(どうしてもっと他の方法で必要な贖いが捧げられることができなかったかを考えようとしても私にはわからないこと、ほかの方法で人間の霊魂を買い戻すための値を支払うことができたのかもしれないのに?)

旧約聖書に記されたこと一つ一つすべてが実現されなければならなかったから、ということをしらなければ、もっと自由に他の方法を選択することもできただろうにと、思ってしまいます。

いずれにしてもその人間の救済の方法は、罪をおかしてしまったものである人間が決定できるのではなく、天主の正義が定めたことが実現されるべきことだったということを、理解いたしました。

人間がおかした罪の大きさが無限であること、・・・、、無限の天主を侮辱し反抗したのですから、無限の価値を持つ贖いによらなければ贖われなかった、支払いができなかった、ということを私がよく理解できますように。

永遠という概念や無限という概念を真実にわかり受けいれるには、私の心はあまりに小さく惨めだからです。主が私を赦しくださいますように、そしてあわれみによって、わたしの心にあなたの無限なる命を受け入れる恵みを注いでくださいますように。まことの人間でありまことの天主でもあったイエズス・キリストと、ご自分の罪のない清らかな人間性をイエズス様に与えてくださいました聖母マリア様にお祈りいたします。

お説教の第二の点、「イエズス様は私に何を期待しているのか、何をするように招かれているのか」というところですが、それはイエズス様の御受難を黙想するのにとどまらず、キリストの神秘体の欠けたところを一緒に捧げることについてお話しくださいました。

ほんとうに、イエズス様の十字架をもしよく黙想することができれば自分が受けている苦しみはほんのちっぽけなものに過ぎないことがよくわかるようになり、それをイエズス様の十字架に合わせていただけますよう願ってお捧げさせていただこうと思うようになるのでしょう。

最近、そのようなことを著述しているカトリック信者の自叙伝を読み掛けているところです。その方は、自分が望んだわけでなく家庭における不幸を受けて、つまり母の愛情無く育つ…それどころか虐待さえ受け続け身体までも動けなくなってしまうという残酷な不幸を受け入れて生涯を生きた方のようです。なんて苛酷な生涯だったことでしょう。それでも、その方はイエズス様の愛によって自分を聖化して、 その心と体に受ける痛みのすべてを他の霊魂の救いのための犠牲として捧げますと書かれています。

確かにそのカトリック信者の苦しみは、イエズス様の苦しみにはない欠けた所に違いないと思いました。

それどころか、苦しみを受けることが自分の(霊的)喜びでもあるとさえ書いていることにハッとさせられて、その部分を何度か読み返しています。自分の苦痛を一人の見ず知らずの霊魂の救いのために使っていただけると思うとこの上もなく喜びを感じます、と書いてあったのです。

これは、いつも、このごミサの中で励まされていることと同じことと思いました。そこまでの信仰を持つには、よほどの深い愛と信仰が必要なこと・・・とはいえ、カトリック信仰が生きた信仰であって、確かに霊魂の救いということのための宗教であるということがよく証しされていると思いました。本当に天主様はそのような霊魂をこの世に幾つも作られ無数に作られて守ってくださり、天国へ運ばれているのですね。そして救われた霊魂も完全な喜びに入る前の-でも安全な-場所に運ばれているのですね。

神父様は「キリストは苦しみをうけて栄光を受けるべきではなかったのか」、「十字架は祝福に満ちたものでわたしたちに命を与える手段としてくださったもの」とお話しくださいました。

ミサの中で、このように霊魂の救いのための祈りをすることができるのは、ほんとうに素晴らしいことです。
このような聖なるミサに与るカトリック信者の方が一人でも増えますようにと、心からお祈りします。
このようなミサをもっといたるところでお捧げしていただけるよう、司教さまたちは日本の神父様たちをもっと励ましていただきたいと望みます。
このような信仰がカトリック信仰だということに気づかれる日本人が一人でも増えて洗礼の恵みをうけられますよう、マリア様にお祈りします。

今は、御受難の週に入り、ますます、イエズス様の御受難を黙想しながら、このような恵みをいただくに値しない自分の心の中をよく反省して、過ごしていきたいと思います。御受難の主日のミサをありがとうございました。

聖マリアのけがれなき御心のうちに


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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