2019年3月15日(金)四旬節の四季の斎日 金曜日のミサ
小野田神父 説教
小野田神父 説教
聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年3月15日、四旬節の四季の金曜日のミサです。
今日は伝統的には大小斎の日です。
このミサの感謝の祈りの後に、一緒に終課を歌いましょう。
明日も10時半からミサがあります。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、今日、四季の金曜日のテーマは一体何でしょうか?
これは、「罪の赦しと洗礼」です。
そこで、このテーマを一緒に、ミサに従って黙想する事にしましょう。
まず「指定巡礼教会」と言って、このミサをする時に伝統的にローマでは1つの教会が指定されて、そこで集まって、教皇様がミサをしました。
今日の指定巡礼教会は、「ローマの十二使徒大聖堂」です。四旬節の金曜日には必ず、十二使徒聖堂でミサが行なわれます。なぜかというと、この十二使徒聖堂は昔から、悔悛の、罪の赦しの大聖堂であって、告解が行なわれ、そして天主と和解し、罪の赦しを受ける聖堂だからです。言ってみれば、私たちの罪が全く赦されて綺麗になる、霊魂の病が癒される特別な場所であるからです。
第2のポイントは、「エゼキエルの預言書」です。これは何度読んでもとても美しい教えです。
「子供の罪は、親には行かない。親の罪は、子供には行かない。だから祟りとか、親の先祖の呪いとか、親の罪の償い等というのは、私たちは天主様から全く要求されていない。そればかりか、もしも私たちが、親の罪と私たちとは全く関係ないばかりか、もしも私たちが罪を犯して邪悪な生活をしたとしても、悔悛するならば、全く赦される。そして天主はその罪を思い出さない。天主が私たちの事を綺麗さっぱりと水に流して赦して下さる」という事を宣言しています。
「しかし、もしも義人であっても罪を犯すならば、私は以前の善業を思わず、そしてこの人は罪の内に死ぬだろう。」ですから私たちは、罪を犯すのであれば、その罪が赦されるように、天主の御憐れみを乞い、私たちを赦すのは天主です、天主のみが私たちを赦す事ができます。そして「もしも私たちが罪を赦されたのであれば、再び罪を犯す事がないように注意して道を、主の道を歩むように」というように警告されています。何と美しい教えでしょうか。
第3は、「福音」です。
これは、洗礼の象りである「ベザダの池」、どんなに重い病気の人であっても、もう医者から目を離されて、匙を投げられて、もう死を待つばかりであったとしても、もうこのような酷い人はもう治る事はできない、絶望的だと思われていたとしても、ここの池の水面を天使が動かしたその直後に入れば、綺麗さっぱりと治る、という池がありました。
多くの、病を持った人は我先に入ろうと思って、治る為にその池の周りにじっとたくさん待っていました。
この池は、洗礼の水の象りです。どのような罪を犯した者であっても、もうこれほど酷い罪はない、ヒトラーでも、スターリンでも、毛沢東でも、その他その世界中の極悪人を重ねて100倍にしたとしても、その全ての罪を犯したとしても、でも洗礼を受けるならば、天主はそれを全く赦して下さる、綺麗にして下さる、その洗礼のものすごい効果の象りです。
私たちは、その水が動くのを、水の周りに1日中何年も何年もずっと待っている必要はありません。洗礼の水を、聖父と聖子と聖霊の御名によって受けるだけで、綺麗さっぱりと癒される、霊的に癒される、全く赦されるという水です。
皆さんと私はそれを受けました。何という御恵みでしょうか、憐れみでしょうか。
今日、私たちがイエズス様によってこの洗礼の水を受けたように、今日出てきた福音の男も、イエズス様によって、「さぁ、床を取って歩け」「立ち上がって歩け」と言われました。この男は38年間、病で苦しんでいました。
何で38年なのか?
聖アウグスティヌスによると、「四旬節と関係がある」と言います。「なぜかというと、四旬節というのは40日というのは、完徳に至る手段である、その数であるからだ」と言います。「なぜかというと、完徳に至るには、天主の十戒を守らなければならない。」そしてイエズス様は御復活の後に使徒たちに仰いました、「全世界に行って、私の教えた事を教えよ。そして聖父と聖子と聖霊との御名によりて洗礼を授けよ。もしも私の教えを信じ、洗礼を受けるならば、彼は救われる。さもなければ救われない、滅びる。」この時に、「天主の『十戒』と、全世界に、東・西・南・北の『4つ』をかけると、『40』になる。」
「そしてこの40というのは福音だ。なぜかというと、福音は4つの福音史家によって書かれているから。4と十をかけると40だ。」
「この40というのは福音だ。なぜかというと、モーゼは律法の代表であって、シナイ山において十戒の2つの石版を受ける前に、40日間断食した。そして律法を受けた。エリヤは40日間やはり断食した、エリアは預言者の代表だ。モーゼはモーゼとして、エリアも40日間断食をしたけれども、福音であるイエズス様も40日間断食した。福音というのは、預言と律法の完成であるから、この2つが必要だった。」
「でもこの40から2つが足りないと、病になる。だからこの男は38年間、病で苦しんでいた。その男、その病で苦しむ人類を完成させるのが、福音だ。その2つが、なぜなら福音によって2つが満たされるから。」
「この2つというのは、『天主を愛し』『隣人を愛する、天主の為に愛する』という愛徳の掟である。」
「だからイエズス様は、良きサマリア人であるイエズス様は、盗賊によって傷付いた男を抱いて、宿屋に預けた時に、『さぁ、ここに2つのデナリオがある。これを使って、この男を癒してほしい』と言って、2つの、2デナリオを預けた。これが福音だ。」
「イエズス様が使徒たちを町々に送った時に、2人ずつを送った。これが愛徳の教えだったから。」
「イエズス様がサマリアで井戸の水を要求した時に、その後にサマリアに2日間留まった。これは福音で、愛徳を完成させる為だった。」
「だから、」聖アウグスティヌスによると、「40というのは、病を受けている人類、38、足りない人類を完成させるものであって、それを私たちに与えた。『洗礼』による罪の赦し、そして私たちに『御聖体』を与えた。」
そこで今日教会は、四旬節の四季の斎日、四季の金曜日に「罪の赦し」というテーマで、ヨハネの福音書に載っている、水の池で浄めを待っていた男が癒された話をします。ちょうど私たちの象りです。私たちもこの男のように、イエズス様によって浄められ、癒されました。憐れみを受けました。四旬節の今、完成を今記念しています。完徳への完成を記念しています。
ではマリア様にお祈り致しましょう。四旬節の玄義の中に、神秘の中に深く入る事ができますように、私たちがイエズス様のなさった、天主がなさった模範、祈りと、断食と、苦業の模範を、感嘆して見ながら、その御跡を慕う事ができますように、そのイエズス様の素晴らしい模範に少し近付く事ができますように、一人の私たちの力ではとてもできませんが、マリア様の御助けと御取次ぎによって、イエズス様に少なくとも、イエズス様の40日の模範を、完成への道を、私たちも少なくとも憧れる事ができますように、お祈り致しましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
【付録】
『巡礼指定聖堂』Station Churchs、Ecclesiae stationales とは、特別の典礼の祝日に、特別に指定された教会で公式にミサをする、というその教会のことです。
古代ローマでは、特に四旬節を聖化するために、毎日、信徒共同体が一カ所に集まって「巡礼指定教会」まで行列を作って行きました。このような習慣は、ローマのみならずイェルサレムやコンスタンチノープルでもあったそうです。司教や司祭など聖職者たちは信徒らと一緒に詩篇を唱え、諸聖人の連祷や聖歌を歌いながら、祈りながら、歩いて指定された教会まで行列で巡礼するのです。
西暦400年頃からこの習慣が公式化し、教皇大聖グレゴリオが西暦600年頃ほとんどを確定しました。現在は、ローマにある四十三の教会が特別に指定されています。
George Weigel によれば、元々は、ローマの信徒たちが殉教者のお墓を皆で訪問してそこでミサ聖祭を捧げたことに由来すると言います。殉教者のお墓の上に教会が建てられて、それが巡礼指定教会として成立したとのことです。ですから statio の正確な意味は、教会の建物のことではなく、その場所に葬られている殉教者です。そこで元来は、たとえば「巡礼指定地:聖ラウレンチオ」であって、「巡礼指定教会:聖ラウレンチオ大聖堂」ではありませんでした。
これは、四旬節だけでなく、復活祭、聖霊降臨、御降誕など主要な祝日にもそうでした。
14世紀にはこの習慣は廃れてしまったそうです。しかしミサ典書には巡礼指定教会の名前がその後もずっとつけられていました。教会は霊的に私たちをそれらの教会に巡礼することを招いています。
ただし、1959年の灰の水曜日には、教皇ヨハネ二十三世は、聖伝によるその日の巡礼指定教会である聖サビナ教会に言ってミサ聖祭を捧げたと記録があります。パウロ六世も1967年に巡礼指定教会の聖エウゼビオ教会に行ったそうです。