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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

無原罪の御孕りの大祝日の聖体拝領誦 Gloriósa dícta sunt de te をご紹介いたします

2019年11月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの聖体拝領誦をご紹介いたします。

Gloriósa dícta sunt de te, María: quia fécit tíbi mágna qui pótens est.
(T.P. Allelúia.)

マリアよ、御身について偉大なことが言われた、何故なら力ある方が御身に偉大なことをなさったからだ。(復活節にはアレルヤをつける)

Glorious things are said of thee, O Mary, for He who is mighty hath done great things unto thee.
(P.T. Alleluia.)



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無原罪の御孕りの大祝日の奉献文Ave María, grátia plénaをご紹介いたします。

2019年11月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの奉献文をご紹介いたします。

Ave María, grátia pléna: Dóminus técum:
benedícta tu in muliéribus, allelúia.

めでたし、マリアよ、聖寵に満ちみてる方よ、主は御身と共にまします、
御身は女の内にて祝せられ給う、アレルヤ。

Hail, Mary, full of grace; the Lord is with thee, blessed art thou among women. Alleluia.



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無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサのアレルヤ誦をご紹介いたします。

2019年11月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサのアレルヤ誦をご紹介いたします。


Alleluia, alleluia.
Tóta púlchra es, María: et mácula originális non est in te. Alleluia.

アレルヤ、アレルヤ、
マリアよ、御身は全く美しい、且つ、原罪の汚れは御身においては無い。アレルヤ。

Allelúia, allelúia.
Thou art all fair, O Mary, and there is in thee no stain of original sin. Alelluia.



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無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの昇階誦 Benedícta es tuをご紹介いたします

2019年11月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの昇階誦をご紹介いたします。

Benedícta es tu, Vírgo María, a Dómino Déo excélso, prae ómnibus muliéribus super térram.

V. Tu glória Jerúsalem, tu laetítia Israel, tu honorificéntia pópuli nóstri.
童貞マリアよ、御身はいと高き主なる天主によって、地上の全ての女たちよりも祝福された。

V. 御身はエルサレムの栄光、御身はイスラエルの喜び、御身は私たちの民の名誉。

Blessed art thou, O Virgin Mary, by the Lord the most high God above all women upon earth.

V. Thou art the glory of Jerusalem, thou art the joy of Israel, thou art the honour of our people.



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無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの入祭文 Gáudens gaudébo in Dómino

2019年11月18日 | グレゴリオ聖歌
アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、

無原罪の御孕りの大祝日(12月8日)の聖伝のミサの入祭文をご紹介いたします。

Gáudens gaudébo in Dómino, et exsultábit ánima méa in Déo méo:
quia índuit me vestiméntis salútis, et induménto justítiae circúmdedit me, quiasi spónsam ornátam monílibus súis.

PS. Exaltábo te, Dómine, quóniam suscepísti me:
nec delectásti inimícos méos super me.

私は主において喜びに喜ぶだろう、私の霊魂は私の天主において喜び踊るだろう。
何故なら、主は私に救いの服を着せてくださり、正義の衣服によって私を覆ってくださったからだ。その宝石によって飾られた花嫁のように。

詩篇:主よ、私は御身を高く褒めるだろう、御身は私を受け入れてくださったが故に。
御身は私の敵どもが私の上に立つことを喜ばれなかったが故に。

I will greatly rejoice in the Lord, and my soul shall be joyful in my God: for He hath clothed me with the garments of salvation, and with the robe of justice He hath covered me, as a bride adorned with her jewels.

I will extol Thee, O Lord, for Thou hast upheld me: and hast not made my enemies to rejoice over me.



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聖ピオ十世会日本 聖伝のミサ (ラテン語ミサ) SSPX Japan Traditional Latin Mass

2019年11月18日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2019年11月18日は、フォルティン神父様が東京と大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。天主に感謝!東京では53名が、大阪では30名ほどが聖伝のミサに参加されました。

フォルティン神父様のために、第二献金を寛大にしてくださってありがとうございます。東京では36,415円が、大阪では40,000円が集まりました。

ご報告を頂きましたので、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

皆様のしもべは、昨日はマニラでミサ聖祭を捧げておりました。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日は、ピーター・フォルティン神父が三たびマニラから来て下さり、聖霊降臨後第23主日のミサをあげてくださいました。

御説教では、今日の福音に登場する娘の父親(会堂司)について、彼の行ったこと、即ちすぐに主のところに行き、主を礼拝し、主に来て下さるようお願いしたことがいかに素晴らしいことであり、家庭の父親の模範となる行動であったかについて説明して頂きました。

また、過去百年間にわたってこの世の精神が特にキリスト者の家庭を攻撃してきたこと、しかしルフェーブル大司教によれば聖人のような司祭がつくられるためには聖人のような家庭が必要不可欠であること、そのためには家庭の父親はどのような資質をもつことが求められているかについて詳細にお話しされました。

今日の第2献金は、マニラの聖ピオ十世会の学校のために集められ、集まった資金はフォーティン神父にお渡ししました。ミサ中の第2献金(マニラの学校のため)として、36,415円集まりました。

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

男: 25人(内、子供5人)
女: 28人(内、子供3人)
計: 53人(内、子供8人)

【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

昨日のごミサでは、フォルティン神父様から家族が聖であること、そして父親の役割がどのようなものであるかを聞くことができました。

小さいときに それまで父親を絶対な存在と受け止めていたのに、ある時突然父親は不完全な存在だと分かり衝撃をうけたことがあったのを覚えています。

ごく小さいときは父親は雲の上にいるような絶対的な存在だったのに、理性が成長してきたあるとき現実が見えるようになって、それが崩れたということだったのかもしれません。そして、そのあともモデルとなる代わりの存在がないままでした。

父親というのはどういう存在かのお話を伺いながら、私の心には生まれて育った家庭でのあれこれのシーンがよみがえってきて、それがどれほど今目の前でカトリック司祭によって話されている家庭の姿と離れていたかを思って少しくるしかったです。

私は日本の明治大正昭和と続く家父長制度を引きずっている大家族のなかで大きくなり、それはカトリックの家庭観とは随分と異なる環境でした。このようなお話を聴く機会もないまま、親たちは必死で家庭を守ろうとしてきたことも思いました。

お説教を聴きながら、自分がカトリック信仰に導かれるまでの内的な苦闘を思いだしていました。内面的にひとりで悪戦苦闘しながら光を求めて生きていたその理由のひとつ、「天主・父のモデルの不在」を見つめる思いでした。

カトリック信仰に巡り合い、天主であるイエズス様のみことばを黙想することを教えられ、その空いてしまった部分が埋められていくように感じられるようになりました。

今、世界中で家庭の崩壊が進むと同様にカトリック教会の崩壊のことも心配されています。それは、カトリック教会が「家庭」の問題を取り上げる時も そこに天主という父のモデルが不在となってしまっていて、代わりに不完全なものに過ぎない友達パパ(平等主義:ヒューマニズム)というまがいものがモデルとされるように、取替られたことによるのかもしれないと、ふと思いました。

悪魔は家庭を攻撃するのが一番よいとわかっているという話も思いだされます。

もし、天主のかわりに人間が取って替えられ(ヒューマニズム)、汚れなき御心のマリア様の代わりに大地の女神や地母神などが置き換えられてしまうようなら、人間はほんとうの孤児(みなしご)になってしまいます。(原爆地の跡地に立つ孤児の写真というのは その象徴なのでしょうか?)

でも、そうなることは決してないと思います、無原罪の御孕りの童貞マリア様がカトリック教会を必ず守ってくだるに違いありません。主任司祭さまの導きに従って、本当の父と母であるイエズスさまとマリアさまにロザリオの祈りと小さな犠牲をお捧げするよう努めたいと思います。

ファチマの聖母 我らのために祈り給え。
秋田の聖母 我らのために祈り給え。
聖マリアの汚れなき御心のうちに。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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