「助産婦の手記」
47章
料理の講義が大切だということは、村会は、もう早く理解したが、しかし乳児の養育と病人の看護も同様に重要だということは、村会にはまだまだよく判りそうもなかった。しかし私たちは、それを試みにやって見ることにした。
私たちの助産婦協会の最近の会合で、私は童貞(シスター・修道女)のアンナさまと知り合いになった。彼女は、戦争中、赤十字に勤め、病院列車で指導していたが、今では巡回講習を行っている。私たちの村の若い母や、年頃の娘たちは、子供の正しい世話や教育のことを、もはや全くわきまえていない。そしてもし病人が出来ると、私たちは最も奇妙な事柄を見聞できるのである。ついこの間も、私の隣りの女が、その赤児のために、まとい布を作ってやったが、それで被ってやらなかった――なぜなら、まとい布は、熱を奪うからだそうである! もちろん、その憐れな子供は、その後、肺炎をわずらった。
病院で私たちは、教室を一つ用意した。アンナ童貞は、ほかの童貞たちのところに住み、そして食事には、主任司祭や教頭や村長のところへ行くか、または私のところへ来た。それはインフレーション時代である。講習参加者は、授業料の代りに、卵か粉か、またはバターを持って来てもよいことになっている。この講習が一たび発足すると、この村の連中は、きっと幾らか参加するであろう。村の長老たちには、それが何のことか、想像もできないのである。
私たちは、この講習を大いに宣伝させ、そして主任司祭は、説教台から、このことを告知された。まず最初は、看病の講習。予想外に、非常に多数の婦人と娘たちが参加したので、二部教授をせねばならなかった。その講習では、病人を自宅で正しく世話をし、栄養をとらせ、衣服を着せ、清潔に保つために、知って置かねばならぬ一切のことが教えられた。そしてこれに付随して、実習が、しょっちゅう行われた。私たちは、ベッドを二台、教室に置き、そして『病人』をその中に寝かせて、着替えさせ、洗い、布をまとう練習をした。また災難の場合の手当ての練習だの、腕や足の骨折、その他の負傷に対して包帯をする練習も行われた。病室のこと、病気見舞のこと、病人の心理的取扱いのことなども、興味を持たれた―――手落ちのことに至るまで。最後に、産褥、妊婦、婦人の悩み、更年期の特別な問題も取扱われた。
私も、この講習に参加した。共に学び、かつ助力した。そして、それによって得るところが多かった。私の母が、「人は牝牛のように非常に年をとっても、まだまだいつまでも学ぶところがあるものだよ。」と言ったのは、飽くまでも本当である。受講者の間には、興味と熱心が日々に増大した。最後に、ウイレ先生が、ちょっとした試験を行った時には、村長やまた村会議員の半数もいらっしゃった。そして驚きと認識とを隠すこともなく表明された。
これによって、基礎が作られた。数週間後に、私たちは、乳児保育講習の広告をした。すると、またもや非常に多くの人々が押しかけて来たので、講習をすぐ二度行わねばならなかった。子供についての喜びは、まだ絶滅してはいない。そして、このような講習は、その喜びを目覚まし、生き生きとして置くために良い手段である。この講習は、教育的に働きかける好い機会である。私にとっては、これらの講習は、自分の仕事を非常にやり易くしてくれた。もし婦人や娘たちが、いかに自己の生活の喜びと健康とを、不堅実、不道徳な生活によって破壊しているかということを、そしてまた、いかに自然法と天主の掟に対する違反は、報いを受けるものであるかということを、もう一度、別の方面から、かつ別の観点の下で聞くならば、彼女たちは、全くその通りだということを確かに再び信じ、そして、それを自己の誠めとするのである。少なくも暫らくの間は。
合理的な事柄ばかりでなく、非合理的な事柄もまた、いよいよ多く私たちの間に流行する。娘たちは、乳児講習のとき、「光の友」クラブについて、奇妙なことを物語ったが、それは、美と健康の増進の目的で、この村に作られたものである。そのクラブは、村はずれの森の中に、日光浴と空気浴とをするために、一定の場所を村区から当てがってもらった。なるほど、その周囲には、高い板塀が立てめぐらされたが、すぐその傍らに樹木が人を誘うように立っていたので、もちろん、数人の若者たちが、よほど以前から、その木にのぼって板塀の中には一体、何があるのか見ていた。その話によると、その中は、堕落前のパラダイスのようだそうである。男女が、あちこちに、寝そべっており、一緒に体操したり、遊戯をしたりしている――無花果(いちじく)の葉もつけないで。こういうことをすることが、いま、体の健康維持のために絕対に必要なのだそうである。人類が、この重要な知識を得るようになるまでに、実に数千年も生き延びて来ることができたという事実は、ただただ私を驚かせるのである! 人類が、着物の悪影響によって、よほど以前に滅亡すべきはずが、まだ生きているという事実が!
その光の友らは、同志を募っている。若い人たちは、もちろん、それに対して興味を覚える。娘たちは、もしそのことについて合理的に話をされれば、その事柄の中には危険が潜んでいるということがまだ判るのである。彼女たちは、異性に対する羞恥心の柵を全く取りこわしてはならないということ、特に大抵の人が、そのような心得を、もはや真面目に考えていない今のような時代には、この柵を、むしろ再びもっと丈夫に建てねばならぬということを了解するのである。
最も熱心な光の友の一人は、紡績工場の女秘書である。利口な正直な娘だが、非常に自負心が強い。彼女は、自分の思想を人に共鳴させようとするばかりではない――彼女は、青春の狂信をいだいているので、いやしくも自分のとは違う見解をもつ人だとか、古い偏見を固守しようとするような非常に旧式な人たちは、すべて彼女には、完全な馬鹿に見える!――人間は、人為的に、お互いを隔離することによってこそ、堕落するのである。裸でいれば、 人間は官能的な昂奮の鎖から解放される。すなわち真に自由人となって、地上的、動物的なものを超越する。ところが他の小人たちは、それをそんなに神経質に隠そうとしているのである。以上が彼女の信奉する福音なのである。
彼女は、また乳児保育講習を嘲笑する。一体今日、どんな女がまだ子供を作ろうとするだろうか? 女は、子孫を育てるように定められているという強制的な観念から、我々は、もう最後的に解放されねばならない。自分自身の生活をするということが、一人々々の最高の生存目的である、と。ある時、ほかの娘たちが、事務室で、アンナ童貞さまのところは、どんなに面白いか、そこでは傷害の予防法をどんなによく学ぶことができるかということを話したとき、その令嬢ベルタは、こう言った。私は何をなし、何をなすべきでないかを、すべて正しく知っている。だから、そのことについて教わる必要はない。私は自分自身をよく知っており、そして自主的な活動と力の自信がある――真に現代的なすべての婦人たちと同様に、と。
一人の新しい技師が、工場にはいった――そして日光浴クラブにも。しかし、そのクラブは、暫らくすると彼の気に入らなくなった。『板塀に囲われたこの場所は、大変冷えて、しかも狭くるしいですね、ベルタさん。本当の裸体は、自然の真只中においてのみ楽しむことができるんです。もしその裸体が自然の中にとけ込むような状態になることができるならば……もし、我々の体內にある何ものかが自然の永遠のリズムによって満たされるならばです。もちろん我々は、自然界の一つの小さな塵に過ぎないんですが、人為的に自然から分離しようとしたがっているんです……』
そこで彼らは二人きりで、高い山の森の中に上って行った。山の頂上の昼休み。背景には、人を保護し安全にする森があり、そして前方には、嬉々とした地上への遠望が開けている。暖かな夏の太陽は、嶺の上にかかっている……そこで、邪魔になる着物を脱ぎすてた。『自然の腕の中に、身を投げ入れましょう。自然の懐(ふとこ)ろの中で、人間であるということを、もう一度学びましょう……』
かようにして、彼らは束縛のない自由な憩いに身を委ねた。不思議な自然の酔いが、すべての保護の手から離れた二人の人間をつかんだ。心の慎みも、ますます弛んだ。そしてそれから……酔い心地のように、それは彼らの上に、やって来た。――
このようにして、あらゆる制止の弛んだ結果として起ったところのもの、それもあらかじめそうしようとして計画した意志をもってではないが、それにも拘らず、ただ彼らの責任によってのみ起ったところのもの、そのことが、今や最高の自然崇拝となって現われたのである。
『この前の時のようじゃなしに。』と、その娘は、次の日曜日に言った。ところが、相手の男は言った。『なぜ、そうしちゃいけないのですか? それは、最高の自然との合一じゃなかったですか? 自然の中には、到るところに、最高の目的が定められているじゃありませんか? 本当に人を酔わせる唯一の飲料! 僕たちは、あらゆる偏見を、あたかも無理に着せられた着物のように、かなぐり捨てたんです。僕たちは、自由人であって、自分の自由を享楽し、そしてその享楽を意識的に行うことによって、その責任を負わねばならぬのです。』
『リスベートさん、よくも人はそんな事柄について、実に美しいことを言うことができるものですね。ところが、いつの日にかは、どんな光輝でも消えてしまうんです――すべての言葉は、その意味を失ってしまったのです。それは、子供たちがクリスマス・ツリーからもぎ取って、地面に落すガラス丸(だま)のように粉みじんになるんです……何も、全く何も、後に残らないんです。
あの人は、私が妊娠したことを聞いたとき、私を侮辱して見捨てました。こうなると、彼はもう自然の目的ということについては、知らぬ顔をするんです……義務ということについても……責任ということについても。しかもこれは、彼がとても大言壮語して必ず自分が引き受けると言ったものですが……こうして彼は、私を捨ててしまったのです。もし義務とか責任とかを引き受けねばならぬ段になると……もし、一つの行為の結果を認めねばならなくなると、自由人というものは、どんなに憐れむべきくらい卑怯なものなんでしょう。
「君は知ってるだろう、欲しない胎児は、除き去るものだってことを。」これが、彼がやっと私に言った全部でした。』
それは、光と空気と太陽にも拘らず、難産であった。しかし、この母親は、陣痛が襲って来ると、歯を喰いしばって、その苦痛に圧倒されなかった。このような気丈夫な女は、段々珍しくなって来た。『この子供が、卑怯なルンペンを父に持ったことは、それだけで沢山です。だから、私は少なくとも正しい母になって、この子に人生の支えを得させてやりたいと思うのです……』
この独身の母親は、実に並みはずれの女であった。いかなる忠実さをもつて、彼女はその子供を大事にしたことか! あたかも彼女は、もしや、という私の考えを察したかのようであった。
『あなたは、多分私が子供をお腹に辛抱して来たことを不思議に思われるでしょう? でもそれは、神聖な自然法でありませんか? 自分の子供を胎内で殺すような母親は、どこで見いだせるでしょうか? それはただ堕落した無人格の人々のところだけです。もし小鳥が巣から落っこちれば、私たちは同情して、それをパン粥で育ててやろうと思います――それなのに、大切な人の子を、それがどんな天職を持っているかを問うことなしに殺してしまうのです! どんな貴重な宝を、全国民から奪うことになるでしょう。生命というものは、犯してはならない神聖なものです。いかなる人でも、生命を踏みつぶすことを決して引き受けてはなりません……』
『あなたは、一度も信仰したことはありませんか……?』
『いえ、決して。父はカトリック信者で、母はプロテスタントでした。父母は一致することができず、そしてどちらとしても、相手に子供を与えようとしなかったので、私は信仰を得ませんでした。私は、世界観の問題で、私と同じ基盤の上に立っていない男の人とは、 決して結婚しないつもりです。もし結婚すれば、いつも不調和があるんです――幸福な時でもそうですし、不幸の時には、とりわけ甚だしいわけです!』
とうとう非常な苦痛と苦悶の後、女の子が生れた。その子は、生存が覚束ないように見えたので、私は急いで非常洗礼を授けた。しかし私がやや骨を折った後、その子は全く元気になった。
『可哀そうな娘。』と母親は言って、涙が彼女の目に浮んだ。この短い言葉の中には、非常に多くの悩みと優しさとが、同時に含まれていた。非常に気づかわしい将来の心配が……
『この村で子供を預かるところを一つ探して下さいませんか? 私は子供をひとにやってしまいたくないんです。私がまた事務所に出るときには、勤務の前後に子供のそばにいて、それを見てやることができるでしょう……』
『では、ベルトルー奥さんが、確かに引き受けてくれるでしょう。また非常に適してもいるんです。あの人は、自分の子供を模範的に育て上げたんです。御主人は、戦争中に監禁されているうち、亡くなったのです。もっとも――あの奧さんは、確かにカトリック信者ですがね……』
『そして、その奥さんは、預かり児もカトリック的に教育するだろうと、あなたは言おうとしていらっしゃるんでしょう。それは構いません。もし子供が、もっと幸福な生活をし、そしてその人から、実母よりも、もっとよい支えを得るのでしたら……
そうです。御覧のように、結局、アンナ童貞さまの講習の中で忠告を受け、戒められた人たちのうちで一番愚かな百姓娘でも、私よりは増しだったのです……人は、機会を避けねばならぬということは、全く真実です……たとえ、自分はそんなに強く、かつ大丈夫だと感じてはいても……』