Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【再掲】2018年9月22日(土) 四季の斎日土曜日のミサ 「イエズス様の憐れみ深い奇跡を起こす日―感謝と償いの日」

2020年09月26日 | お説教・霊的講話
2018年9月22日(土)四季の斎日 土曜日のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

今日は2018年9月22日、四季の斎日の土曜日のミサをしております。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日はとても長いミサなのですが、簡単な説教をする事を許して下さい。

今日のポイントは3つあります。

⑴ローマでは、最初の迫害の300年の間、いつも主日の前には土曜日には、徹夜でミサの前の準備をしていました。迫害が特に厳しくなって、デオクレチアノ皇帝の時には、その事は既にする事が非常に困難になっていましたが、それでも復活の徹夜祭や、この四季の斎日にはその名残りが残っています。そこで多くのお祈りと読書があります。

⑵第2のポイントは、今日特にミサで、ミサのでテキストで強調されているのは、「新約のこのミサは、新約の全ての儀式は、旧約の影を実現させるものである」というところです。

特に旧約時代には、月の第7番目、第7の月には、秋の収穫の感謝と、そして幕屋祭のお祭りをしていました。これはどういう事かというと、「罪を犯していたにも関わらず、天主が憐れみを以て、これほどの地上での実りを送って下さった事を感謝する」という事、「その感謝の為に、断食や、そして祈りを捧げる」ということです。

もう1つは、「ヤーウェが、旧約の時代にモーゼを通してエジプトから脱出させてくれて、そしてシナイの砂漠をさまよっている間、マンナで養って下さった。そしてその間に天主は幕屋にも住み給うた。その幕屋を感謝する。天主がいつも私たちと共に居られる」という事を感謝する祈りです。

それが旧約の時代という影が、新約の実体ではこの9月です。9月というのは実はラテン語では「7番目の月」と言うのです。“september(セプテンベール)”というのはつまり、「7(septem)の月」といういみです。「それによって完成させられた。なぜかというと、霊的な実りを私たちは受け取って、そしてこの地上で悪魔から、洗礼を以て解放されて、そしてイエズス・キリストの御体によって、天からの本当のマンナによって養われ、そして天主の本当の幕屋である教会を持っている。私たちの霊魂が天主の幕屋となる」という事を実現しているからです。


⑶第3のポイントは、福音です。これは福音では、2つの話が語られます。関係ないように見えて、実は深い関係があります。

1つは、私たちは新約の時代に生きていて、イエズス様の為に多くの実りをもたらさなければならない者であるにも関わらず、しかしあまりにもこの地上の事に関わっているが為に、天主に祈りを捧げる事ができない、霊的に実をもたらしていない、イエズス様の為に実を付ける事ができない、役に立たない木のようである。しかし、そのような私たちを見て天主聖父(おんちち)は、「あぁ、この木を植えて、洗礼を授けて、もう何年にもなるにも関わらず、全く実りを付けない。何で私のこの公教会という畑に植わっているのか。実りは無いではないか」と言うと、農夫であるイエズス様が天主聖父に、「お待ち下さい。この根の周りに溝を掘って肥やしをやります。水をかけます。太陽がちゃんと照るように心を砕きます。どうぞもう少しお待ち下さい。しかしそれにもかかわらず実を付けないのであれば、抜き取って焼いて下さい。火にくべて下さい。」

「イエズス様は私たちの為に、私たちが霊的な実を付けるように心を砕いて下さる。その為に肥やしとして、御自分の御体を与えて、聖父に執り成して下さる。御血を、御自分の御血を以て、手で作られない幕屋に入って、そして私たちの為に、永遠の大司祭として執り成しをして下さる」という事が話されます。

そしてそればかりか、今日は土曜日ですけれども、旧約の時代ではこの土曜日の事を “sabbato” 「安息日」と言っていました。この土曜日に、あまりにも地上ばかりを見て、この地上の事だけを見て、背中が曲がってしまった老人のように、真っ直ぐになる事ができない私たちにイエズス様がやって来て、「18年間、天を見る事もできないのか。真っ直ぐになれ」と言うと、今日この安息日に、おばあさんがシャキッと天を見る事ができて、天主を讃美した奇跡が起こります。

もしもこのおばあさんの腰をも真っ直ぐにする事ができたのであったならば、イエズス様は私たちの霊魂をも、この地上の事から引き上げて、引き離して、真っ直ぐに上げる事ができます。「今日その事が起こる」と教会は言っています。なぜかというと、聖体拝領誦の時に私たちは、「旧約の時代が過ぎ去って、新約の時代が、御聖体拝領によって完成させられる」事が歌われるからです。イエズス様が御体を、御血をも、肥やしとして私たちに与えて下さるからです。

ですから今日は、このイエズス様の憐れみ深い奇跡を起こす日である、という感謝と償いの日として、そして四季の土曜日を過ごす事に致しましょう。マリア様に御取り次ぎを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。









ナイムの寡婦の一人息子を復活させたイエズス様の様子を見ると私たちには2つの事が分かる

2020年09月26日 | お説教・霊的講話
2020年9月13日(主日)聖霊降臨後第15主日
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父メッセージ



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄妹姉妹の皆様、今日のミサの福音では、イエズス様が奇跡を行なった歴史的な出来事を読みました。

「ナイムの寡婦の一人息子を復活させた」このイエズス様の様子を見ると、私は本当に、私たちには2つの事が分かると思います。

1つは、イエズス様が、私たち人間の事をどれほど深い愛を以って愛しておられるかという事です。

第2は、イエズスがマリア様をどれほど愛しておられるかという事です。

イエズス様は、私たちを愛して、そして私たちから悲しみを取り除いて、私たちを喜ばせようと、いつも思っておられます。

そして今日ナイムの青年が復活したように、私たちも洗礼を受けた時に、霊的に復活しました。
私たちにとって最も大事な価値は、最も重要な大切な宝物は、この「三位一体の超自然の命が、私たちの中に生きている」という事です。この「命」こそが、「イエズス様と一致している」という事こそが、私たちにとって最も大切な価値を持っています。

なぜかというと、これこそが、私たちを永遠の命に導くからです。もしもこれを失ってしまっては、もしも罪を犯す事によってこれを無くしてしまっては、成聖の恩寵を失ってしまっては、私たちはもう天国に行く事はできなくなってしまいます。私たちには尊厳を失ってしまいます。私たちは地獄に行くにふさわしい者と、永遠の死を受けるにふさわしい者となってしまうからです。

ですから、この私たちが洗礼の時に頂いたこの超自然の命、三位一体の命を大切に守るように致しましょう。天主様の御恵みによって守る、という決心を立てましょう。

そして私たちには、問題・不幸な事・あるいは辛い事・嫌な事がたくさん身に降りかかるかもしれません、「あぁ、何でこんな事が」「何でそんな事が」と。

しかし私たちは、「十字架の中」にのみ、本当の解決策、本当の手段、本当の答えを見つける事ができます。

そうすると、私たちにとって最も大切なのは、イエズス様と一致している事ですから、天主の命を守る事ですから、むしろ「十字架の中」にこそ、実はイエズス様との一致を見出して、イエズス様の愛を感じて、私たちにとっては喜びの元となったり、幸せの、幸福の元となります。

ですから、この「イエズス様との一致こそが大切だ」という事をいつも頭に、念頭に置く事ができるようにお祈り致しましょう。

第2に、今日ナイムの寡婦を自分で進んで慰めようと思ったのは、これはもちろんイエズス様が、マリア様の事を思ったからに違いありません。

なぜかというと、「もうすぐ、寡婦のマリア様も、ご自分の御一人子を十字架の上で失ってしまう」という事を思いやったからに違いありません。ですから「ぜひ、」マリア様とこのナイムの婦人がこの一致して、「あぁ、何とか、何とかしたい」と思ったに違いありません。

ですから、頼まれもせずに、このお母さんを慰めました。

ですから私たちも、マリア様を、イエズス様と同じように愛する事に致しましょう。そしてマリア様を御悲しませさせないように、マリア様をできるだけお喜ばせする事ができますように、お祈り致しましょう。

明日は、十字架の称讃の祝日で、明後日は、マリア様の御悲しみの祝日です。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。






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