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アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
新年のお慶びを申し上げます。
旧年中は多くの祈りとご支援をありがとうございました。今年もよろしくお願いします。
新年が愛する兄弟姉妹の皆様にとって良き年となりますように。
クリスマスの特別献金として「聖ピオ十世会教会建設基金」のゆうちょ口座に総計で次の金額が振り込まれました。愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご支援に感謝いたします。
東京:261,000円
大阪: 25,000円
クリスマスの特別献金はまだ受け付けておりますので、まだの方々もよろしくお願いします
感謝の気持ちを込めて、12月31日から1月3日まで、四回続けて聖ピオ十世会を支援してくださる兄弟姉妹の皆様のご意向でミサをおささげ致します。
旧年は、いわゆるコロナ禍で、私たちの予定や計画は吹き飛んでしまいました。それでも、キトの良き出来事の聖母に巡礼に行くことができたことは特別のお恵みでした。
日本の聖ピオ十世会にとっても、恵みを多くいただいた年でした。
1月の初金の御ミサ、そして初土の御ミサと聖母行列から、日本でのミッションが始まりました。
聖ヨゼフ様の月である3月から、私は日本に常駐するようになりました。そのおかげで、毎週主日に東京と大阪とでミサを聖伝のミサを捧げることができました。
4月には聖ピオ十世会日本として初めての聖週間が捧げられました。復活祭から東京では主日に三回のミサが捧げられるようになりました!
聖母聖月の5月には霊的秋田巡礼が行なわれ、5月から大阪ではコロナの終息を祈願して聖母をたたえて、毎週土曜日に御聖体降福式が行なわれるようになりました。
6月13日には、ファチマの日として、マリア様の汚れなき御心を讃えての聖母行列が行なわれました。
7月のうみの日には東京でマーチ・フォー・ライフが行われ、翌日のスポーツの日に初めての大阪でもマーチ・フォー・ライフが行なわれました。大阪では10月13日のファチマのように雨の中をファチマのマリア様と、日本の回心の為に歩きました。
8月には秋田巡礼を行いました。秋田で日本で初めての御聖体行列が行なわれました。巡礼の最後の日には、新たに多くの方が無原罪の聖母の騎士として生まれました。
11月1日の諸聖人の大祝日には、聖ピオ十世会50周年という素晴らしき日を、東京と大阪の両方の御ミサで御祝いする事ができました。
12月のクリスマスには、このコロナ禍で世界中で御ミサが無くなってしまっている中、日本の大阪では真夜中の御ミサと暁のミサ、東京では日中のミサが捧げられました。
イエズス様の聖心は私たちに、私たちの想像を遙かに超える計り知れない御恵みを、マリア様の汚れなき御心を通して、今年一年与え続けて下さいました。
これら溢れるばかりの非常に多くの御恵みを頂きましたことを、天主至聖三位一体に、イエズス様の聖心に、マリア様の汚れなき御心に、ヨゼフ様に深く感謝致します。
新年は全て、天主様の愛の御手の内ですが、私たちはこれからも、イエズス様の聖心の信心、ロザリオの十字軍、初土の信心、マリア様の汚れなき御心の信心、特別聖年の聖ヨゼフの信心を、御捧げしていきましょう。
一月一日 主の御降誕の八日目
一級祝日 白
ミサ聖祭
(指定巡礼聖堂。ティベル河の彼方の聖マリア大聖堂)
5世紀以来、公教会は、「偶像崇拝を禁じる」という典礼をつくり、ローマで行われていた正月の不道徳な祭典を排除しようとした。しかし、本日の典礼は、9世紀からのものである。新しい年の初めの本日は現在では守るべき祝日である。典礼にあずかって本日を聖とすべきである。われらには、過ぎ去った一年のために天主に感謝し、来るべき一年のために恩寵を願う必要がある。新年を迎えて喜ぼう。今年も主の年である。あるいは今年誰かは、キリストを見奉るために、永遠の国に行かねばならないかもしれないことを忘れてはならぬ。本日、おめでとうを、信者同士の愛徳の表れとして、心から語り合い、その言葉を実践しよう。
* * *
罪の身体を負ってこの世に降り給うた天主の御子は、モイゼの律法に従って、生後八日目に割礼を受け、福音書にあるとおり、イエズスと命名された。この名は、あらゆる名にまさる名であり、イエズスの使命と御業とを表している。
Die 1 Ianuarii | 一月一日 |
IN OCTAVA NATIVITATIS | 主の御降誕の八日目 |
I classis | 一級祝日 |
Statio ad S. Mariam trans Tiberim | 指定巡礼聖堂 ティベル河の彼方の聖マリア大聖堂 |
Ant. ad Introitum. Is. 9, 6. | 入祭文 イザイア 9ノ6 |
Puer natus est nobis, et fílius datus est nobis : cuius impérium super húmerum eius : et vocábitur nomen eius magni consílii Angelus. | 幼児(おさなご)がわれらに生まれた、息子がわれらに与えられた。その主権は彼の肩の上にあり、その名は、大いなる御計画の使者と呼ばれるだろう。 |
Ps. 97, 1. | 詩篇97ノ1 |
Cantáte Dómino cánticum novum : quia mirabília fecit. | 主に、新しい歌を歌え。主は不思議な業を行い給うたからである。 |
V/.Glória Patri. | V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 |
Puer natus est nobis, et fílius datus est nobis : cuius impérium super húmerum eius : et vocábitur nomen eius magni consílii Angelus. | 幼児(おさなご)がわれらに生まれた、息子がわれらに与えられた。その主権は彼の肩の上にあり、その名は、大いなる御計画の使者と呼ばれるだろう。 |
Oratio. | 集祷文 |
Deus, qui salútis ætérnæ, beátæ Maríæ virginitáte fecúnda, humáno géneri prǽmia præstitísti : tríbue, quǽsumus ; ut ipsam pro nobis intercédere sentiámus, per quam merúimus auctórem vitæ suscípere, Dóminum nostrum Iesum Christum, Fílium tuum : Qui tecum vivit. | 天主よ、御身は、聖マリアの実り豊かな童貞性により、人類に、永遠の救いの報いを備え給うた。願わくは、この聖母が私たちのために取次ぎ給うことを我らが知るを得んことを。この同じ聖母を通して、われらは、生命のつくり主である御子われらの主イエズス・キリスト受けることができた。御身と共に、(…)。 |
Léctio Epístolæ beati Páuli Apóstoli ad Titum. | 使徒聖パウロの、ティトへの書簡の朗読。 |
Tit. 2, 11-15. | ティト 2ノ11-15 |
Caríssime : Appáruit grátia Dei Salvatóris nostri ómnibus homínibus, erúdiens nos, ut, abnegántes impietátem et sæculária desidéria, sóbrie et iuste et pie vivámus in hoc sǽculo, exspectántes beátam spem et advéntum glóriæ magni Dei et Salvatóris nostri Iesu Christi : qui dedit semetípsum pro nobis : ut nos redímeret ab omni iniquitáte, et mundáret sibi pópulum acceptábilem, sectatórem bonórum óperum. Hæc lóquere et exhortáre : in Christo Iesu, Dómino nostro. | いと愛する者よ、すべての人々に、私たちの救い主、天主の恩寵があらわれた。それは、不敬虔と世俗の欲望をすてて、この世において、思慮と正義と敬虔とをもって生きるために、幸福な希望と、偉大な天主であり救い主であるイエズス・キリストの光栄のあらわれを待ちつつあれと私たちに教える。イエズスは、私たちのためにご自分をお与えになった。それは私たちを全ての邪悪からあがない、善業に熱心に従い、受け入れられる民としてご自身のためにきよめるためであった。このことを、私たちの主イエズス・キリストにおいて、話し、勧めよ。 |
Graduale. Ps. 97, 3 et 2. | 昇階誦 詩篇 97ノ3-4,2 |
Vidérunt omnes fines terræ salutare Dei nostri : iubiláte Deo, omnis terra. | 地の果ての全ては、われらの天主の救いを見た。全地よ、天主に喜べ。 |
V/.Notum fecit Dominus salutare suum : ante conspéctum géntium revelávit iustitiam suam. | 主は、御自分の救いを知らせた。国々の目の前で、御自分の正義を示し給うた。 |
Allelúia, allelúia. V/.Hebr. 1, 1-2. Multifárie olim Deus loquens pátribus in Prophétis, novíssime diébus istis locútus est nobis in Fílio. Allelúia. | アレルヤ、アレルヤ、 V/.ヘブライ1ノ1,2 天主はいろいろな方法で、その昔、預言者において先祖らに話し給うたが、この終わりの日々には、御子において私たちに話し給うた、アレルヤ。 |
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Lucam. | ルカによる聖福音の続誦。 |
Luc. 2, 21. | ルカ 2ノ21 |
In illo témpore : Postquam consummáti sunt dies octo, ut circumciderétur Puer : vocátum est nomen eius Iesus, quod vocátum est ab Angelo, priúsquam in útero conciperétur. | そのとき、幼児が割礼をうける八日目になったので、胎内にやどる前に天使によって呼ばれたように、その子の名をイエズスと名づけた。 |
Credo | 信経 |
Ant. ad Offertorium. Ps. 88, 12 et 15. | 奉献文 詩篇 88ノ12,15 |
Tui sunt cœli et tua est terra : orbem terrárum et plenitúdinem eius tu fundásti : iustítia et iudícium præparátio sedis tuæ. | 天は御身のもの、地は御身のものである。地球とそこに満ものを御身は築き給うた。正義と公平とは、御身の座のいしずえである。 |
Secreta. | 密誦 |
Munéribus nostris, quǽsumus, Dómine, precibúsque suscéptis : et cæléstibus nos munda mystériis, et cleménter exáudi. Per Dóminum. | 主よ、願わくは、われらの供え物と祈りとを受け入れ給い、天の神秘によりわれらを浄め給え、そして仁慈もてわれらの祈りを聞きいれ給え。天主として、 |
Præfatio de Nativitate Domini. | 序誦 御降誕の序誦 |
Vere dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus. Quia per incarnáti Verbi mystérium nova mentis nostræ óculis lux tuæ claritátis infúlsit: ut, dum visibíliter Deum cognóscimus, per hunc in invisibílium amórem rapiámur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cœléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes: Sanctus, Sanctus, Sanctus... | 主よ、聖なる父、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。なぜなら、託身した御言葉の玄義によって、われらの精神の目に、御身の輝きの新しい光が、輝き出でし故なり。そは、われらが目に見えるやり方で天主を識り奉る時、これによって見えざるものらの愛に心ひかれるためなり。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共に、また、天の万軍と共に、われらはきわまりなく、主の御光栄の讃歌を歌い奉る。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、… |
Ant. ad Communionem. Ps. 97, 3. | 聖体拝領誦 詩篇 97ノ3 |
Vidérunt omnes fines terræ salutáre Dei nostri. | 地の果ての全ては、われらの天主の救いを見た。 |
Postcommunio. | 聖体拝領後の祈 |
Hæc nos commúnio, Dómine, purget a crímine : et, intercedénte beáta Vírgine Dei Genetríce María, cæléstis remédii fáciat esse consórtes. Per eúndem Dóminum. | 主よ、この聖体拝領が、われらを罪より浄めんことを。天主の御母童貞聖マリアの取り次ぎによって、われらを天の薬を共にするものと成し給わんことを。その同じわれらの主(…) |