Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

カトリック聖伝のミサ 聖ピオ十世会 Traditional Latin Mass in Tokyo and Osaka SSPX Japan

2021年01月01日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

今日東京のミサに来られた方は、子供達も入れて合計60人でした。
大阪では25人でした。大阪では、初金に恒例の短い聖時間を行いました。
日本では、85名が聖伝のミサに与ることができました。天主に感謝いたします!

【報告】【東京】
Dear Fathers:

Shown below are the number of attendees at the masses in Tokyo today.

The total number of attendees in Tokyo today was 60, including children.

10:30 mass
M: 21 (incl. 4 children)
F: 20 (incl. 6 children)
Total: 41 (incl. 10 children)

12:00 mass
M: 14 (incl. 0 children)
F: 15 (incl. 0 children)
Total: 29 (incl. 0 children)

Total of 2 masses (excl. 10 people who participated in multiple masses)
M: 31 (incl. 4 children)
F: 29 (incl. 6 children)
Total: 60 (incl. 10 children)





【参考資料】トランプ大統領がサインした聖トマス・ベケットの殉教850周年記念日の宣言

2021年01月01日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!

トランプ大統領がサインした聖トマス・ベケットの殉教850周年記念日の宣言の日本語訳をご紹介いたします。


2020年12月28日発表


本日は、1170年12月29日の聖トマス・ベケットの殉教から850周年の記念日です。トマス・ベケットは、政治家、学者、大法官、司祭、大司教、そして宗教の自由の勇敢な擁護者(lion)でした。

大憲章(マグナ・カルタ)が起草される前に、宗教の自由を行使する権利がアメリカの最初の自由として栄光ある憲法に制定される前に,トマスは、「教会は自由と平和を得るでしょう」と自らが述べたようにするために、自らの命を捧げたのです。

ロンドンの地方長官(sheriff)の息子であり,彼を殺させた国王から、かつて「下層生まれの事務官」と評されたトマス・ベケットは、成長してイングランドの教会の指導者になりました。王冠がクラレンドン法を通して天主の家に関することを【国王が教会の裁判権を】侵害しようとしたとき、トマスはその教会の権利を侵害する文書に署名することを拒否しました。激怒した国王ヘンリー二世が王の権威への侮辱だとして彼を脅し、この「貧しくて謙遜な」司祭がなぜ、あえて自分に逆らうのかと質問したとき、ベケット大司教は「天主は国王より上位の最高の支配者です」「私たちは人ではなく天主に従うべきです」と答えました。

トマスは教会を国家に従属させることに同意しなかったため、すべての財産を没収され、国外に逃亡することを余儀なくされました。数年後、教皇の介入の後に、ベケットは帰国を許されましたが、国王の教会の生活への圧迫的な干渉に抵抗し続けました。ついに国王は、トマス・ベケットが宗教的信仰を堅く擁護するのにうんざりして、次のような驚愕の声を上げたと言われています。「このお節介な司祭を取り除いてくれる者は誰もいないのか」。

国王の騎士たちが、それに応えてカンタベリー大聖堂に乗り込み、トマス・ベケットに最後通告をしました。「王の要求を受け入れろ、さもなくば死ぬぞ」と。トマスの返答は、世界中で時代を超えて響いています。この地上での彼の最後の言葉はこうでした。「イエズスの御名と教会を守るために、死を受け入れる準備はできております」。聖なる衣に身を包んだトマスは、自分の教会の壁の内側に立っていたところ【教会内】で切り倒されました。

トマス・ベケットの殉教は、歴史の流れを変えました。それは最終的に、西洋全域の教会に対する国家の権力に、多くの憲法上の制限をもたらしました。イングランドでは、ベケット殺害が、45年後に次のような大憲章の宣言へと至ったのです。「イングランドの教会が自由であり、その諸権利はこれを完全に保持し、その自由は侵害されることがない」。

国王が教会の事件に干渉することを大司教が拒否したとき、トマス・ベケットは教会と国家の交差点に立っていました。この立場は、何世紀にもわたって国家が主導した宗教的弾圧およびヨーロッパ全土での宗教戦争の後、最終的には新世界での宗教の自由の確立へと至りました。トマス・ベケットのような偉大な人物たちがいたからこそ、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは600年以上後に、アメリカ合衆国では「すべての人が同じように良心の自由と市民権という特権を持っている」、また「別の階級の人々が本来の自然権の行使を享受したのは、ある階級の人々の勝手な振る舞い(indulgence)によってであるかのように、寛容さが語られることはもはや今はない」と宣言することができたのです。【引用部分はジョージ・ワシントンのニューポートのヘブライ人への手紙から】

トマス・ベケットの死は、宗教的迫害からの自由が単なる贅沢あるいは歴史の偶然などではなく、むしろ私たちの自由に欠かせない要素であることを、すべてのアメリカ人に強力にかつ時代を超えて思い起こさせる役割を果たしています。この自由は私たちのかけがえのない宝物であり、遺産なのです。そしてこの自由は殉教者の血の値で買い取られたのです。

アメリカ人として、私たちは第一に、「暴君への反抗は天主への従順である」という信念、および自由を守ることは命そのものよりも重要であるという信念で一つになっています。もし私たちが自由の国であり続けることになるのなら、政府の役人、知事、官僚、裁判官、議員には、宗教の問題で何が正統であるかを決定したり、宗教の信者に良心に反することを要求したりすることが許されるはずはありません。自分の宗教的信念に従う権利ほど、平和で、繫栄した、徳のある社会にとって基本的な権利はありません。私が2017年7月6日にポーランドのワルシャワのクラシンスキ広場で宣言したように、アメリカの人々、そして世界の人々は今でもこう叫んでいます。「私たちは天主を求めている」と。

本日、私たちはトマス・ベケットの宗教の自由のための勇気ある行動を祝い、敬意を表し、世界中の宗教的迫害に終止符を打つための私たちの呼びかけを再確認します。昨年の国連での歴史的な演説の中で私は、アメリカは、ただ自分の心の中にある信仰に従って生きる自由を求めるすべての国の信者を支持することを明らかにしました。私はまた、世界中の官僚が、罪のない命を守りたいと願う国々の主権を攻撃することは絶対に許されないと述べました。これは、生まれた子も生まれていない子も、すべての子は天主からの聖なる賜物であるというアメリカ合衆国や多くの国々の信念を反映しています。今年の初め私は、アメリカの外交政策の中核をなす次元として宗教の自由を優先させるための行政命令に署名しました。私たちは、アメリカ外交の中心的な柱として宗教の自由を促進し、擁護し、支持するよう、195カ国以上にいるすべての大使、そして1万3000人以上のアメリカの外交官と専門家に指示しました。

私たちは、自らの信仰のために迫害に苦しむ世界中の宗教を信じる人々のために祈ります。私たちは特に、香港のヨゼフ陳枢機卿や成都の王怡牧師のような勇敢で感動的な牧者たちのために祈ります。彼らは、疲れを知らぬ希望の証人なのです。

トマス・ベケットの記憶をたたえるためには、信仰を持つ人々に対する犯罪を止め、良心の囚人たちを解放し、宗教や信仰の自由を制限する法律を廃止し、弱者や自らを守れない人々、抑圧された人々を保護しなければなりません。中世の良心に衝撃を与えた専制政治と殺人が再び起こるのを決して許してはなりません。アメリカが立つ限り、私たちは常に宗教の自由を守り続けます。

宗教のない社会は繁栄することができません。信仰のない国は持ちこたえることができません。なぜなら、正義や善、平和は、天主の恩寵なしに広まり得ないからです。

それゆえに、アメリカ合衆国大統領である私ドナルド・J・トランプは、合衆国憲法および合衆国の法律によって与えられた権限に基づき、2020年12月29日を聖トマス・ベケットの殉教850周年記念日とすることを、ここに宣言します。トマス・ベケットの生涯と遺産を記念して、学校や教会、しかるべき場所で適切な儀式を行って、この日を守るように合衆国の人々を招待します。

以上の証しとして、私は、私たちの主の2020年、アメリカ合衆国の独立245年の12月28日に、ここに署名します。

ドナルド・J・トランプ







新春の富士山

2021年01月01日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様!
あけましておめでとうございます。
新春の富士山です。
天主様の祝福が豊かにありますように!






あけましておめでとうございます。感謝の気持ちを込めて、12月31日から1月3日まで、四回続けて聖ピオ十世会を支援してくださる兄弟姉妹の皆様のご意向でミサをおささげ致します

2021年01月01日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

新年のお慶びを申し上げます。

旧年中は多くの祈りとご支援をありがとうございました。今年もよろしくお願いします。

新年が愛する兄弟姉妹の皆様にとって良き年となりますように。

クリスマスの特別献金として「聖ピオ十世会教会建設基金」のゆうちょ口座に総計で次の金額が振り込まれました。愛する兄弟姉妹の皆様の寛大なご支援に感謝いたします。

東京:261,000円
大阪: 25,000円

クリスマスの特別献金はまだ受け付けておりますので、まだの方々もよろしくお願いします

感謝の気持ちを込めて、12月31日から1月3日まで、四回続けて聖ピオ十世会を支援してくださる兄弟姉妹の皆様のご意向でミサをおささげ致します。

旧年は、いわゆるコロナ禍で、私たちの予定や計画は吹き飛んでしまいました。それでも、キトの良き出来事の聖母に巡礼に行くことができたことは特別のお恵みでした。

日本の聖ピオ十世会にとっても、恵みを多くいただいた年でした。

1月の初金の御ミサ、そして初土の御ミサと聖母行列から、日本でのミッションが始まりました。

聖ヨゼフ様の月である3月から、私は日本に常駐するようになりました。そのおかげで、毎週主日に東京と大阪とでミサを聖伝のミサを捧げることができました。

4月には聖ピオ十世会日本として初めての聖週間が捧げられました。復活祭から東京では主日に三回のミサが捧げられるようになりました!

聖母聖月の5月には霊的秋田巡礼が行なわれ、5月から大阪ではコロナの終息を祈願して聖母をたたえて、毎週土曜日に御聖体降福式が行なわれるようになりました。

6月13日には、ファチマの日として、マリア様の汚れなき御心を讃えての聖母行列が行なわれました。
7月のうみの日には東京でマーチ・フォー・ライフが行われ、翌日のスポーツの日に初めての大阪でもマーチ・フォー・ライフが行なわれました。大阪では10月13日のファチマのように雨の中をファチマのマリア様と、日本の回心の為に歩きました。

8月には秋田巡礼を行いました。秋田で日本で初めての御聖体行列が行なわれました。巡礼の最後の日には、新たに多くの方が無原罪の聖母の騎士として生まれました。

11月1日の諸聖人の大祝日には、聖ピオ十世会50周年という素晴らしき日を、東京と大阪の両方の御ミサで御祝いする事ができました。

12月のクリスマスには、このコロナ禍で世界中で御ミサが無くなってしまっている中、日本の大阪では真夜中の御ミサと暁のミサ、東京では日中のミサが捧げられました。

イエズス様の聖心は私たちに、私たちの想像を遙かに超える計り知れない御恵みを、マリア様の汚れなき御心を通して、今年一年与え続けて下さいました。
これら溢れるばかりの非常に多くの御恵みを頂きましたことを、天主至聖三位一体に、イエズス様の聖心に、マリア様の汚れなき御心に、ヨゼフ様に深く感謝致します。

新年は全て、天主様の愛の御手の内ですが、私たちはこれからも、イエズス様の聖心の信心、ロザリオの十字軍、初土の信心、マリア様の汚れなき御心の信心、特別聖年の聖ヨゼフの信心を、御捧げしていきましょう。


一月一日 主の御降誕の八日目の聖伝のミサのラテン語と日本語の対訳です。

2021年01月01日 | ミサ聖祭

一月一日 主の御降誕の八日目
一級祝日 白
ミサ聖祭
(指定巡礼聖堂。ティベル河の彼方の聖マリア大聖堂)
5世紀以来、公教会は、「偶像崇拝を禁じる」という典礼をつくり、ローマで行われていた正月の不道徳な祭典を排除しようとした。しかし、本日の典礼は、9世紀からのものである。新しい年の初めの本日は現在では守るべき祝日である。典礼にあずかって本日を聖とすべきである。われらには、過ぎ去った一年のために天主に感謝し、来るべき一年のために恩寵を願う必要がある。新年を迎えて喜ぼう。今年も主の年である。あるいは今年誰かは、キリストを見奉るために、永遠の国に行かねばならないかもしれないことを忘れてはならぬ。本日、おめでとうを、信者同士の愛徳の表れとして、心から語り合い、その言葉を実践しよう。
* * *
罪の身体を負ってこの世に降り給うた天主の御子は、モイゼの律法に従って、生後八日目に割礼を受け、福音書にあるとおり、イエズスと命名された。この名は、あらゆる名にまさる名であり、イエズスの使命と御業とを表している。

Die 1 Ianuarii 一月一日
IN OCTAVA NATIVITATIS 主の御降誕の八日目
I classis 一級祝日
Statio ad S. Mariam trans Tiberim 指定巡礼聖堂 ティベル河の彼方の聖マリア大聖堂
Ant. ad Introitum. Is. 9, 6. 入祭文 イザイア 9ノ6
Puer natus est nobis, et fílius datus est nobis : cuius impérium super húmerum eius : et vocábitur nomen eius magni consílii Angelus. 幼児(おさなご)がわれらに生まれた、息子がわれらに与えられた。その主権は彼の肩の上にあり、その名は、大いなる御計画の使者と呼ばれるだろう。
Ps. 97, 1. 詩篇97ノ1
Cantáte Dómino cánticum novum : quia mirabília fecit. 主に、新しい歌を歌え。主は不思議な業を行い給うたからである。
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。
Puer natus est nobis, et fílius datus est nobis : cuius impérium super húmerum eius : et vocábitur nomen eius magni consílii Angelus. 幼児(おさなご)がわれらに生まれた、息子がわれらに与えられた。その主権は彼の肩の上にあり、その名は、大いなる御計画の使者と呼ばれるだろう。
Oratio. 集祷文
Deus, qui salútis ætérnæ, beátæ Maríæ virginitáte fecúnda, humáno géneri prǽmia præstitísti : tríbue, quǽsumus ; ut ipsam pro nobis intercédere sentiámus, per quam merúimus auctórem vitæ suscípere, Dóminum nostrum Iesum Christum, Fílium tuum : Qui tecum vivit. 天主よ、御身は、聖マリアの実り豊かな童貞性により、人類に、永遠の救いの報いを備え給うた。願わくは、この聖母が私たちのために取次ぎ給うことを我らが知るを得んことを。この同じ聖母を通して、われらは、生命のつくり主である御子われらの主イエズス・キリスト受けることができた。御身と共に、(…)。
Léctio Epístolæ beati Páuli Apóstoli ad Titum. 使徒聖パウロの、ティトへの書簡の朗読。
Tit. 2, 11-15. ティト 2ノ11-15
Caríssime : Appáruit grátia Dei Salvatóris nostri ómnibus homínibus, erúdiens nos, ut, abnegántes impietátem et sæculária desidéria, sóbrie et iuste et pie vivámus in hoc sǽculo, exspectántes beátam spem et advéntum glóriæ magni Dei et Salvatóris nostri Iesu Christi : qui dedit semetípsum pro nobis : ut nos redímeret ab omni iniquitáte, et mundáret sibi pópulum acceptábilem, sectatórem bonórum óperum. Hæc lóquere et exhortáre : in Christo Iesu, Dómino nostro. いと愛する者よ、すべての人々に、私たちの救い主、天主の恩寵があらわれた。それは、不敬虔と世俗の欲望をすてて、この世において、思慮と正義と敬虔とをもって生きるために、幸福な希望と、偉大な天主であり救い主であるイエズス・キリストの光栄のあらわれを待ちつつあれと私たちに教える。イエズスは、私たちのためにご自分をお与えになった。それは私たちを全ての邪悪からあがない、善業に熱心に従い、受け入れられる民としてご自身のためにきよめるためであった。このことを、私たちの主イエズス・キリストにおいて、話し、勧めよ。
Graduale. Ps. 97, 3 et 2. 昇階誦 詩篇 97ノ3-4,2
Vidérunt omnes fines terræ salutare Dei nostri : iubiláte Deo, omnis terra. 地の果ての全ては、われらの天主の救いを見た。全地よ、天主に喜べ。
V/.Notum fecit Dominus salutare suum : ante conspéctum géntium revelávit iustitiam suam. 主は、御自分の救いを知らせた。国々の目の前で、御自分の正義を示し給うた。
Allelúia, allelúia. V/.Hebr. 1, 1-2. Multifárie olim Deus loquens pátribus in Prophétis, novíssime diébus istis locútus est nobis in Fílio. Allelúia. アレルヤ、アレルヤ、 V/.ヘブライ1ノ1,2 天主はいろいろな方法で、その昔、預言者において先祖らに話し給うたが、この終わりの日々には、御子において私たちに話し給うた、アレルヤ。
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Lucam. ルカによる聖福音の続誦。
Luc. 2, 21. ルカ 2ノ21
In illo témpore : Postquam consummáti sunt dies octo, ut circumciderétur Puer : vocátum est nomen eius Iesus, quod vocátum est ab Angelo, priúsquam in útero conciperétur. そのとき、幼児が割礼をうける八日目になったので、胎内にやどる前に天使によって呼ばれたように、その子の名をイエズスと名づけた。
Credo 信経
Ant. ad Offertorium. Ps. 88, 12 et 15. 奉献文  詩篇 88ノ12,15
Tui sunt cœli et tua est terra : orbem terrárum et plenitúdinem eius tu fundásti : iustítia et iudícium præparátio sedis tuæ. 天は御身のもの、地は御身のものである。地球とそこに満ものを御身は築き給うた。正義と公平とは、御身の座のいしずえである。
Secreta. 密誦
Munéribus nostris, quǽsumus, Dómine, precibúsque suscéptis : et cæléstibus nos munda mystériis, et cleménter exáudi. Per Dóminum. 主よ、願わくは、われらの供え物と祈りとを受け入れ給い、天の神秘によりわれらを浄め給え、そして仁慈もてわれらの祈りを聞きいれ給え。天主として、
Præfatio de Nativitate Domini. 序誦 御降誕の序誦
Vere dignum et justum est, æquum et salutáre, nos tibi semper, et ubíque grátias ágere: Dómine, sancte Pater, omnípotens ætérne Deus. Quia per incarnáti Verbi mystérium nova mentis nostræ óculis lux tuæ claritátis infúlsit: ut, dum visibíliter Deum cognóscimus, per hunc in invisibílium amórem rapiámur. Et ídeo cum Angelis et Archángelis, cum Thronis et Dominatiónibus, cumque omni milítia cœléstis exércitus, hymnum glóriæ tuæ cánimus, sine fine dicéntes: Sanctus, Sanctus, Sanctus... 主よ、聖なる父、全能永遠の天主よ、われらが御身に、いつもどこにても感謝を捧げるのは、実にふさわしく正しいこと、義務と救いである。なぜなら、託身した御言葉の玄義によって、われらの精神の目に、御身の輝きの新しい光が、輝き出でし故なり。そは、われらが目に見えるやり方で天主を識り奉る時、これによって見えざるものらの愛に心ひかれるためなり。ゆえに、天使、大天使と共に、座天使と主天使と共に、また、天の万軍と共に、われらはきわまりなく、主の御光栄の讃歌を歌い奉る。聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、…
Ant. ad Communionem. Ps. 97, 3. 聖体拝領誦 詩篇 97ノ3
Vidérunt omnes fines terræ salutáre Dei nostri. 地の果ての全ては、われらの天主の救いを見た。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈
Hæc nos commúnio, Dómine, purget a crímine : et, intercedénte beáta Vírgine Dei Genetríce María, cæléstis remédii fáciat esse consórtes. Per eúndem Dóminum. 主よ、この聖体拝領が、われらを罪より浄めんことを。天主の御母童貞聖マリアの取り次ぎによって、われらを天の薬を共にするものと成し給わんことを。その同じわれらの主(…)


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
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