Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【再掲】"クリスマス"と"御公現"、どう似ていて、どう違うか?

2021年01月06日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2017年1月6日(初金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年1月6日 初金曜日 主の御公現のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2017年1月6日、主の御公現という大祝日を祝っています。今日は2017年の初めての金曜日で、初金曜日でもあります。今日はこの御ミサの後に、いつものようにミサの後のお祈りを皆で一緒に致しましょう。でも今年はファチマの年なので、このミサの聖体拝領後の祈りの直後に、そして教皇様の為のお祈りの直前に、ファチマの天使が教えてくれたお祈りを皆さんと一緒に唱えたいと思っています。

今日はまだ御公現節ですので、ミサの後の感謝の祈りが終わりましたら、イエズス様の礼拝をしたいと思っています。クリスマスの夜にやったように、小さなイエズス様の御足に或いは御手に接吻をなさって下さい。

今日は初金曜日ですから、聖時間も行いたいと思っています。もしもできる方は聖時間のお祈りもなさって下さい。


Ecce advenit dominator dominus
「見よ、主であり支配者である方がやって来た。」

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は主の御公現です。主の御公現というのは、東の国の3人の博士が星を見て、その星に導かれて、来たるべき生まれた救い主、ユダヤの王、そして真の天主、王の王である方の為に、黄金とそして乳香と没薬を贈り物としてはるばるやって来て、そして生まれた幼子イエズス・キリスト様にお捧げした、という歴史的な事実をお祝いする事に基づいています。

今日はちょうどこのまぐさ桶の所に、新しく3人の王様の御像が置かれました。クリスマスの夜にはマリア様とヨゼフ様、そして真夜中にイエズス様が置かれましたけれども、今日1月6日は3人の王様が付け加えられます。そして馬小屋のこのまぐさ桶は2月2日まで、クリスマスから40日の間こうやって飾られます。

今日はでは、一体御公現というのはどんな意味を私たちが持っているのか?

クリスマスと御公現は、どう似ていてどう違うのか?という事を黙想する事を提案したいと思っています。

そしてどう似ていてどう違っているのか、というのを見た後に、遷善の決心を立てる事に致しましょう。

クリスマスの時にいらして下さった方は覚えていると思いますけれども、クリスマスはまず2つの特徴がありました。

それは「光の祝日」で、光からの光、真の天主からの真の天主、この世の光であるイエズス・キリスト様が、この真っ暗闇のこの世の中を照らす為にやって来られた。ですから昔から教会では、こうイルミネーションで飾って、光を飾るというのが伝統でした。

もう1つのクリスマスの特徴というのは、「プレゼント」だという事でした。どんなプレゼントかというと、それはこの世を創った創造主、天主様が、三位一体が、私たちに最高のプレゼントをした、クリスマスのプレゼントをした、という事でした。そのプレゼントの中身は何かというと、実は私たちに、天主の御子イエズス・キリスト様を全て下さった、イエズス様は私たちのものとなった、“PUER natus est nobis,”「天主の御子が私たちの為にお生まれになった」という特別のプレゼントを記念する事でした。

ところで御公現はどうなのでしょうか?御公現も実はそれと同じなのです。御公現も「光の祝日」であって、そして同時に「プレゼントの日」なのです。でもプレゼントはプレゼントでも、今度は「人間の方からイエズス様に贈る」プレゼントの日なのです。

何故そういう事が言えるのかというと、今日のミサで書かれている内容の事をよく読むとその事が分かります。例えば書簡書というところには、「エルサレムよ、輝け」とあります。これも「エルサレムが光で満たされる」という意味です。

クリスマスの時には、ベトレヘムに光が照らされました。でも今日の御公現では、エルサレムが輝いています。ちょうどクリスマスの時にはベトレヘムで太陽が昇って、マリア様と聖ヨゼフ様とそして選ばれた羊飼いたちだけに、「救い主が現われた」という事が告げ知らされた。羊飼いたちが、選ばれた羊飼いたちが天に、天使たちの大群、光り輝く天使たちの大群を見て、その歌声を聞いて、そしてベトレヘムに駆けつけて、そしてお生まれになった救い主を拝んだ。ですからクリスマスはいわば、カトリックの家庭の、家族の祝日でした。

ところがその昇る太陽がますます現れて、今度は全世界に、異邦人に、東の国の博士たちも呼んで、ユダヤ人とは関係ない東の国の異邦人たちも招いて、救い主を礼拝するように公に御自分を現した、というので、「エルサレムよ、輝き出せよ」という公的な特徴を持っています。まさにカトリックの、「全世界を、この救い主が今日輝き出す。ユダヤ人のみならず異邦人たちにも輝き出す」という光の日なのです。

もう1つのプレゼントというのは、これは異邦人たちが3人の博士たちが、幼子イエズス様になしたという事が、その行為によって表されています。ただこの世の救い主から、この世の創造主から救い主を与えられた、人間は特別の御恵みを受けた、のみならず、今度は人間もそれに対して、それに応えようとするのです。それがこの3人の博士が出した、この「黄金」と、「乳香」と、「没薬」なのです。

「黄金」というのは、これは実は王様に昔から与える贈り物なのです。王様に捧げる物で、これはこの生まれた方がメシアが、まさに「王様である」という事をこの3人がよく知っていたという事を表しています。

「乳香」というのは、これは特に香を焚いてその香が天に上がるので、お祈りのシンボルでもあり、これは天主様に、この世の創造主に捧げる贈り物なのです。ですからこの3人はこの生まれた救い主が、この小さな子供が、「真の天主である」という事を知っていたのです。

もう1つ驚く事は、この博士はこの生まれた子供に「没薬」を、つまり埋葬の為の準備の物を与えたのです。これは「死」とか、「苦しむ」事の準備の為に与えられました。

この3人の博士たちは良く、この生まれた、ベトレヘムでお生まれになって、そして礼拝しに来た方が一体どのような方であるか、と知っていたのです。「真の天主」であり、「真の王」であり、そして「私たちの為に苦しみを受けて亡くなられる救い主である」という事を知っていました。そしてそれに相応しい贈り物を与えました。

ですから今日、この歴史的な出来事を福音書で読んだ後に、「その博士たちがやった事と同じような事を私たちもするように」と言って、本当ならいつも福音の時には立って聞いているのですけれども、福音書に敬意を表して立ったまま聞くのですけれども、その博士たちがやったように、その福音の場所でも、「その3人は贈り物を与えて、そして平伏して礼拝した」という時に、私たちも跪いて同じように、この生まれた赤ちゃんを、イエズス・キリスト様を礼拝しました。

これはどういう事かというと、「実はこれと同じような事を、この歴史上起こったのと同じような事を今、私たちはしているんだよ」という事を教えようとしているのです。でもどのようにしているかというと、確かに目に見える形では違うのですけれども、しかし「実際は同じ事が起こっている」という事を教えようとしています。

それは集祷文を読むとよく分かります。集祷文というのは最初のお祈りですけれども、「3人の博士たちは星によって導かれたけれども、私たちは信仰という薄い光によって導かれて来ました。そして3人この博士たちがこの砂漠を越えて、色んな困難を越えて、ヘロデの罠を越えてやって来たように、私たちもこの世の人生を通り抜けて、そして悪魔の罠も通り抜けて、礼拝に来ました。それはイエズス様、御身の近くに来る為です。イエズス様を真の救い主、王として、天主様として礼拝する為にやって来ました。信仰に導かれてやって来ました。そして私たちはこの信仰に導かれて御身を礼拝します。」

この3人の博士たちがおそらく贈り物を渡した後に、マリア様から或いはヨゼフ様から、「幼子を、あぁ、どうぞ抱かせて下さい」と言って受け取ったかもしれません。「あぁ、これこそ救い主だ。あぁ、本当にここまでやって来てよかった」というように、「私たちもこの幼子を御聖体拝領で受けて、そして私たちの心からの愛と、お祈りと、犠牲を捧げて、礼拝を捧げて、イエズス様をお受けしなさい」という教会の教えがここに含まれています。

非常に意味が深いのは、特にこの2番目のお祈りなのです。2番目のお祈りは「密誦」と言われていますが、「昔は博士たちは黄金と乳香と没薬を捧げた。しかし私たちが今捧げるのはもっとそれよりも素晴らしいものだ。私たちは私たちがもう既に受けたイエズス・キリスト様のその純粋な、黄金のような純粋な天主様に対する愛を捧げるし、そしてイエズス・キリスト様が御父に捧げた純粋な祈りであるそのいけにえを、ミサのいけにえを捧げるし、そしてちょうどイエズス様が御墓で葬られた時に没薬を受けたように、私たちの霊魂にいらして下さる、そのちょうど私たちの霊魂がお墓であるかのように、私たちの中にやって来て下さる、屠られて私たちの中にやって来て下さる、聖体拝領で私たちの中にやって来て下さる、その3つの事は全てイエズス様である。その事が私たちの霊魂の中に起こっている」という事を祈っています。

では私たちはこの今日、この御公現の中で、光の祝日であって、贈り物の祝日、人間から天主様に対する贈り物の日だ、という事が分かると、ではどのような遷善の決心を立てれば良いでしょうか?

私たちも3人の博士に倣って、イエズス様に贈り物をお捧げ致しましょう。

私たちはあまり自慢する事ができません。何故かというと、本当なら3人の博士のように一生懸命純粋の黄金と、純粋の乳香と、純粋の没薬を捧げたいのですけれども、私たちは天主様に対する愛というよりは、被造物の愛によって汚れていますし、お祈りというのも乳香のようにサッと天に上れば良いのですけれども、むしろ雑念とその他の考えであまり天に上るわけではないし、そして犠牲といっても、没薬をきれいに、純粋な没薬として純粋に犠牲を捧げる事ができると良いのですけれども、なかなか犠牲も「嫌だ」「嫌だ」と言って、捧げる事ができません。

ですから私たちはイエズス様を、イエズス様御自身を、イエズス様御自身の祈りと、犠牲を、また愛を、私たちの代わりに御父にお捧げ致しましょう。イエズス様の御体、御血、御霊魂、御神性を、この世の罪の償いの為、また私たちの捧げるものとしてお捧げ致しましょう。

また儚いながらも、汚れたものではありますけれども、天使の誘いに倣って私たちも、信仰と、礼拝と、希望と、愛を、イエズス様の為にお捧げ致しましょう。そしてイエズス様を愛さない人々、信じない人々、礼拝しない人々、希望しない人々に代わって、その赦しをお願いする事に致しましょう。

Ecce advenit dominator dominus
「見よ、支配者であり主はやって来られた。」

聖父と聖子と聖霊との御名よりて、アーメン。





2021年1月10日(主日)前後の聖伝のミサの予定:Traditional Latin Mass for January 10, 2021

2021年01月06日 | 聖伝のミサの予定

アヴェ・マリア・インマクラータ!

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

愛する兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサ(トリエント・ミサ ラテン語ミサ)にご招待します。

最新情報は次のカレンダーをクリック
年間の予定はSSPX JAPAN MISSION CALENDARをご覧下さい。

今週末:2021年1月8日(金)9日(土)10 日(主日)のミサの予定を再確定します。予定通りです。

【大阪】「聖ピオ十世会 聖母の汚れなき御心聖堂」 大阪府大阪市淀川区東三国4丁目10-2 EG新御堂4階 〒532-0002 (アクセス)JR「新大阪駅」の東口より徒歩10-15分、地下鉄御堂筋線「東三国駅」より徒歩2-3分(地図

 1月8日(金)  17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

 1月9日(土) 10:00 ロザリオ及び告解  10:30 ミサ聖祭

 1月10日(日) 17:30 ロザリオ及び告解  18:00 ミサ聖祭

1月11日(月)  9:00 ミサ聖祭

【東京】 「聖ピオ十世会 聖なる日本の殉教者巡回聖堂」 東京都文京区本駒込1-12-5 曙町児童会館(地図

1月10日(日)主日ミサが三回捧げられます。

午前8時20分頃から準備が出来次第、告解の秘蹟を受けることができます。二階です。

09:00 ミサ聖祭 歌ミサ(ライブ中継をいたします)Facebook live

11:00 ミサ聖祭 読誦ミサ
12:30 ミサ聖祭 読誦ミサ

それぞれのミサの間にも告解の秘蹟を受けることができます。二階の告解の部屋に司祭は待機しております。

【お互いに社会的距離を取ることができるように、分散してミサにあずかっていただければ幸いです。】

Ave Maria Immaculata!

My dearest Brethren!

I want to reconfirm the Mass schedule for the weekend of January 10, 2021.

Mass times in Tokyo:
09:00 - Sung mass Facebook live
11:00 - Low mass
12:30 - Low mass
It would help us maintain proper social distancing if you could consider spreading your mass attendance among the three masses.
Mass location:
"Holy Japanese Martyrs' Mass Center"
Akebonocho Jido-kaikan
1-12-5 Honkomagome, Bunkyo-ku, Tokyo


Mass schedule in OSAKA:

Fri, January 8: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Sat, January 9: Holy Sacrifice of the Mass at 10:30

Sun, January 10: Holy Sacrifice of the Mass at 18:00

Mon, January 11: Holy Sacrifice of the Mass at 9:00 am.









今日、2021年1月6日は、一月の初水曜日(月の初めての水曜日)です 聖ヨゼフ!我らのために祈り給え

2021年01月06日 | カトリックとは

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日、2021年1月6日は、私たちの主の御公現の祝日です。

同時に、一月の初水曜日(月の初めての水曜日)です。今年は、聖母の汚れなき御心と聖ヨゼフとの取り次ぎを通して、私たちの主の御聖体に対する冒瀆的な取り扱いに対する償いを捧げましょう。

初水曜日に「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」について黙想することをご提案します。


聖ヨゼフはこの世で天主イエズス様と浄配なる聖母マリア様を最も良く知り、愛された御方であり、その隠れた徳ゆえに偉大なる御方、イエズス様とマリア様の最大の命の恩人であられました。

また、聖ヨゼフは、この世では、全てを天主の栄光のために、隠れてその生涯をささげられたが故に、天にて聖母の次に最大の栄光をあたえられていらっしゃいます。

聖伝では、水曜日は聖ヨゼフに捧げられた曜日であり、月の最初の水曜日を聖ヨゼフに捧げることで、聖ヨゼフを讃え、その御取次に信頼し、その御徳に倣って、聖ヨゼフを通して、天主イエズス様とマリア様をお愛しすることができますように。

初土曜日の「聖母の汚れ無き御心」への信心にならって、この「聖ヨゼフの七つの御喜びと御悲しみ」のどれかを「15分間黙想」することにいたしましょう。

聖ヨゼフの帯の信心については、下記リンクをごらんください。
聖ヨゼフの帯 cingulum Sancti Joseph

聖ヨゼフの御取次ぎにより、聖母の汚れ無き御心とイエズスの至聖なる聖心ヘの愛をますます与えてくださいますように!
聖ヨゼフの御取次ぎにより豊かな祝福がありますように!

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


聖ヨゼフの7つの苦しみと喜び

1 ああいと潔き御母マリアの浄配、栄えある聖ヨゼフよ、御身のいと清き妻を失なわんと心に思い煩いし時の苦しみはいと大いなるものなりき。
されど天使が御託身の玄義を御身に伝えられし時の喜びは、またひとしお大いなりき。この苦しみ、この喜びにより、今も臨終の時も我らの心を潔き良心の喜びと、イエズス、マリアのうちに自我を滅する尊き御身の心を示し、我らを慰め給え。



2 ああいと幸いなる保護者聖ヨゼフよ、御身は人となり給いし御言葉の潔き養父の位にあげられたれども、御身は幼きイエズスがいと貧しき中に生まれ給うを見て大いに悲しみ給いしが、
天使らのたえなる歌声を聴き、その輝ける夜の栄えを見給うや、その悲しみは天的の喜びと変じたり。御身のこの悲しみ、この喜びによりて、我らもまたこの世の歩みを終えたる後、天使らの賛美の歌声を聴き、天的光栄の輝きを受け得んことを願い奉る。



3 ああ御摂理にいと従順なしもべなる、栄えある聖ヨゼフよ、幼きイエズスが割礼にて流されたる尊き御血は御身の心を苦痛もて貫きたれども、
イエズスと命名されるや御身の心は喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らをこの世の悪徳より離れしめ、イエズスのいと尊き御名を心から唱えつつ心満たされてこの世を去るを得しめ給え。



4 ああいと忠誠なる聖ヨゼフよ、御身は救世の玄義の成就に身をもって大いなる役を果たされしが、シメオンの預言によりイエズスとマリアが受け給うべき苦難を予知せられ苦しみ給いたれど、
数限りなき人々の霊魂がこれによって救わるるとの預言によりて、天的喜びに満たされたり。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らがイエズスの功徳と聖母マリアの御取次ぎにより、終わりなき栄えを得てよみがえる人々のうちに数えられる御恵みをとりなし給わんことを願い奉る。



5 ああ人となり給いし天主の御子のいとも注意深き保護者なる栄えある聖ヨゼフよ、御身はいと高きものの御子を養い給い、これに仕えるために多くの辛酸をなめられたり。わけてもそのエジプトへの逃避はいと苦しきものなりしが、
御身が常に天主御自身と共におられし喜び、またエジプト人らの諸々の偶像が地に落とされしを目の当たりに見られし時の安心はいと大いなりき。この御身の辛酸と喜びとによりて、我らが地獄的暴君より免れて、わけても危険なる機会より逃避する事を得しめ、我らの心のうちに地上的執着が落とされ、ひたすらイエズスとマリアに仕え奉りつつ日々の生活を送り、この世を幸いに終わる事を得しめ給え。



6 ああこの地上の天使なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の心を天の王に全く捧げられたり。御身がエジプトより戻られる喜びは、アルケラウスに対する憂慮にて不安の闇となりしが、
天使は再び御身にイエズスとマリアと共にナザレトにて楽しく住み給う事を約束せられたり。御身のこの苦しみ、この喜びによりて、我らの心を深い恐怖より免れしめ、潔き良心の平和を楽しみ、イエズスとマリアと共につつがなく世を送り、臨終においてはイエズスとマリアの御手に我らの霊魂を捧ぐる事を得しめ給え。



7 ああ全ての徳の鑑なる栄えある聖ヨゼフよ、御身は御身の誤りにあらずして幼きイエズスを見失い、三日の間苦しみもて捜し求められたり。
されど神殿の中に博士らに取り巻かれたるイエズスを見出されし時の喜びはいかに大いなりや。御身のこの苦しみ、この喜びにより、我らが大罪を犯しイエズスを失いたりせば、たゆまず彼を捜し求め、遂に再び巡り会えるよう、わけても臨終の時に彼と共にありて天国に至り、御身と共に天主の終わりなき御恵みを賛美し奉るようとりなし給わんことを心から願い奉る。



交唱 イエズスが教えをはじめたりしは三十歳ごろなり、人々、イエズスをヨゼフの子なりと思いたり。(ルカ3:23)

V 聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え。
R キリストの御約束に我らをかなわしめ給え。

祈願 天主、御身のかしこき御摂理のうちに祝せられたヨゼフを至聖なるマリアの浄配に選び給いたれば、願わくはこの世の我らの保護者として崇め奉る彼が、我らの天のとりなし手となり給わんことを。 アーメン。

参考リンク
サンタフェ~奇跡の階段 コラレス通り1丁目 この記事に昔の階段の様子の写真があります。

聖ヨゼフの階段(アメリカのニューメキシコ、サンタ・フェにあるロレット・チャペル)



英語ではこちら。
THE SEVEN DOLOURS AND SEVEN JOYS.

i. St. Joseph, pure spouse of most holy Mary, the trouble and anguish of thy heart were great, when, being in sore perplexity, thou wast minded to put away thy stainless spouse: but this joy was inexpressible when the archangel revealed to thee the high mystery of the Incarnation.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee comfort our souls now and in their last pains with the consolation of a well-spent life, and a holy death like unto thine own, with Jesus and Mary at our side.
Pater, Ave, and Gloria.

ii. St. Joseph, Blessed Patriarch, chosen to the office of Father of the Word made Man, the pain was keen that thou didst feel when thou didst see the Infant Jesus born in abject poverty; but thy pain was changed into heavenly joy when thou didst hear the harmony of angel-choirs, and behold the glory of that night when Jesus was born.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee obtain for us, that, when the journey of our life is ended, we too may pass to that blessed land where we shall hear the angel-chants, and rejoice in the bright light of heavenly glory.
Pater, Ave, and Gloria.

iii. St. Joseph, who wast ever most obedient in executing the law of God, thy heart was pierced with pain when the Precious Blood of the Infant Saviour was shed at His Circumcision; but with the Name of Jesus new life and heavenly joy returned to thee.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, being freed in our life from every vice, we too may cheerfully die, with the sweet Name of Jesus in our hearts and on our lips.
Pater, Ave, and Gloria.

iv. St. Joseph, faithful Saint, who wast admitted to take part in the redemption of man; the prophecy of Simeon foretelling the sufferings of Jesus and Mary caused thee a pang like that of death; but at the same time his prediction of the salvation and glorious resurrection of innumerable souls filled thee with a blessed joy.
By this thy sorrow and thy joy, help us with thy prayers to be of the number of those who, by the merits of Jesus and his Virgin Mother, shall be partakers of the resurrection to glory.
Pater, Ave, and Gloria.

v. St. Joseph, watchful Guardian, friend of the Incarnate Son of God, truly thou didst greatly toil to nurture and to serve the Son of the Most High, especially in the flight thou madest with Him unto Egypt; yet didst thou rejoice to have God Himself always with thee, and to see the overthrow of the idols of Egypt.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us grace to keep far out of the reach of the enemy of our souls, by quitting all dangerous occasions, that so no idol of earthly affection may any longer occupy a place in our hearts, but that, being entirely devoted to the service of Jesus and Mary, we may live and die for them alone.
Pater, Ave, and Gloria.

vi. St. Joseph, angel on earth, who didst so wonder to see the King of heaven obedient to thy bidding, the consolation thou hadst at His return was disturbed by the fear of Archelaus, but nevertheless, being reassured by the angel, thou didst go back and dwell happily at Nazareth, in the company of Jesus and of Mary.
By this thy sorrow and thy joy, obtain for us, that, having our hearts freed from idle fears, we may enjoy the peace of a tranquil conscience, dwelling safely with Jesus and Mary, and dying at last between them.
Pater, Ave, and Gloria.

vii. St. Joseph, example of all holy living, when, though without blame, thou didst lose Jesus, the Holy Child, thou didst search for Him for three long days in great sorrow, until with joy unspeakable thou didst find him, who was as thy life to thee, amidst the doctors in this Temple.
By this thy sorrow and thy joy, we pray thee with our whole heart so to interpose always in our behalf, that we may never lose Jesus by mortal sin; and if (which God avert) we are at any time so wretched as to do so, that we pray thee to aid us to seek Him with such ceaseless sorrow until we find Him, particularly in the hour of our death, that we may pass from this life to enjoy Him for ever in heaven, there to sing with thee His divine mercies without end.
Pater, Ave, and Gloria.

Ant. Jesus Himself was about thirty years old, being, as was supposed, the son of Joseph.

V. Pray for us, holy Joseph.
R. That we may be made worthy of the promises of Christ.

Let us pray.
O God, who in Thine ineffable providence didst vouchsafe to choose blessed Joseph to be the husband of Thy most holy Mother; grant, we beseech Thee, that we may have him for our intercessor in heaven, whom on earth we venerate as our holy protector. Who livest and reignest world without end. Amen.


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