新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

安部龍太郎『ふりさけ見れば』日経小説その⑥9~10月分

2022年10月25日 | 本・新聞小説
752年、吉備真備は遣唐使船で18年ぶりに再び唐に向かいました。5月初頭に難波津を発ってから12月長安に到着、18年ぶりに阿倍仲麻呂と再会します。
仲麻呂は前回の遣唐使船で帰国予定でしたが、多治比広成から唐に残り唐の史書の内実を探る命を受けます。つまりスパイです。
唐の要求で提出した日本書紀が2度にわたり、唐の史書と矛盾することを指摘されました。どこが矛盾するのか知るためには仲麻呂が秘書監になって唐の史書の内実を探る他はないということからでした。

それから長い年月の内に、仲麻呂の心は汚れ、心を鬼にして張九齢や王維らと袂を分かち汚れ仕事を引き受け、李林甫を裏切り楊国忠に恩を売りようやく秘書監につくことができました。

やはり日本書紀の調査のために残留していた弁正の口から『翰苑』に書かれている「倭人の祖は呉の太白」が、その以前に記された『魏略』の記述に依っていることを突き止めます。鍵は『魏略』。その保管場所は誰も入れない「秘府」。

仲麻呂の再婚の妻・玉鈴やその姉・楊貴妃の力を経て玄宗皇帝から秘書監に任命された仲麻呂は難関だった秘府に入り遂に『魏略』を目にすることができます。

『魏略』には、「太白に始まる呉国は越王に滅ぼされ、呉の王族は船団を組んで北に向かい、一部は益救嶋(やくしま)や多祢島(たねじま)、薩摩に着き、一部は筑紫の海に流れ着いた·······筑紫や肥前に住んだ者たちは邪馬台国を立て、薩摩に住んだ者たちは隼人の国の中枢を担う。
やがて時代が下り、隼人の国に住んだ者たちは広い耕作地を求めて北上を始める。きっかけは火の山が爆発し灰が降ったから。北上した一族は邪馬台国を立てていた同族に救いを求めるが、同族だったのは遥か昔のことと冷たく追い払われる。やむなく瀬戸内海を東に向かい、紀伊の国にたどり着き勢力を広げ、大和の飛鳥の地に国を立てた。そして薩摩や日向に残っていた同族を呼び集め、邪馬台国に匹敵する大国になった。故に邪馬台国と大和は今でも犬猿の仲である」と。
仲麻呂は神武天皇の東征と似ていると興奮します。両者が同族だったという記述は、禅譲がなされた記録がなくても皇統の正統性には問題ないと確信を持ちます。やっと目的の唐の史書を見つけたのです。仲麻呂が唐の地に入って、時は既に36年も経っていました。

そして玄宗皇帝に『日本書紀』を日本の国史と認めてもらい、それを遣唐使が帰国する際に天皇に与える国書に記してもらうように動き始めます。それには王維に頼るしかない・・・。
王維とは途中気まずい関係に陥りながらも、仲麻呂の意を汲んで格調高い名文を作成し純粋に心を注いでくれたのです。

仲麻呂の妻・若晴は宰相・張九齢の姪で、翔と翼の双子の男児をもうけた幸せな家庭でした。
しかしスパイという密命を帯びた仲麻呂は強引に若晴と別れ、楊貴妃の姉・玉齢と結婚。ツテと実力で出世の階段をかけ昇っていくのです。
翔と翼は先の遣唐使の帰国時に日本に移り、知識を生かしながら中央で活躍します。




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