<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



カメラのキタムラへ行くと、今、フォトブックを広めようとあれやこれやとディスプレイしている。
デジカメ写真を写真プリントすると、やはりインクジェットプリンタで印刷するより美しい。
だから「これぞ」という写真についてはいつも写真屋さんプリントに出すことにしている。

そういう人は少なくないらしく、デジカメ登場で滅びるかも知れないと思われたDPEショップも、予想に反してフィルム時代より繁栄している様子だ。
そうなるとショップの方でも2匹目のドジョウを狙って次の手を打ってきたというわけだ。

カメラのキタムラに展示されているフォトブックはその一例だ。

私も数年前から旅行に出かけたりすると、フォトブックを作ったりしている。
かつてはDVDのスライドショーを作ったりしていたのだが、やはりテレビで見るよりも冊子になっているほうが人に贈りやすいし、自分自身も見やすい。
私の場合はキタムラのフォトブックではなく、MacユーザなのでiPhotoのフォトブックということになる。

iPhotoで作るフォトブックはいくつかの点でショップの製品よりも面白いと私は思っている。
そのいくつかをあげると、まずは長所、

1.ページ数を自由にかなり増やすことができる。
2.レイアウトパターンも豊富
3.キャプションを入れやすい。
4.横長がある。
5。ページ数の割にそこそこ求めやすい金額。

といったところだ。
とりわけ1と4は重要だと思う。
ページ数はショップのものなら10ページや20ページが基本になっているようなのだが、iPhotoブックは確か200ページぐらいまで自由に増やすことができる。
それと、意外なことかもしれないが、ショップのフォトブックは体裁が正方形になっているものが多く、迫力に欠けるし、保管しにくいというものがある。
4の横長長方形のフォトブックを「この価格で作れる」のは、もしかするとiPhotoブックだけかも。

一方短所として、

1.画質がいまいち
2.納期がかかる
3.ブロードバンドのみ発注することができる

といったところか。

いまどきダイアルアップでインターネットをしている人は皆無だと思うのだが、ちんたらした回線だと本のデータを送るのにメチャクチャ時間を要するということになるだろう。
1の画質は「海外の雑誌のカラーページ程度」の品質と思えば何得できないこともない。
しかし、せっかくの印刷なので、「日本の雑誌のカラーページ程度」のクオリティであって欲しかったと思う。
で、2の納期は「発送しました」メールが届いてから1週間も10日もかかるのは何とかするべきだ。
聴くところによるとインターネットで送信されたデータはアップル社に受信され、それがまたまた世界のどこかにある下請けのブック制作会社へと飛ばされるわけだ。

こうなると日本へ届くまで、という国際郵便になるので時間がかかるのも頷けるというもの。
でも、待つ方の気持ちになると、日本国内で作ってもらいたいものだと、ついついワガママを言ってしまうのだ。

ということで、フォトブック。
作った人が売り物にするには、ちょいとばかし問題あり、といえなくもない。
趣味の世界と言ったところだろう。

※写真は私が作ったiPhoto写真集の表紙。



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旭山動物園を訪れたのは三年前のちょうど今ごろ。
「上野動物園よりも客が入る動物園が北海道の果てにある」
ということを耳にした私は、これは是非とも自分の目で「なぜそんなに客が集まるのか」というのを見なければならない、と思い、貯まったマイレージポイントを使ってタダで旭川まで行ってきた。

正直、ビックリした。
衝撃的ですらあった。

玄関は私の地元、大阪の天王寺動物園よりも遥かに劣るみすぼらしさ。
「旭山動物園は凄い!」
という言葉に騙されて、ついついここが市営の動物園であることを忘れていて、チケットを買おうと思って窓口に並ぶと、その安さにビックリしてしまう。

そんな動物園は、動物を観賞することについては、これまでに体験したことのないエンタテイメント性に優れた学習施設なのであった。

冬季のたった3時間の開園時間ではあったが、その3時間を十二分に楽しめた旭川の一日であった。

それからすぐに旭山動物園の人気は爆発し、大阪や東京の私の周囲の人々も上野や天王寺に行ってみる、と言い出した。
私も行く価値あり、と勧めた。

その超人気の旭山動物園が、廃園の危機から立ち上がり、日本一の入園者数を誇る北海道の名物動物園になった経緯を描いたのが角川映画「旭山動物園物語」だ。

私はこの映画は動物を扱った「お子様」作品だと思っていたが、まったく違っていたのだった。
確かにお子様向けという部分もなくはなかったが、監督があのマキノ雅彦。
お子様オンリーであるはずがない。

出演者も相変わらずクセのある人たちを集めていた。
正直、園長を演じた西田敏行の演技はあまりに脂ぎっているため、少々辟易とする部分がなくもなかったが、映画として全体のバランスが上手くとれており、料金の価値はあるんじゃないかと思えるような仕上がりだ。
とりわけ家族連れで見に行くと、「良かった」と納得するのではないだろうか。

マキノ雅彦監督が肩の力を抜いた佳作なのであった。

~「旭山動物園物語」2008年作 角川映画~




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スカイマーク、制服廃止へ ポロシャツ姿で客室乗務(共同通信) - goo ニュース

スカイマークエアラインから制服が消えるのだという。
これは大事件だ!

私は制服フェチな人ではない。
フェチではないが、どちらかというとスカーマークの濃紺と黄色の取り合わせの制服はデザイン的に私の好みであり、ともすれば大手のANAやJALよりも、
「なかなかええやん」
と思えるデザインなのであった。

それを、何処かの中小一般企業のように「制服を廃止しします」では、航空会社としてちょっとせこ過ぎやしないか。

航空機の乗務員の制服は私たち乗客には安心感を与えるツールでもある。
落ち着いた制服が、乱気流や離着陸の時の緊張感をほぐしてくれているのは間違いない。
その「安心の目印」制服を廃止し、なんと「ポロシャツ」にするのだという。

そのままゴルフにでも出かけるのであれば便利かも知れないがポロシャツでは航空機というステータスが台無しではないか。
ドラマにもならない。
まるでプロ野球の応援団だ。
もし黄色がカラーのポロシャツなら、神戸空港からほど近い甲子園球場へ応援に出かけていただきたいところだが、いかにせん客室乗務員のポロシャツ姿は見たくない。

ということで、それでどれだけ運賃が安くなるのか知らないが、500円、1000円程度の差であれば、是非とも制服を維持していただきたいと思う、ヒコーキファンの私なのであった。

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高校生の頃、4コマ漫画の週刊誌にハマっていたことがあった。
「まんがタイム」
だとか、
「みこすりはん劇場」
なんていう雑誌がそれで、いずれもジャンプやサンデー、マガジンなんかと比べるとかなりマイナーな漫画雑誌を買っていた。
このようなマイナー漫画雑誌の中には一歩間違えると、
「エロ本ではないか」
と思えるようなものもあったりして、高校生だった私は購入する時、レジのオネエサンに必要もないのに、ドキドキと気を使ったりしたものだった。

4コマ雑誌にほとんど掲載されることのない作家に、いしいひさいちがいる。
いしいひさいち。
「私、いしいひさいちのファンなんです」
なんて酒の席などで話したりすると、
「あ、がんばれタブチくんの」
という反応が8割ぐらいの確率で帰ってくる。
「あんたらタブチくんしか知らんのか」
と突っ込みそうになるのだが、いしいひさいちもテレビ番組や映画になったメジャーな作品が少なくて、30年も前の作品を上げられてしまうのだろう。

なぜ4コマ雑誌にいしいの作品が連載されることが少なかったのか、私はしらないが、たまに数ページに掲載されたりすると、レギューラー作家の作品がかすんでしまうぐらい、なんだかユニークで面白く、皮肉たっぷりで、ちょっぴり知的な、溢れんばかりの魅力を感じたものだった。

「タブチくん」も面白いが、いしいひさいちの最高傑作は、私は「バイトくん」ではないかと思っている。

最近は政治風刺漫画の多い作者だが、その原点ともいえるものが「バイトくん」だ。
大阪は東淀川区に拠点を構える大学生の菊池君をはじめ様々な人々がユーモアたっぷりに描かれている。
その表現手法は極めて漫画チックではあるものの、共感を喚ぶ内容が少なくない。
それも強く、強く、ものすごく強く感じるのだ。
だいたいが超悲惨な出来事や状況でも皮肉って、笑って吹き飛ばせる、そのエネルギーに時々感謝さえしてしまうのだ。

これまでドーナッツブックスなど、いしい作品の単行本はできるだけ逃さす買ってきたつもりだった。
それでも双葉文庫から出版されている「バイトくん」を読むと、まだまだ目にしていなかった(もしくは忘れてしまっていた)作品が溢れていることに気付かされるのだ。
で、ダブった作品が多いのも関わらず、新たな共感を得たいがため、ついつい買ってしまう。
「バイトくん」はある意味において、不朽の名作なのかもわからない。

~「バイトくん」(8)7人の寒がり」いしいひさいち著 双葉文庫~

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もうすでに化石的テレビ番組と言っても過言ではないと思うのが毎日放送テレビ系で放送されている「世界不思議発見!」。
毎回レポーターが世界各地に繰り出して、その国や地域での風習や歴史、地理に関わるトピックをクイズ形式で取り上げて進行していくという紀行番組だ。

この種の番組は20年以上も前には他にもあった。
例えば関西テレビ系で放送されていた「なるほどザ・ワールド」はその代表格。
愛川欽也の軽快な司会と、毎回登場する陽気なレポーターがめったに海外に出る機会などなかった私たち視聴者を楽しませてくれた。
「あああああ、海外にはこんな素敵なところや、こんな不思議なところが一杯あるんやね」
と言う具合に。

私はといえば大橋巨泉が司会していた「世界まるごとハウマッチ」がお気に入り。毎回毎回、世界各地の色々の製品やサービス、物価などをその地域の通貨の単位で答えていくのが、「ジャパンアズナンバーワン」と言われたあの時代の雰囲気に乗っかって、とっても楽しかったことを記憶している。

「世界不思議発見!」はそんな紀行番組の中でも後発で、司会がNHK出身アナウンサーということもあり、地味だった。
にも関わらず、他の番組が次々にその使命を全うしたのとは対照的に、現在もなお放送され続けているのだ。

ひとつの番組が長く続くと、それなりの「威厳」に似たものを持つようで、最近何度かこの番組を見ることが有り、その取材対象がやけに立派なのに驚いた。
ブータン王国ではレポーターが国王に握手をしてもらったり、ローマではミュージカルのオーディション審査委員にレポーターがなったり、とある意味好き放題。
もしかするとスポンサーである日立製作所の力なのかも知れないが、単なる気候バラエティを超越した存在だ。

さて、「威厳に似たもの」を持ち出すと、同時に「驕り高ぶり」も出てくるのは人間どうしても悲しいもの。
というのも、この「世界不思議発見!」。
取材内容に凝りすぎて、中身、つまりレポートの筋書きにいい加減なことがある。
よくよく考えているとつじつまが合わないのだ。

例えばローマのレポートで「カエサルが暗殺されて」と、いうシーンでコマーシャルに入ったのだが、コマーシャルが終わって本編に戻ると、カエサルの話題はどこかへ消えてしまっていたのだ。
「ブルータス、おまえもか」
というセリフが聞かれるのかと思っていたこっちはズッコケタ。
こういう、筋書きがビョンビョン飛んでいくことが少なくなく、
「ほんと、どうなっとんだ、この番組」
と思うことが少なくない。

ということで、にこやかに話して親しみが持てそうな雰囲気だけど、よく見ると厳つさ漂う板東英二や、相変わらずでかい声だけど、寄る年波に舌がまったく回らない黒柳徹子を回答者に置くのなら、そろそろ幕引きにしたらどうなのかともう思うのだが。

骨董番組「世界不思議発見!」
番組構成は「不思議」にしては、意味なしと思うのであった。

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幾度かミャンマーを訪れているうちにお気に入りの街というのができてきた。
旧都ヤンゴンや古都マンダレーのような都会も悪くないが、ミャンマーの魅力を最も引き出してくれるのが地方の田舎町だ。

ヤンゴンから飛行機で1時間少し、シャン州の州都タウンジーの玄関口へーホー空港に降り立つ。
この空港は第2次大戦中に日本が建設した空港だそうだ。
この空港から自動車で東に40分ほど走ると人口数十万のタウンジー市。
それとは反対方向西側に40分ほど走るとカローという小さな街がある。

私はこのカローが大のお気に入りなのだ。

カローの街は山に囲まれた閑静なところで、街の北側をタウンジーとメイクテーラ、マンダレー方面とを結ぶ幹線道路と鉄道が走っている。
街の入り口付近の道路沿いには市場があり、大衆レストランが並び、昼間は結構賑やかだ。
また外国人向けトレッキングツアーを受け付ける旅行代理店なども軒を並べていて白人の旅行者の姿もちらほら見かけられる。
日本語の話せるトレッキングツアーガイドもいる。

この賑やかなところから歩いて小一時間、街の端っこに私のお気に入りのホテル「カローホテル」がある。

初めてこのホテルに宿泊した時はなんて落ち着いた感じのホテルなんだろうと感動したものだ。
築100年はありそうな英国風の木造2階建ての建物。
ロビーから2階へ上がって行く階段、そして廊下のシックなこと。
客室の出窓から眺める手入れの行き届いた中庭の花々が目に留まり、ここがミャンマーだということを暫し忘れてしまいそうになった。

私の部屋は玄関上の広い部屋で、ここからは小川を挟んで鉄道の線路も眺められた。

このカローホテルが、第2次大戦中、日本軍の地域内の司令部の置かれていた場所だったことを知ったのは最初の訪問から帰国した後だった。
今はホテルのこの敷地内には、司令部だけではなく、戦病者の病院もおかれていて、かつては多くのに日本人将兵が進駐していたのだという。
俄には信じがたい事実だった。
カローの平和な雰囲気とビルマ戦線という先の大戦でも最も悲惨な作戦が、どうも意識では繋がりにくかったのだ。

どれほど重要なところだったのか、これまでまったく知らずにこのカローを訪れていたが、平久保正男著「真実のインパール」を読んで、ここが想像以上に日本にとって重要な拠点であったことを知った。
そしてかつて日本人将兵で溢れていたこの街の風景が鮮やかに想像されたのであった。

著者は元陸軍主計中尉で、自らの体験を昭和21年という早い段階で書き記し、残していたのだ。
それだけに、当時のカローの様子やそこに滞在していた多くの日本人の姿が垣間見られ、現在のカローホテルの平和な雰囲気とを比べてみて感慨を新たにするのだった。

なお、真実のインパールでのカローの記述はほんの一部で、多くはインパール作戦の中に筆者が体験したことが偏見なく滔々と語られている。
思想の介入のない、良書だと思う。

~「真実のインパール」平久保正男著 光人社刊~


カローホテルの本館、私の部屋は2階の手前側。



部屋の出窓。窓の向こうに鉄道の線路が臨まれ、時々駅の方角から汽笛が聞こえる。

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日本のバスがそのまんま、ヤンゴン国際空港の搭乗用バスとして利用されていることに度肝を抜かれた私がぼう然とするなか、ガイドのTさんは検疫カウンターを通るように促した。

ここでは機内で配られた健康申告書、つまりSARSについての問診表を手渡すだけだった。
熱はありますか? 下痢はしていませんか? 咳はありませんか? 最近中国へは行ってませんか?
というあれである。

だいたいSARSが流行ったのは去年のこと。

機内でこの問診表が配られた時、なんで今さらと思ったが、ともかくチェック項目に印を入れた。
なかには意味の分からない英単語の病名が二つほど記されていたが英和辞典など持ち合わせていないので、ともかくすべてNOのボックスにチェックを入れ、問診表を仕上げた。

「こっちへ来てください。」

検疫カウンターから出てくるとガイドのTさんはそこから数歩先にある田舎の駅の駅長室のような木造の狭いオフィスに私を連れていった。

オフィスにはグレーの古いスチール製の事務机が置かれていた。
私はその前の椅子に腰を掛けるように指示をされた。
なんだか昔の刑事ドラマの事情聴取のシーンみたいだ。

奥からゴリさんや山さんが出てきそうな気がする。
頭の中で往年の人気シリーズ「太陽にほえろ」のテーマが流れた。
しかし七曲署の刑事の代わりに事務所に入ってきたのはやっぱり入管職員の若い男だった。

「写真、持ってきてますか?」
Tさんは言った。

「はい、パスポートに使うサイズのを三枚。」
「二枚で結構です。」

Tさんが私の写真とパスポートを入管職員に渡すと、彼は写真を手元にあった書類にホッチキスで留め、パスポートをパラパラと捲り、白紙のページを開いた。そして年末の郵便局に置いてあるような四角い大きなスタンプをおもむろにとりだしドンと捺印した。

これでビザは完了。

アライバルビザはやっぱり存在したのだった。

入国審査の列に並ぶように言われて、大勢の外国人が並ぶ列の一番後ろに並んだ。
入国審査官のオッサンが座っているカウンターはまるで風呂屋の番台のようだ。しかもその番台は二つしかなく入国しようとする我々外国人で長蛇の列ができていた。
私の最前列では壮年の白人のオッサンガ難しい顔をして入管職員の作業を番台越しに見つめている。
入管職員は持っているボールペンでパスポートの一部を指さしオッサンになにやら話している。
書類に不備があるのか、職員の言っていることが分からないのか、オッサンはいっそう難しい表情になった。

ミャンマーへの入国は難しい、と聞いていたが事実のようだ。
この様子ではなかな前に進みそうにない。
困ったなと思い横を見るとTさんとさっきの入管職員のお兄さんが若い入管職員のお姉さんとなにか話しをしている。

「すいません。もういちどパスポートかしてもらえますか?」

とTさんが言うので、パスポートを渡すと、入管職員のお兄さんがお姉さんにページを開いて見せている。お姉さんは大きく頷いてTさんと私に向かって何か言った。

「あのー、こっち通ってくださいって。」

Tさんは入国審査の番台の背中側を指さした。

「ビザと入国のスタンプは押したんで、あっちへ行ってもよいそうです。」

なんと、私は列に並ばずに、入国審査カウンターの裏を通って行っていいというのだ。
裏口入学ならぬ、裏口入国である。
尤も私はパスポートにちゃんと入国のスタンプが押されているのでれっきとした合法入国である。
ということで、列をなした大勢の外国人をしり目に、番台、もとい入国審査カウンターに座っている入管審査官の後ろをすり抜けて入国したのであった。
大勢の旅行者たちの「なでや?あいつら。」という視線を浴びながら。
なんとなくそれは友達がバイトしている場末の映画館に顔パスで通用口から無理やりタダで入れてもらったような感じだったのだ。

つづく



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昨年の11月に心斎橋のアップルストアに立ち寄った。
週末だったこともあり店内は結構混在していた。

私はMac使いなので、時々アップルストアに立ち寄って新しいソフトウェアやハードウェアが発売されていないかをチェックする。
なんといってもWindowsユーザとは違って、雑誌を読んでいたらそれだけで色んな情報がゲットできるというコンピューターではないので、アップルストアは貴重な情報源だ。

このアップルストアの魅力はMacの様々な面に触れられることだが、もう一つ、様々な洒落たイベントが開かれるというのも魅力のひとつだ。

心斎橋、という場所柄、お洒落なイベントも少なくなく、私が訪れたこの日はジャズシンガー中島紅音のミニライブが開かれようとしていた。

中島紅音。
初めて聞く名前でどんな歌手なのかサッパリわからない。
アイドルのライブと違って追っかけの姿も見得ないし、あるのはストア入り口のライブを知らせるスタンドと、ガラスの螺旋階段下のキーボード。

この大阪の一等地で開かれるライブなのだから、そんなつまらない歌手なわけないだろう。
と、少しだけ聴いて帰ろうと15分ほど待っているとほぼ時間通りにライブが始まった。

驚いた。
ライブが始まるのを待っていて良かったと思った。
久々の新鮮な驚き。
奇麗な歌声。

はじめの1曲ですっかり魅了されてしまい、時間が許せるぎりぎりまでアップルストアの玄関で、キーボードに乗せて軽やかに歌うジャズのナンバーに耳を傾けていたのだった。

ショップで配られていたリーフレットによると、なんと関西を中心に活動するジャズシンガーのようだ。
大阪や神戸で活躍するジャズシンガーに、こんな素敵な歌手がいることを知り、すっかり嬉しくなったのだった。

で、CDを買おうとしていたのだったが、仕事やプライベートが忙しく、ついつい先週まで買いそびれてしまっていた。

ITunes Music StoreでダウンロードするかCDを買うかで悩んでみたが、やはり「モノ」として残るのが良い。
ということでアマゾンドットコムからCDを買い求めた。

心斎橋でのライブを思い出させ、耳を傾けさせる歌。
ながら音楽させない力を持ったCDは、ライブと同様、かなり良かったのであった。

~「Four leaf Jazz clover」中島紅音~

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兵庫県の加古川に、こんな由緒正しい名刹があることなど、まったく知らなかった。

国宝鶴林寺。



聖徳太子の命により建立されたという。
現在は新西国二十七番目霊場という石柱が建てられており、これまたびっくりしたのだったが多くの観光客の拝観する姿が見られたのであった。

仕事で出張などにでかけると、待ち合わせの時間などを利用して観光地を訪れることがたまにある。
岐阜の中津川を訪れた時は馬篭宿を。
沖縄県那覇市を訪れた時は首里城を。
広島市を訪れた時は広島市民球場を。
東京を訪れた時は浅草を。
という具合だ。

兵庫県加古川市と言えば大阪府民の私にとっては隣町に等しく、ここを仕事で訪れることは珍しくもなんともない、日常的風景なのであった。
たまたま、約束していたお客さんの事務所に早く着きすぎたので時間つぶしの必要が生じた。
最近は喫茶店の姿はあまり見かけなくなってしまい、かといって漫画喫茶やビデオ試写室での時間つぶしは倫理上いかがとも思った。

そんなこんなしていると、国道2号線バイパスから「国宝鶴林寺」の大きな看板が目に留まった。

「国宝」

どんなところなんだ、ということで拝観することに。
拝観料500円。


広大な境内は手入れが行き届いていて落ち着いており加古川というよりも奈良の外れといった趣だ。
本堂はもとより周囲に建設されている太子堂や鐘楼、行者堂など、見どころたくさん。
なんといっても私は入り口の仁王門の仁王さんが力強くて気に入ってしまった。

天気が曇りなのが少々いただけなかったが、30分ほどの散策。
なかなか気分転換になったのであった。



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20年前に国鉄が倒産してJRが発足した。

国鉄は東海道新幹線が開通した1963年から恒常的に赤字を垂れ流しする国営企業に没落し、毎年毎年巨額の税金を投入しなければ経営できない債務超過団体に陥った。
その額、半端ではなかった。

国鉄が事実上の倒産をして、そのままの設備、そのままの人材(実際は組合運動に明け暮れる「活動家職員」は再雇用されず)を動員して誕生したのが民間企業JR。
そのJRは国鉄と異なり、顧客サービス向上に努め、多角的営業にまい進する超優良企業だった。
税金さえ払うようになった。

国鉄からJRになって変わったことは未だある。

なにかの雑誌に記されていたのだが、車両購入費用が激減した。
メンテナンス費も激減した。
建築費も激減し、当然の金額で阪神大震災の復旧工事も完了した(そうだ)。

そのコスト削減の最大の要因は談合が出来なくなったこと。

JRになった途端、車両購入や施設の整備、建設などで参加企業が談合できなくなったのだという。
その結果、談合で生み出されていた不当な利益が削減されたことにより、電車の車両購入費用は1両当たり2/3になった。
1両6000万円で購入していたのであれば、4000万円で済むようになったというわけだ。

国鉄時代の高コストの原因は役人と化した国鉄経営陣と、その組合。
そして談合をおぜん立てする政治家への活動資金。
これら、鉄道の利用者とはまったく関係のない、いわば不当なコストが国鉄の途方もない巨額な赤字を生み出していた。
そんな行為に手を貸していた自民党が21世紀の今日、青息吐息なのも当然だ。

桑原耕司著「談合破り!」は、今日もなお、かつての国鉄よろしく談合を正義として繰り返している建築業界と、それを支える役人組織の現実が描かれている。
驚いたことに、この本に記されている建築業界の談合の仕組みが、他の例えば物品調達の世界でも行われている談合の方法とまったく同じであったことだ。

政治評論家の屋山太郎氏によると会社数における日本の建築土木会社の数は全世界の1/3を占めるのだという。

談合システム。
こんなことは早く止めてしまわないと、国が、社会がおかしくなってしまう、と危機感で憂鬱になってしまう。
そんな迫力のある「談合」ドキュメンタリーであった。

~「談合破り」桑原耕司著 WAVE出版刊~

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