局の道楽日記

食道楽、着道楽、読書道楽  etc
生活色々を楽しんで暮らしている日々の記録です

あれから

2015-01-24 23:14:17 | 家族あれこれ(犬も含めて)
あれからそろそろ半月。

ずっと引きこもっているわけにはいかず、年末からの約束の新年会やら、友人の邦楽関係の会のお手伝いやら、ワイン会やら・・・

出かけて色んな人と話せば楽しいし、その時はいいんだけど、ふっとした瞬間に胸の奥のほうに冷たい塊があるのに気づく。

それは喪失感っていう塊で、それから立ち昇る冷たい揮発物が口から洩れるとため息になる。


って感じだったし、家に帰って味噌汁の具かなんかで大根を千六本に切ってたら、(あ~こうやって大根切ると、足元にいつのまにかポロが来て、欲しがったな~)とか思い出して決壊 など


ブログも書く気にもなれず、パソコンも使わず、ただぼんやりするのは嫌だから ラインのゲームをやってみたり、十二国記をオトナ買いして一気読みしてみたりも・・・
いつも夕方の散歩、近所の人たちはPちゃんが逝った噂はかけめぐったようで、多分慰めの言葉をかけられるだろうけど、それが却ってわずらわしくて違う時間にしてみたり、コースを変えてみたりだったこの数週間・・・

んま~ これが典型的ペットロス って感じで過ごしていたのであった。



GちゃんもPちゃん代わりのぬいぐるみと一緒にいるものの寂しそうである。

そして同じ感情を共有するはずのオットに対してのもやもやした感情。ホント小さいことなんですけどね。

その理由はPちゃんの葬儀の日にさかのぼる。
覚悟を決めていたワタシは、獣医さんから聞いた葬儀場に電話をかけて予約をして、準備するものもすべて自分で用意した。
Pちゃんを焼いている時に置いておく写真もA4版と普通のL版の大小プリントアウトしてそれぞれ額に入れた。
「大きい方持ってくね」と言った私に「小さい方でいいよ」と言ったオット。
なぜそう言ったのかわからないけど、そこまで準備してる私にそんなくっだらない事で異をとなえることないんじゃないでしょうか?

かな~り気分を害したけど、そう言われたので両方荷物に入れたのであった。斎場の人は両方の写真を見て「どうぞ、大きな方の写真を飾ってください。生き生きしていて良い写真だ。」と言った。

そして、Pちゃんが亡くなったことをわかっているのかいないのか定かではないGちゃん。
亡くなった当時はしばらくPちゃんを舐めていて、みんなの涙を余計誘ったのだが、私はGちゃんも葬儀に連れていこうと思っていた。
あれだけ仲が良かった二匹なんだからPちゃんも喜ぶだろうし、葬儀に同席させることでGちゃんにPちゃんが居なくなったってことがきちんと伝わるんじゃないかと思っていたから。それが勝手な人間のセンチメンタリズムにすぎなくても・・・

なので「ちょっと葬儀場に電話して、犬を連れてっていいか聞いてみるね」とオットに言った。
「そんな必要ないよ。それに非常識だろ」って言うのが彼の答だった。

普段なら一言二言反論して、電話をかけるくらいかけただろうのワタシだったろうけど、その場は相当まいっていたので、その通りにしてしまい、なんとなく寂しそうなGちゃんに留守番させて葬儀場に向かったのだけど・・・

結果として他の家族で犬連れの人たちに会い、それが普通に受け入れられているのを見て、怒り心頭に達した(その場では怒る気力もなかったが)ワタシであった。

Gちゃんも一緒にPちゃんを送ってあげたられたのに、なぜか反対したオットのせいでできなかった。

そしてその反対の仕方が、どうでもいいことに必ず異を唱えるシュウトメとそっくり(別に意地悪されてるわけじゃないし、ちょっと変わってるが特別嫌な人じゃないんだけど、そこの所はシュウトメの一番嫌いな所である)じゃないかと思えて、オットに対するジワジワ怒りがず~っと続き、話しかけられてもなんとなくノリ悪くうわのそらめいた答えを返し、ご飯の後にりんごが食べたいな~と言われりゃ、皮を剥きはするものの「これだけ食べてからまだ食べるの?」と言わずもがなの嫌味を言わずにはいられず・・・

小さい反撃と思うでしょ? でもツマのこういう小さいトゲトゲは容易に家庭をギスギスさせるものなのである(自覚してやってる私が言うのだから間違いないぞ)
しかしいい加減ひきずってこのまま家庭崩壊させても仕方ない。

一昨日、母と病院に行く用事があったので実家に一泊で帰ったが、その時に思い立って、兄代わりのAに連絡してみた。リストラされて、家族にも見放されて故郷に帰ってお母さんと同居しているしょーもない♂だけど、なぜか心の弱っている時に、彼の毒舌や品のないジョーダンで笑うと回復するのである。

「今、実家なんだけどさ、飲める?」とラインしたら間髪をいれずに
「おう 飲むべ」と返事があった。考えてみたらあれから自分から人を誘ったのは初めてだと思う。



実家地方にしては気の利いておいしいカウンター割烹
もう何度か来て、変なオジオバの二人連れと思っているに違いないお運びのおねえちゃんに

「こいつブスだろ」とワタシのことを示し
「何言ってるんですか~ 」とお決まりの受け答えから始まる。



「元気だったきゃ? ひさしぶりだな」というAに
「そんな元気じゃないよ、犬が死んだ」と言ったら
「おっ あのTの家の雌犬にのしかかって腰ふってたおめーの家の犬かあ あんときゃ元気だったのになあ、そういやもう10年くらい前だよな、まだあいつの家の子が小学生だったろ」

Pちゃんに失礼な と思いながら、その頃の事を思い出して吹き出してしまった。

「まっ 飲もうぜ」ってことで飲みほのわりには質のいいラインナップの地酒を次々と、飲んでる間も独特の毒舌でずっと私を笑わせる。
しまいにはノミホラインナップじゃあきたりなくなって 獺祭と十四代も別枠で頼んでかなり酔っぱらった。

そしてそろそろお開きにしようかって時に、
「ちょっと待ってろよ」と近くの自宅にとってかえし、
「おめえの家まで送るからよ、ついでにさっき買っといた家用の野菜やるからもってけよ」と
自宅用に買い込んだらしい、地場モノ野菜をくれた。考えてみたらAが何かをくれるってのはごく珍しいことである。




そしてこの数点の野菜(農協でおろす市場で買うから安いけど新鮮でうまい)をきっかけに、かなりワタシは癒されたのであった。

そしてその野菜を持って東京に戻った夜、

「お母さんどうだった? そうか、それなら心配ないな」と言うオットの気配りが素直に嬉しく、その後は穏やかに会話できて

「そう言えばお前、ため息減ったな」と言われ

「うん、でもまだ喪失感ってのは消えないけどね」と返すと

「そりゃそうだよ、俺だってそうだよ、ずっと消えないよな。色んなことやってもPがもういないってことからは逃れられないよ」


こうして私もだけどオットも同じ感情を持て余し、私が共有を拒否してたってことに気づき、なんとなく私の中でのわだかまりが溶けたのであった。

家族だけで感情がこじれた時、ちょっとその場を離れて発散できる友人。それが、♂としてまったくときめかないものの気心しれててバカ言える♂友達ってののありがたさを痛感した。


















コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする