高山から帰って来ても未だ金森長近を引きずっておりますが(地味な武将なのであまり文献少なし)
京都と繋がりはないかと探してみると・・・大徳寺塔頭「龍源院」さんに墓所がありました。
長近は戦国武将にしては長寿でなんと85歳まで生きてます!1608年8月12日没(明日が命日?)
確かに信長、秀吉、家康の3人に仕えたとするとかなりの高齢になっていたかも
晩年は飛騨高山ではなく伏見の別邸で過ごし、そこで亡くなっています。
京都には長近が創建した大徳寺塔頭「金龍院」というお寺がありましたが明治時代の区画整理で廃寺になり
同じ塔頭寺院の「龍源院」さんに統合されお墓や遺品などが移されました。
遺品の中には秀吉から与えられたという秀吉と家康が対決したという碁盤と碁石が残されています。
長近は文化人でもあり千利休に茶の湯を学び、伏見では家康と秀忠を招き茶の湯を催したこともあるそうです。
後に孫の金森宗和によって宗和流という茶道の流派が築かれています。
京都では宗和流は次第に消滅してしまいますが、大徳寺塔頭「真珠庵」の茶室は”宗和好み”と伝えられているそうです。
(通常非公開、京の冬の旅などで特別公開することあり)