【歴史の道《二俣越(三ノ坂越)④》】
富山県福光に通ずる古道の中で、石川県側の夕日寺町から二俣町の本泉寺迄を通称「三ノ坂往来」と呼ばれています。
二俣の本泉寺から街中を抜け高峠城跡に向かいます。ほとんどが尾根伝いの細い山道なので今回はパスしました。
高峠城跡から釣部町、夕日寺町、山王町、大樋町が 二俣越(三ノ坂越)です。
★歴史の道(富山~石川) ベース
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~南砺市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・南砺市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真21枚
二俣 本泉寺・・・金沢市東部、医王山山麓の二俣町に位置する真宗大谷派の寺院で、松扉山青光院と号します。1442(嘉吉2)年本願寺6世巧如の第3子で越中井波瑞泉寺2世である如乗が二俣の地に開創し、瑞泉寺、本泉寺を兼任しました。
本泉寺手水舎(ちょうずしゃ)・・・本堂前方南東寄に建つ木造桟瓦葺の手水舎。断面六角形の柱3本を内側に傾けて立て,アーチ状の梁を渡して丸桁で支えてあります。登録有形文化財です。
屋根棟頂部には帽子状の石を据えてあり、大工石崎清左衛門の手によりつくられた、明治初期の新しい建築様式への取り組みを表す独特な遺構です。
登録有形文化財(建造物)となっています
綽如上人(しゃくにょしょうにん 本願寺第8世・蓮如の曽祖父)
本堂です。地元からの寄進によるケヤキ材によって、大正10年(1921年)に完成しました。総欅造りで、建物の内外に施された彫り物も豊かで、豪壮さと優雅さとを併せ持つ本堂です。
金沢市有形文化財に指定されている山門は、門扉には花狭間菱格子を設け、その中央に円形状の透彫彫刻を施してあります。左右の羽目板にも滝を題材とした彫刻を備えるなど装飾性に富んだ構成となっております。
中央(大)と左右(小)の三つの門を併せ持つ三門の形態を持っています。
本泉寺 式台
二俣の街中ある道標・・・右 山ミち で三ノ坂越と思われます。
三ノ坂越は二俣村から小二又村、夕日寺村、御所村を経て大樋村まで通っています。
二俣町から高峠城跡に向かいました
高峠城跡へ入る林道の手前に「三ノ坂往来」と書いた道標がありました
ここから大樋村の方に入る三ノ坂越の街道です
さらに林道を進むと高峠城跡の方に入る林道がありました。
途中 石碑がありました・・・立石の地名について書いてあります。
高峠城跡に登る道と思われる道です・・・ピンクの紐が結んでありました。
杉木と笹藪の中を抜けると小高い場所に出ます
高峠城跡の後だと思われます・・・加越を結ぶ街道の二俣道を監視するように街道に沿って築かれているようです。縄張りは主郭から直線的に郭が並ぶ単純な形のようです。