【2024 トモエガモ】
◎2024年12月9日 石川県にて 写真3枚 追加しました
かなりの大きな群れが来ていました
◎2024年12月2日 石川県にて 写真4枚
沖合に居ました・・・証拠写真です
【2024 ミコアイサ②】
◎2024年12月10日 石川県にて 写真4枚 追加しました
◎2024年12月9日 石川県にて 写真10枚
【 2024 コウノトリの飛翔】
◎2024年12月10日 石川県にて 写真7枚 追加しました
◎2024年11月20日 石川県にて 写真7枚 追加しました
今年も巣の修理を始めました
◎2024年11月20日 石川県にて 写真6枚
頭の上を2羽のコウノトリが飛んでいきました
【2024 チュウヒ②】
◎2024年12月10日 石川県にて 写真12枚 +動画 を追加しました
遠い位置なので動画で撮りました・・・画質が悪いですが何とか撮れました。リラックスモードのチュウヒ。
豆畑でのんびりと羽繕いしていました・・・腰の白色部が幅が広く全体的に黒っぽいので最初はハイイロチュウヒのメス(♀)かと思いましたがチュウヒでした。
尾羽を広げて・・・尾羽はグレー色、腰は真っ白
一本づつ端から嘴できれいにしています
今度は右の翼の手入れです
ブルブルと振るわせたり
お腹の方も
動画です・・・チュウヒの毛繕い
◎2024年12月9日 石川県にて 写真8枚 追加しました
◎2024年10月29日 石川県にて 写真8枚
【2024 ハジロカイツブリ②】
◎2024年12月9日 石川県にて 写真2枚 追加しました
◎2024年12月2日 石川県にて 写真6枚 追加しました
◎2024年11月21日 石川県にて 写真9枚
【2024 コチョウゲンボウ】
◎2024年12月9日 石川県にて 写真5枚 追加しました
◎2024年11月21日 石川県にて 写真10枚
コチョウゲンボウのオス(♂)
【2024 ハイイロチュウヒ②】
◎2024年12月4日 石川県にて 写真15枚
今シーズンもまた来てくれました・・・気が付くのが遅かった・・・ハイイロチュウヒのオス(♂)の飛翔
後から飛んで来て、真上を通り、左旋回し、また来た方向に飛んでいきました・・・ここは巡回コースのの端かな?
メス(♀)です
【歴史の道①(富山~石川)】
☆歴史の道①(富山~石川) ベース
☆小原越(加越国境城跡群及び道) ・・・・・・ 小原越① 小原越② 小原越③ 小原越④ 小原越⑤
☆二俣越(朴坂越(殿様街道)・三ノ坂越) ・・ 二俣越① 二俣越② 二俣越③ 三ノ坂越④ 三ノ坂越⑤
☆田近越古道・・・・・・・・・・・・・・・・・ 田近越古道① 田近越古道② 田近越古道③
☆歴史の道②(富山~石川) ベース
◎2024年12月1日編集 富山県にて 写真4枚
☆文化庁剪定「歴史の道百選」の追加選定について
1 文化庁では、古くから人、物、情報の交流の舞台となってきた道や水路等の保存と活用を呼びかけ、顕彰するため、「歴史の道百選」として78か所を選定していたが、今回、その理解をより一層深めるため、令和元年10月29日に、36か所を追加選定した(合計114か所となりました)。
2 石川県からは金沢市と津幡町を通り富山県にまたがる「田近越・小原越・二俣越(朴坂越・三ノ坂越)」が追加選定された。
★令和元年(2019年)10月29日に追加選定された田近越え、小原越、二俣越の歴史の道
☆田近越(たぢかごえ)・小原越(おはらごえ)・二俣越(ふたまたごえ)《朴坂越(ほうさかごえ)・三ノ坂(さんのさかごえ)》
選定箇所
田近越:富山県小矢部市八講田、五郎丸、八伏地内
石川県河北郡津幡町字南横根、字常徳地内
石川県金沢市琴町、北千石町地内、 延長約3km
小原越:富山県小矢部市五郎丸、内山地内
石川県金沢市竹又町、堀切町、桐山町、 延長約6km
二俣越:富山県南砺市坂本、小又、土山
石川県金沢市荒山町、二俣町、不室町、釣部町、牧町、伝燈寺町、夕日寺町、御所町、山王町地内 延長約9km
概要
加賀と越中を結ぶ道であり、中世まで遡る。金沢と砺波郡間において田近越・小原越・二俣越の3ルートが確認されており、北国街道(北陸道)を利用するよりも距離が近いことから、活発な往来があった。
道筋には中世の山城が国境で対峙するように築かれており、天正12年~13年(1584~1585)の前田利家と佐々成政による加越国境の攻防の緊張を伝えている。
田近越は 砺波郡の北部(現在の小矢部市)から山越えし、金沢北部の森下川右岸の平野に出て金沢へ道である。道筋には一乗寺城跡と朝日山城跡がある。
小原越は 砺波郡の北部から山越えし、森下川沿いの谷に出て金沢へ向かう道である。道筋には松根城跡と切山城跡があり、松根城跡では堀切が道を切断する戦時封鎖が確認されており、一部が「加越国境城跡群及び道」に指定されている。
二俣越は 砺波郡南部(現在の南砺市)から山越えして金沢城下の東にでる道である。道筋には荒山城跡と高峠城跡がある。朴坂越は越中側の地元での通称、三ノ坂越は加賀側の地元での通称である。
★90.小原越・・・小矢部市五郎丸から金沢市桐山町まで
★90.二俣越・・・二俣越は南砺市坂本から金沢市二俣町までを通称「朴坂越」、金沢市二俣から金沢市山王町までを通称「三ノ坂越」と呼んでいました。
★90.田近越・・・小矢部市八講田から金沢市北千石町まで
【歴史の道《二俣越(三ノ坂越)⑤ 》】
富山県福光に通ずる古道の中で、石川県側の夕日寺町から二俣町の本泉寺迄を通称「三ノ坂往来」と呼ばれています。
夕日寺地区から山王町にかけての三ノ坂往来
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真26枚
左側が高峠城跡の方から来た「三ノ坂往来」で右側の山道が伝燈寺に向かう道。
夕日寺周辺の三ノ坂往来の地図(抜粋)
三叉路の標識
「三ノ坂往来」の夕日寺・大休場方面
大休場の手前に供養塔・・・「義賢名号塔」があります。
「大休場(おおやすんば)」に着きました。
「茶屋跡」・・・広場に木製のテーブルとイスが置いてありました。
大休場からの展望・・・白山方面が見えました。
大休場を後にして夕日寺・山王町方向に進みます
大休場の手前に大休場から堂屋敷跡に下りる旧道の標識がありました。
大休場から堂屋敷跡に下りる旧道
堂屋敷跡に出ました。
夕日寺の地名の由来が書いてありました
林道に向かう旧道が続いています
堂屋敷跡から林道に出る出口(入口)
山王町の地図です。
「三ノ坂往来の標識」と三ノ坂往来です・・・ここから夕日寺の尾根に続いています
山王町の住宅地にある「三ノ坂往来」の出口(入口)に出ます。
住宅の横を「三ノ坂往来」の道が残っていました。
山王橋の横にある「茶店跡」と思われる場所です。
茶店跡近くにあった「長屋道標」・・・1681年に建立されたものです
【歴史の道《二俣越(三ノ坂越)④》】
富山県福光に通ずる古道の中で、石川県側の夕日寺町から二俣町の本泉寺迄を通称「三ノ坂往来」と呼ばれています。
二俣の本泉寺から街中を抜け高峠城跡に向かいます。ほとんどが尾根伝いの細い山道なので今回はパスしました。
高峠城跡から釣部町、夕日寺町、山王町、大樋町が 二俣越(三ノ坂越)です。
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真21枚
二俣 本泉寺・・・金沢市東部、医王山山麓の二俣町に位置する真宗大谷派の寺院で、松扉山青光院と号します。1442(嘉吉2)年本願寺6世巧如の第3子で越中井波瑞泉寺2世である如乗が二俣の地に開創し、瑞泉寺、本泉寺を兼任しました。
本泉寺手水舎(ちょうずしゃ)・・・本堂前方南東寄に建つ木造桟瓦葺の手水舎。断面六角形の柱3本を内側に傾けて立て,アーチ状の梁を渡して丸桁で支えてあります。登録有形文化財です。
屋根棟頂部には帽子状の石を据えてあり、大工石崎清左衛門の手によりつくられた、明治初期の新しい建築様式への取り組みを表す独特な遺構です。
登録有形文化財(建造物)となっています
綽如上人(しゃくにょしょうにん 本願寺第8世・蓮如の曽祖父)
本堂です。地元からの寄進によるケヤキ材によって、大正10年(1921年)に完成しました。総欅造りで、建物の内外に施された彫り物も豊かで、豪壮さと優雅さとを併せ持つ本堂です。
金沢市有形文化財に指定されている山門は、門扉には花狭間菱格子を設け、その中央に円形状の透彫彫刻を施してあります。左右の羽目板にも滝を題材とした彫刻を備えるなど装飾性に富んだ構成となっております。
中央(大)と左右(小)の三つの門を併せ持つ三門の形態を持っています。
本泉寺 式台
二俣の街中ある道標・・・右 山ミち で三ノ坂越と思われます。
三ノ坂越は二俣村から小二又村、夕日寺村、御所村を経て大樋村まで通っています。
二俣町から高峠城跡に向かいました
高峠城跡へ入る林道の手前に「三ノ坂往来」と書いた道標がありました
ここから大樋村の方に入る三ノ坂越の街道です
さらに林道を進むと高峠城跡の方に入る林道がありました。
途中 石碑がありました・・・立石の地名について書いてあります。
高峠城跡に登る道と思われる道です・・・ピンクの紐が結んでありました。
杉木と笹藪の中を抜けると小高い場所に出ます
高峠城跡の後だと思われます・・・加越を結ぶ街道の二俣道を監視するように街道に沿って築かれているようです。縄張りは主郭から直線的に郭が並ぶ単純な形のようです。
【歴史の道《二俣越(朴坂越)》③】
南砺市砂子坂から県道27号線を進み、県境を越え金沢市荒山町に入ります。
荒山大橋の手前で荒山町への幹道に入り、正面に荒山城跡のある山を見ながら荒山大橋の下をくぐります。
砂子坂町や奥新保町からくる医王ダムサイトのの道に合流し、再び 県道27号線に合流し、二俣町まで進みます。
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真24枚
二十一番観音・聖観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります
歴史の道《二俣越(殿様道)》③は県境を越えて荒山町から二俣町までです
二十一番観音から三十二番観音まで・・・・十三番、十九番観音は不明です。三十三番観音・十一面観音は森本町にあるとか?
二十二番観音・千手観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります
二十三番観音・十一面千手観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります
二十四番観音・十一面観音・・・県道27号線(金沢井波線)から荒山町の道に入ります
殿様道の向かいの小高い山が荒山城跡のある山です
二十五番観音・十一面千手観音
殿様道・・・倒木です
荒山大橋の下を通っています。
二十六番観音・聖観音・・・医王ダムの道に合流する手前です
二十七番観音・如意輪観音・・・ここの上に荒山城跡があります
県道27号線(金沢井波線)の二俣隧道のトンネルの入口横に・・・
二十九番観音・馬頭観音
三十番観音・千手千眼観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります
三十一番観音・千手十一面観音・・・県道27号線(金沢井波線)の道路わきにあります
三十二番観音・千手千眼観音・・・県道27号線(金沢井波線)から二俣町へ入った道路わきにあります
二十八番観音・聖観音・・・二俣町へ行く道(広いカーブ部分)
本泉寺・・・・殿様道の起点です
二俣町の道しるべ・・・石道標(青戸室石)「右 山ミち/左 福光道」・「山ミち」の標記は江戸期 ⇒⇒ 右 山ミち・・・三ノ坂越。 左 福光道・・・二俣越。
これからは「三ノ坂越」になります
【歴史の道《二俣越(朴坂越)》②】
百万石展望道路から入った殿様道が小又地区に出てくる場所から県道27号線を渡り、小又地区に入ります。
県道沿いの朴坂越の道を進み小又神社の傍を通りまっこう山展望台への道で県道27号線に戻ります。
南砺市土山の三軒茶屋から光徳寺発祥の地を見て県道27号線を荒山町に向かいます。
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真23枚
百万石展望道路から入った殿様道が小又地区に出てくる場所です
十二番観音・千手観音 ・・・ 殿様道と林道の交差点の横にあります・・・冬支度されています
殿様道(朴坂越)の観音石仏 その②は小又から砂子坂です(赤丸)
十四番観音・如意輪観音・・・ぬくもりの郷の バス停横にありました
県道27号線と並ぶように小又の村の二俣越の街道を進みます
二十番観音・千手観音・・・道路の崖にあります
小又の村の家々
十五番観音・十一面観音
小又神社・・・土山に向かう道路にあります。
小屋の裏側、神社から降りる階段の横に
十一番観音・准胝観音がありました
十六番観音・十一面千手観音
十七番観音・十一面観音・・・まっこう山展望台に向かう合流点の手前にありました
二俣越の街道は再び県道27号線をに出て少し行くと左に入る道ががあります。・・・三軒茶屋です
十八番観音・如意輪観音・・・県道27号線(金沢井波線)の入口から砂子坂道場跡の方に向かう道の左側のお墓の横にありました
さらに砂子坂の村の方に進むと、光徳寺跡(砂子坂道場跡)が右側にあります。
光徳寺発祥の地・・・光徳寺跡(堂屋敷)・・・砂子坂道場跡をさらに進み、T字路を左に折れ進むとあります。この道をさらに進むと医王山の電波塔の近くに行けます。
県道に戻り二俣方面に向かう途中、県道27号線(金沢井波線)にある直売所です
【歴史の道《二俣越(朴坂越)》①】
中世から続く加賀と越中を結ぶ道として知られ、戦国時代末期には道筋に山城が対峙するように築かれ佐々成政と前田利家による加越国境の攻防の緊張を伝える。
朴坂越の古道は「朴坂峠」として南砺市文化財に指定されている。
二俣町から大樋町までを「三ノ坂越」と呼ばれています。
通称「殿様道」と呼ばれ、加賀十二代藩主前田斉泰が参勤交代の折にこの山路を越えたといわれている。
★歴史の道《二俣越(朴坂越》①・・・南砺市坂本~南砺市法林寺~南砺市小又
★歴史の道《二俣越(朴坂越》②・・・南砺市小又~南砺市土山~金沢市砂子坂
★歴史の道《二俣越(朴坂越》③・・・金沢市砂子坂~金沢市荒山町~金沢市二俣町
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》④・・・本泉寺、金沢市二俣町~高峠城跡
★歴史の道《二俣越(三ノ坂越》⑤・・・夕日寺~大樋町
◎2024年12月1日編集 石川県にて 写真39枚
南砺市坂本の殿様道の入口の道標
二俣道(殿様道・朴坂越)・朴坂峠の案内板
殿様道(朴坂越)の観音石仏)・・・33観音中30観音が街道沿いにあります・・・ここでは(歴史の道《二俣越(朴坂越)》①)赤丸の9体をまわりました。
観音石仏9体と朴坂峠、そして百万石道路との出会いの場所までです。
お墓場を過ぎるといよいよ殿様道に入ります。
端に殿様の休憩所がありました
いよいよ殿様道に入ります。
一番観音・如意輪観音 道の左側
二番観音・十一面観音 道の右側
三番に向かう途中 倒木で道がふさがれていました。
三番観音・千手千眼観音 道の右側
四番観音・千手千眼観音 道の左側 ・・・ここから林道に出れます。
五番観音・十一面千手観音 道の右側
5番観音の横に標識がありました
「朴坂峠越えの殿様道」の文字が書いてあります
六番観音・千手観音 道の右側
林道と平行に通っています。・・・ここからも林道に出ることが出来ます。
再び殿様道に・・・右側にみどりの森再生の案内板があります。
広域基幹林道・医王線に出ました
出口の正面に ⇐殿様道 の標識
広域基幹林道・医王線の案内板
ここから再び殿様街道に入ります
七番観音・如意輪観音 道の右側
八番観音・十一面観音の場所ですが・・・・
奥の藪の中に半分埋もれた状態でありました
九番観音・不空羂索観音 道の右側
朴坂峠に着きました。
この一帯は朴木が多いことから朴坂峠の名が付いたとか・・・朴の木の落ち葉
素晴らしい見晴らしです。
林の中を過ぎると
百万石展望道路に出ました
百万石展望道路沿いの案内板
百万石展望道路を少し下ると左側に殿様道に下りる入口があります
十番観音・千手観音・・・・福光町の地蔵堂の中にありました
前田藩の米蔵を改造したというレトロな外観も人気の老舗食堂・・・十番観音の近くにありました