Twitterとgoo(拙ブログを載せているサイト)の連携が良くなくて、Twitterに書いたことが反映されない。困ったもんだ。こんなことを書いたんであるが。↓
愚生はコンピュータのこと「も」、まったく意味不明でよくわからんから、しょうが無いんでこっちに日記風に書いている。ま、どんなことが起きてもそれに対応できるというのが、生き残るための方策であると日頃から信じている。だから、それもあり得ることである。
そんなチカラを入れて書くようなことじゃないけれども。
マスコミが防災のことを実によく取り上げてくださっている。ありがたいかぎりである。安全教育一筋で四〇年近くやってきたからである。しかも、最近は防災教育とか地震とかの学者先生の論文も、大震災以来驚異的に増えている。何万の単位である。愚生のやっている分野に比べたら、何十倍である。実際、愚生は毎日のように大量の論文を拝読しているからわかるのである。院生室から全国の学者の論文を覗くことができるのである。しかも、有料論文サイトも大学が費用を出してくださっているので見られる。だから助かるのだ。むろん専門分野を実に大量に読んでいる。なかなかはかどらないけれど。
政治がきな臭くなっている。どうも教育公務員時代の癖が抜けなくて、無色透明の意見しか書けない。そういう習性になってしまったようである。関心は非常にあるのだ。ただし、書けない。臆病なんだなぁ。政治に関しては。
思想・宗教問題もそうだった。しかし、こっちは最近やっと呪縛が解けたような気がする。退職の効用である。むろん思想史としての宗教問題というスタンスでもあるから、若干無色透明の傾向はあるが。雑宗的なのである。なんでもやる。だから信仰問題ではないのである。最近、非常に興味を持っているのが、高野聖から来ているところの高野山である。空海である。今書いている駄文も、もう1万字になったが、こちらの知識が無いと書けない代物である。中世の放浪藝について、全国を放浪しながら布教をして行った高野聖の影響を見ているのである。これは実に面白うてならぬ。
今年の後半から、郷土史の仕事を始めることになっているので、興味のある分野とリンクしている。けっこうなことである。趣味と一致しているんだから、こんないいことはない。(^0^)
雑学なんだねぇと思う。いいんだ、これで。なんでもやってみようと思っている。どこへでも出かけてみようと思っている。だから、本学を卒業したくないのである。いつまでも学生でいたいのである。そしたら、学割の効いた切符で全国の民俗学対象地を見学できてしまうではないか(^0^)
あ、ちなみに学食で食べる「ミニ丼」なるものも実にいい。ミニと名前はついているが。愚生には食べきれないほどの量がある。しかもである。料金が200円である。涙が出るほどありがたい。年金生活者には、とてもとてもありがたい。今月の13日までは、味噌汁もついているのだ。今日は、それに50円のサラダをつけて食べた。250円だ。ありがたい、ああああ、ありがたい。
しかし、こんな愚生だ。本学から、出ていってくれ!と言われたらしょうが無い。諦めるしかない。一番それが怖い。能力不足による中退である。あり得るなぁと思っている。なにしろアタマが悪い!反省的に悪い。?・・反省的に悪いってどういうことだ。よくわかんないが。ガキの頃から反省ばかりしているからなぁ。
だから、反省のあまり、大量の読書とノート取りと駄文書きをやっちょるのだ。でないと追いつけないではないか。それほど本学のレベルは高いのである。夢にまで出てくるのだ。退学問題が。今朝もそれで目が覚めて、起きてしまった。文章が書けなくてじりじりしていたのである。夢の中のと~ま君が。そりゃ当たり前であろう。他者の目に触れるようなところにばかり原稿を送っているからである。神経を使う。これは、実に精神衛生上良くない。良くないが、やるしかない。これまで学会活動なんてやってきたことがないから。なんの実績も無いからである。
やってきたのは学校経営というこれまたかなり面倒なことばかり。だから、学会活動まで手が回らんかったのだ。しかし、学校の管理職で学会活動までやっている方となると、それはある意味、ニーチェの言う「超人」だわなぁ。愚生の狭い人間関係ではそういふ人がいなかったねぇ。先生方にもいなかったな。学会活動をやって、大学の先生になっていった人。あ、いたか。二人いた。一人はE媛大学。もう一人は東京歯*大学。思い出した。しかし、この二人は定年まではやらなかったな。もっとも能力があるから、トラバーユしたんだろうけど。オレじゃぁ無理だったわなぁ。
空海で思い出した。
顕教と密教の差異である。これはこれで驚いたことであったが、なんてまぁ大天才なんだろうと思う。こんなに勉強をした空海が、大学を中退しているのだ。しかも、儒教批判をされたのだという。確かに儒教は、現世の栄達や、生き方のコツを教えるわなぁ。利も教える。そういう意味では、現代教育と傾向性を一にする。現代教育は、経済用語で語るから、ね。
空海はそれが嫌だったのだそうだ。国家のエリート官僚になるための大学に行っていたのだという。それをある意味否定したわけだ。面白い人である。なかなかである。最澄も注目したワケだ。
これから何年かかるだろうか。あらゆる興味対象について大論文を拝見して、さらに古今の大哲人の著作を見ていかなくてはならない。レーニンの著作もまだ机の上で鎮座したままである。(*_*) マイッタ。あ、左側には、エミールもある。こっちもノート取りをはじめたから。あああああああああああああああああ、オラはやっぱ、能力不足だよん!
困ったもんだ。