今日は、柔道の昇級試験があった。
いつも稽古させていただいている我が柔道教室の道場であったから、午前中から出かけた。せめてこれくらいはやらないといかん。最近は、ただ自分の練習をしているだけだからなぁ。
武道というのは、身体論的に実にいいものである。なぜか。相手がいるからである。相手との丁々発止から得るものは大きいのである。これを孤独なままやっていたら、想像つくだろうが、面白くもなんもないのである。当たり前である。相手のチカラを利用したり、押したり、引いたりしてバランスを考えていくわけである。これを政治に応用して考えると実にわかりやすい。似たようなことを、霞ヶ関でもやっておられるではないか。(^0^)
得意技が昔に戻っている。体落としという、タイミングの必要な技ができるようになってきた。20代、30代の時は、力任せのパワー柔道で大外刈りなんかをやっていた。それが、昔に戻りつつある。
これはありがたいものである。つまり、スリムになったからできるようになったのである。バランスである。愚生の身体的なバランスが、スリムになったことで「ええ案配」になってきたということである。
「ええ案配」っていうのは、実にいいことである。そっちでもいい、こっちでもいいというような、表面的にはデタラメにみえるかもしれないことが、実はバランスをよく考えた巧妙な手法であったということにもつながるからである。
家を建てる時も、この「ええ案配」って大事なような気がする。バランスである。極端な西洋風、あまりにも前時代的な和風とかいろいろある。ま、個人の趣味でお好きなようにと申し上げるしかないけど。あんまり言っていると、好きなようにさせてくれと叱られますな。
これは愚生の勝手な建築観であるから、読み飛ばしていただいていい。
実は、母方の祖父の弟がこれであった。極端な西洋崇拝で、あんな田舎で洋館を建てて一人で趣味人ぶっていたのだった。かわいがってくれたから、愚生は好きで毎週のように出かけた。隣の町に住んでいたのだ。昭和35年の前後にいろいろなんとか口実をみつけては、この洋館に行っていた。自家用車が珍しかった時代に、独製のカブトムシみたいなクルマでかっ飛ばしていて、妙なヒトであったのだ。時々連れて行かれたのが、友人のドイツ人夫妻のところ。なんだか怖かったけれど、珍しいもの見たさに一緒にクルマに乗っていた。パンがおいしくて、それを食べさていただくのも好きだったのだけれども。食欲優先であったのかな・・・。
話はあちこち飛ぶが、(いつもそうだ・・・・とほほ)上山春平先生という学者がおられる。京都大学の哲学系の大学者である。その先生の本で、大学時代にいわゆるノイローゼになって、三度死にっぱぐれたことを読んだことがある。ずっと気にしていたのだが、一昨日大学の図書館から借りた「空海」(上山春平著 朝日選書 1992)に、詳しく書いてあった。そのへんのいきさつが。あの大碩学にして、このような苦悩があったのかと暗鬱たる思いでいたのだった。院生室でずっと拝読していた。こころに残った表現もあって、いくつかコピーをしながら、ノートを作っていた。この先生には仏教系の著書を読ませていただいて、本当にすばらしい大学者であると思っていたのである。それはそれで間違いはなかったと思う。
しかしである。上山春平先生でも心身のバランスを崩されたことがあったのである。自殺未遂をされたとその朝日選書には書いてあったのである。初めて知った。温厚篤実そのものの先生にもそういう蹉跌があったということに驚いた。
上山先生は、その苦悩を空海によって救済されたとのことであった。天下の大秀才ですら、いろいろとあるのである。否、大秀才であるからこそ苦しみも大きいのであろうか。その点、愚生は仕合わせであることよ。大凡才であるからである。こんなに仕合わせなことはない。まったく。おめでたいかぎりである。還暦になって、まだ他人に教えていただいているんだから。(^0^)
もしかしたら、上山先生は、「ええ案配」ができなかったのではなかろうかとふと思ったのである。自分に厳格であられたのであろうか。そういう傾向を持っていないと、学者にはなれないのだろうなぁと思いつつ、先生の本を読んでいたのである。空海の伝記資料をA群、B群にわけて実に緻密な文献学的検討をされていた。すばらしいものである。こういう方が、学者というべきものであろうと思った。
ええ加減とは全く反対側におられる。ええ案配とええ加減とはまったく違うが。 だからこそ、これで良かったのかもしれない、愚生如きが、と思ったのである。
今日は塾がある。夜だからつかの間の駄文打ち。一週間に2コマしかやっていないんだから、これまた何をやっているんだろうかと思うことがある。ま、致し方なし。しょせんそんな程度である。
それではまた!