と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

禁欲と修行

2012年09月06日 09時17分20秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 窮屈な仕事ばかりやってきたのだなぁと思っている。公務員だから、信用失墜行為は厳格に禁じられていたから、それは当然やらない。やったら生活の糧を失ってしまう。否、そんなことを問題にしているのではなく、なんだか美味いモノを食いたいというような基本的な食欲まで禁じられてしまったような錯覚に陥っていたのではないかと思うからである。まるっきり「宦官」であったなぁと自嘲している。
 
 要するに「萎縮」させられていたのだと思うのである。これだけ教育界が叩かれては、教育公務員は萎縮せざるを得ないであろうと同情してしまう。外から見ていたら、なるほど教育界は叩きやすいだろう。やったことの正否を評論家せんせサマのごとく、あれこれあげつらうことは容易いことである。他者の行為を評論するなんてことは、たいした能力がなくってもダレでもできることだからである。そんなことをおっしゃるけれど、そういうおまえサマはいかがなものでありましょうや?って言われたらどうするのかねぇ。他人の悪口ばかり言ってそれで食っているヒトは。まさか、ヒトをクッテ生きてますってなことは言わないでしょうけれども。

 愚生だって、自称大論文を評することができる。自分が書いていないからである。さらに、学者せんせの評価まで勝手にできるんである。当たり前である。自分と関係ナイからである。勝手に、ブツブツつぶやいていればいいだけだ。それに、オレの場合はこれからの人生展望がなんにも開けていないから、好き勝手に勉強していればいいだけの話だ。ごまをする必要もないしねぇ。もっともこれまでもそういうごまを持っていなかったからなぁ。

 それでも世間様には謙虚に接している。ご指導をいただいたら謙虚にお聞きしている。指導するのが仕事のヒトには、その指導の内容について逆襲したらいかんのである。たいした根拠も無く成立した普遍的真理と称するモノを否定されたら、それで食っているヒトは立つ瀬が無いではないか。いかんぞな。そんなことをしたら。泣きわめかれる。それが生きがいなんだろうから、ね。(^0^)

 昨日、ブッダのことを書いた。「禁欲と修行」。要するに愚生にはできない相談だ。当たり前である。庶民だからである。しかも最低レベルだし。愚生なんか。そのことを考えていたら、禁欲と修行は教育界にも要求されているんだと気がついたのである。学校の先生たちは、僧侶と一緒であったのかとはたと気がついたのである。そうか、そうか、それならわかる。つまり、そういう水準のことを他者から要求されていたのである。他者にはできないから、である。要求するのは自分にできないから要求するわけである。

 今の愚生と一緒では無いか。自分にできないことを、禁欲と修行集団に要求をするわけである。それならダレにでもできる。前振りを「オレにはできないけど」とやって「だからアンタ、やってちょう~だい」って懇願しているようなもんである。

 なんか一番重要な視点を喪っているような気がしてならない。つまり、全部他人にやってもらうという姿勢しか見えてこないからである。なんでもかんでも他者の責任、誰かが悪くて、政府も悪い、社会も悪い、そしてこれが一番重要なんだが、自分はイケメン系(美人の)正義の味方だという論理である。おかしいねぇ。笑ってしまいますな。

 なんだか、知識と行動がちぐはぐというか、メチャクチャというか、バランスを欠いているというかそんな気がしておるのだ。ブッダと空海の関係だって、ブッダが顕教、空海が密教である。知識と行動の関係にある。こんなところに持ち出して欲しくない方もおられているだろうとは思うが、ホントに、愚生は知と行動ということを考えざるを得ないからである。ある意味道徳教育の「知と実践のズレ」ということとも関係してくるのだけれども。

 あ、「知と実践のズレ」って知っておるヒトは、知っておるだろうけれど。これって、道徳教育の最高の観念ですなぁ。詳しくはまた別の機会に書いてみたいケド。要するにズレているから行動が問題にされるわけですよ。ホントに。だから僧侶並みに厳しいことを言われるわけである。

 



 今日は、これから県立図書館に行く。今日は塾でアルバイトだ。夜。夏ばてになっているから、学校はお休みである。あまりにもハードだ。還暦のじぃさまがやるこっちゃない。たまには、お休みもしないと健康に良くない。と、言いつつ図書館に行くのだから、やっていることはあんまり変わらない。

 ポメラという機械に、昨日まで書いていた駄文を「秀丸」というエディターに落として、さらにそれをポメラに保存してでかける。あそこも本学の図書館に負けず劣らずいい図書館である。冷房もきいちょるし。なんてったって、40年近くも冷房無しでやってきたからなぁ。学校の教員時代は。最後の県立銚子高校の時だって、校長室に冷房はござんせんでしたからねぇ。まったく「禁欲と修行」を地でいっちまったですな。世間の方は知らないだろうけれど。

 県立図書館ではちょっと古典にあたる。書いた文章の根拠を調べて続編を書かなくてはならん。楽しいもんである。実に楽しい。こんなの書いたってダレも読んでくんないってぇのが、オレらしくっていい。(^0^)

 



 では、行ってきまぁす。


 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/