と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

新入生?・・・・老青春ここにあり

2012年09月14日 23時32分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 ここんところ、ずっと院生室で文章書きをしていたんだけど、夏休みっていうのはまったく愚生にはないから・・・だって毎日が夏休みではないか。退職したんだから。ただし、原稿の締め切りがかなりあって、しっちゃかめっちゃかなんであるケド。

 今日は、師匠に報告という形で、3種類の駄文を印刷して、準備をしていたのである。ロンブンという形で、バンバン書くことがオレの老後の主たるお仕事であるから。もっとも、一文にもならんからワイフには評判が悪い(^0^)

 それで、ずっと院生室の無料コンピュータとにらめっこしていたんである。

 そしたら、非常に美形のうら若きにょしょ~が隣の隣のコンピュータにお座りになって、やおら打ち始めた。こういふときは、愚生は目を伏せることにしている。なぜか?美形に弱いからである。ハハハである。緊張してしまうからである。

 で、ずっと知らんぷりをしていた。

 そしたら、その美形さんが「ちょっと・・」とのたもう。

 「えっ?」

 まさかオレに声をかけてくださるって、そんなのありか?と思ったけど、一応聞いてみたのである。

 「あっしですか?」

 「このチューインガム食べない?」って言われたのだ。そこで初めてご尊顔をしみじみ拝見させていただいた。若い。そしてお美しい。あ、このヒト、最近院生室にいるわなぁと気がついたのだ。殆ど、愚生と一緒だった。オレも晩熟(オクテ)でありまするよん。

 「新入生なの?」

 確かにそう聞こえた。

 あああああああああああああああああ、感激である。42年ぶりに大学で「新入生なの?」と聞かれたではないか。オレでも新入生っぽく見えるのだよん。こんな禿アタマがである。

 「はい!そうでありまする」(敬礼までしちゃったわい)

 「ふうん、そうなんだ」

 そして、高そうなチューインガムをいただいた。ご自分の手から直接である。オレのしわくちゃの手が震えたような気がした。だから、感激しちゃったのだ。だって、高そうな箱に入っていたんであ~る。

 「専門はなに?」

 「比較文化であります」

 「ふうううん」

 ここでどうやらこの淑女、もしかしたらオレの先輩なんじゃないかと気がついたのである。

 「何をご専攻で?」

 「同じよ・・比較文化」

 「どういう分野を」

 「中国の舞踊をやったの」

 「日本でも影響されている能楽がありますが」

 てな会話をしていたのである。

 「修士を修了したの」

 「そうでありますか。すばらしいことで」

 完全に先輩であった。これは失礼をしてはいかんぞな。ごますりモードになってしまっているがな。オレもだらしねぇなぁ。

 それから、いろいろと事情をお聞きした。先輩が勝手に語ってくれるから、ふんふんと伺っていたのである。ま、彼女の個人情報なんでここには書けない。でも、嬉しかったですねぇ、先輩!こんな体験絶対にできまへんな。どっかから携帯に電話がかかてきて、あっという間に退室されたが。修士の学位記を見せていただいたが、中国からの留学生であられた。名前でわかったのである。それにしても見事なまでの日本語会話能力である。たいしたもんである。帰国されたら、エリートとして、日本語教育の分野で活躍なされるんであろう。頑張ってくだされませ!先輩!

 しかしである。60のオレが、新入生?って聞かれるんだから。おかしいけど、そりゃそうだわい。まったくそのとおり。本学では。まったくそのとおりである。ちなみに、県立銚子から看護学部に一人入学した女子生徒がいるが、あの子はオレの同期生ちゅうことになるんかいのぉ。年の差、42歳だわなぁ。実に喜ばしいことである。ますます若くなっちまうじゃないか。これじゃぁ。来年は、オレ、18歳になっちまうぞ(^0^)

 これでいいんである。

 なにも、60になったからって、先輩ふるこたぁねぇんだよん。

 むしろ、ため口をきいてくださる方があればこれは喜ばしいことではないか。ありがたいことである。あちらは修士、こちらは博士なんてなんも関係ねぇんだねぇ。まったく。よくわかりました。最近ようやくオレが、院生をやっていることを知っている方が増えたような気がするし。ちょっとは、このBLOGで宣伝にもなっているようだし。マジに。


 今日も大学院事務室に行ったのだ。用事がちょっとあって。で、律儀なオレは、ちゃんと学生証を出して、「と~ま君と申しますが」と挨拶をして、事務長サマと話をしようとしたのである。そしたら、「今日は、はじめまして」とにこやかにおっしゃられたのである。親切な事務長サマである。わかっているよ~ということであったのである。ありがたいことである。こんな何の特徴も無いただのじじぃを覚えてくださっておられたのだ。ありがたや、ありがたやである。

 こんなふうに毎日楽しく勉強させていただいているのである。

 良い学校ですよ。

 ホントに。

 

 じゃぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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たくましいのは中世の女性ばかりか

2012年09月14日 18時28分39秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 中世の日本女性というのは、実にたくましい。

 現代の日本女性もたくましい。

 女性だけの旅を見ていてもよくわかる。

 

 今日は、ずっと中世ものの読書を続けていたので、閑話休題。要するにくたびれたから、休憩である。休みながら、ブログの記事でも書いていると、また新しいアイディアが浮かぶのである。これはいいものである。どっかに提出する予定の駄文をずっと眺めていたら、もうこれくらいでいいやという時間が必ずくる。所詮才能が無いから、飽きるのである。そういうときは、潔く諦めるしかない。また書き直すのである。予定だけれども。あくまで。

 宮本常一の「忘れられた日本人」に、周防大島の女性たちが出てくるのだ。これがかなり面白い。「女の世間」で自分を語る老女が出てくる。19歳のときに、女の友達3人で、「鬼の国」と言われた土佐を除く「女四国」を旅して、その途中「豊後の姫島」から来たやはり女性だけの「おんなしゅう」と出会うのである。そして一緒に歩いている。この女性たちは、善根宿に宿泊しながら和讃や詠歌をあげてもらいものをして、旅を続けた。さらには、吉敷郡のレンガ工場で働き、元気のよい女性は、夏は岩国で綿摘みに、秋は山口の奥で稲刈りに行ったのだそうである。

 また、家出をする若い女性も多く、伊予で下女として働き、文化を身につけて帰ってくることもあったという。また一方では、能登半島の山の中で、生涯海をみたこともない老女のことも書いてあるが、この西日本の女性たちのたくましく働いているさまが目に浮かぶようである。

 なんでこんな書き出しから入ったか。そうなんである。周防大島に行くのである。近いうちに。なんて書いていくと、それはずっと先のことだだろうと、政治の話にひっかけておめぇさんは書いているのか?と言われそうだが、違うのである。周防大島に行くのである。近いうちに。笑・・行ってきたら、このブログに写真だけでもアップする。アップ、アップしない程度に。

 さらに中世の女性は、とくに芸能の民や、商人の女性の場合は実に広範な行動をしている。日常的にである。魚売(イオウリ)さんといわれる女性たちは、いろいろな民俗学の文献に登場してくるが、伊予の松山の近くにある松前の魚売(イオウリ)さんの行動範囲は実に阪神地域は言うに及ばず、北海道や樺太、中国大陸まで出かけているのである。

 「ヨーロッパ文化と日本文化」(ルイス・フロイス)という本には、

①ヨーロッパでは、娘を閉じ込めておくことは極めて大事なこと

②日本では、娘たちは親に断りもせずに、一日でも幾日でも好きなところに出かける

③ヨーロッパでは、妻は夫の許可がなくては家の外に出ない

④日本の女性は、夫に知らせず、好きなところに行く自由をもっている

と書かれているのだ。笑っちまうではないか。

 こりゃあこのまま、周防大島の女性たちのありようと一緒である。実にたくましいのである。中世は家父長制の厳しい社会であったとされるが、実態はかい離していたのかもしれないのである。

 現代の女子だって負けてはいない。どこへでも、なんでも見てやろうと、たくましく出かけていくではないか。ウデまくりして、チョンマゲ結って。そうである。あの後ろ髪を縛ってあるのは、チョンマゲのように見えるからである。最近は男どもにもそんなのがいて、後ろから見るとなんだかわからなくなってしまうが。面白いのは、気のあう女性だけだと、怖いものはまったく無いようであることである。違いまっか?今日のタイトルは、「たくましいのは中世の女性ばかりか?」である。回答は、、、言うまでもない。

 十六夜日記だって、そうである。相当の距離を旅している。あの時代にである。しかも体力抜群である。愚生なんかぜったいできない。歩けない。

 むろん危険がなかったとは言わない。相当な困難もあったからである。とくに、宿泊を専門としていない素人の主人がいる家では危険であった。そのまま、下人にされたり、身分を落されることもあったのである。

 古今著聞集にも遊女たちが、自分で宿主となって、山伏などを泊めている。琴、琵琶、和歌なんかをやりながらである。そのあたりは、非常に興味深いことである。ちなみに、江戸末期の遊女を撮した写真を見たことがあったが、実に美しい。教養もあったとのことである。ま、どうでもいいことばかり書いているが、これは性分なのでお許しねがいたい。

 なんだか、中世期というと暗く寂しいイメージばかり抱いてしまう。事実はそうでもないのである。男共は、戦ばっかりにあけくれていているし、じゃぁ生活はダレが守っていたんだろうかと思うのである。家と、カネの入っている倉は女性が守っていたのである。今と同じではないか。まったく。

 なんだか、弱きモノ汝の名は・・・・なんてホントだったのかねぇ?(^0^)

 男共は、中世の戦ばかりしていた時代のように、「仕事」「しごと」「シゴト」とだけ言っていれば、家庭のシゴトは免罪符のごとくサボっている。晩酌と称して、大量の飲酒をして健康を害し、ウダウダと職場の、上司の悪口を言いながら、そのくせ「オレは使える男だ」「才能も、能力もある」「見栄えだっていいはずだ」「こんなオレを正当に評価していない」って、昔っから中世時代から言っていたのだ。馬鹿みたいにである。

 もっとも、愚生もヒトのこたぁいえねぇなぁ。

 アハハハハハハッハハハハである。





 

 

 

 

 

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清流の源流

2012年09月14日 07時54分46秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 昨日は記事を更新しなかった。多忙であった。ちょっとS市のセレモニーホールに通夜に出かけていた。お世話になった方の御尊父様の通夜があったからである。96歳であったそうな。あやかりたいものである。どういう最期でもって、人生を終わるのかということは、愚生の大きな関心事である。どうしても避けられないからである。避けたいけど、ムリであるからだ。当たり前である。オレも、あなたもダレでも死んじゃうんだから。考えていなくたって、それは必ず来るんであるから。

 Youtubeとか、ニコ動とかの動画を録画するソフトを買ってから、毎日のようにやっている。しかも、それをブルーレイディスクに落とすようにしたから楽しい、楽しい。一枚のブルーレイにDVDが何枚も入るのである。知らなかったなぁ。所詮、こういう分野もまったくの素人である。知らないことが多すぎる。

 これまで、NHKスペシャル、中世歴史資料、民俗学、遠野物語、申楽関係資料、表章先生特別講義、空海の風景関係資料、最澄関係資料等々のフォルダーを作成してそこに動画を入れている。動画を見ながら録画して、メモをとり、そして保存するわけである。大学に行っても、見られるからこりゃいい。

 最後の最澄関係資料というのが、今日書きたいことの柱である。
 
 最澄は相当な秀才である。若くして、国家直属のエリート僧侶として躍進していた。天台宗を作られた。言わずとしれた比叡山である。それはそれでいい。けっこうなことである。信者ではないけど。

 反対が、空海である。最澄と違って、若い時からエリート街道をばく進していたとは、ちょっと言えないであろう。ただし、圧倒的な学問量と質でのし上がってきたという感じはする。こちらも信者ではない。ただし、そのふてぶてしさというもの、したたかさということではかなり興味がある。空海さんにである。

 最澄は、国家とか天皇制とか奈良仏教との対決とか、そういうシステムの内側にあって、学問としての仏教を構築していった。桓武天皇のひきもあっただろう。奈良仏教界との対立構図とのからみもあっただろう。対して、空海は、国家とかなんとかとかそういう人間のこしらえたシステムの内側にいない。この点が大きな違いであろうと思うのである。私的にはである。あくまで。愚生もまた国家的な官僚育成システムの外側にいたからである。あたりまえである。東京大学だけを育成システムの柱としている日本の状況では、愚生ごとき生涯学習人は、はじき飛ばされる。そういうシステムをありがたがっているカタガタの眼中に入ってこないからである、愚生のような変種の生物は(^0^)

 これは儒学にも当てはまることである。儒学も処世学・世間学であるからである。こっちはなにしろ年季が入っている。論語の素読で鍛えてもらったからである。5歳前からだった。おかげで、高校の漢文のせんせを随分困らせていたっけ。そのせんせ、仙台の帝大を出たエライせんせだったんだけど。(_ _ )/ハンセイ

 儒学に関連するいわゆるビジネス書も好きで、現役時代は会社経営者の方々の本も随分読ませていただいた。参考になることも多かった。儒学を標榜される方では、安岡正篤先生であった。ほぼ全部購入して読んだが、退職と一緒に古本店に引き取ってもらった。ほかにもアメリカの経営理論というのは、実に参考になった。一番好きだったのが、儒学とは関係ないんだけど、ドラッカーであった。こちらもほぼ全部を古本店にひきとってもらった。退職したら処世学・世間学には興味が無いからである。もう、そんなのはいいのである。ゲップである。腹いっぱいである。ワハハである。はいさようならである。
 
 しかしである。ビジネス書というのは、世間というしがらみから一歩も抜け出ていない。人間のこしらえたシステムというものの内側にあって、その中でジタバタしているだけのような気がしてならないのだ。メリット追求の旅だけをしているのでは、定年後にやれることが限られてくるではないか。

 否定しているのではない。それはそれで生きるためには、大切なことであろう。そういう現象学を追究することで、確かに我々はメリットをいただいている。生活するためには仕方のないことであるとは思う。

 さりとて、あくまで謹厳実直に生きているのもいかがなものか。いわゆる「よい子アイデンティティ」という言葉があって、我々は親に周囲のモノに、それをおしつけられる。よい子はよい子で、精神的にいろいろと問題を抱えているだろうし、反逆児は反逆児でよい子に反発しているわけである。しかし、基盤は親や周囲の「よい子」であってほしいという願いにある。

 挙げ句の果てには、欲望を否定し、まるで谷川の清流のような生き方を憧憬してしまうこともある。事実、世の中はあまりにも汚いから、それに憧憬する気持ちもわからないではない。

 清流を求めて、深山幽谷を上流に行くことがあった。そういうこともである。そして、山の上流に行くと、清流があって、そこには苦悩とかそんなもんはなにも無くて、ただひたすらこの世のものとは思えない美しい源流があって・・・・と勝手に想像していたのだった。そういうところに行きたいから、バイクまで買ったのだった。

 一緒につれていっていただいていた人生の大先輩にそんなことを申し上げながら、山を登っていたら呵々大笑。

 と~ま君、清流の源流って言ったって、ソバで熊がおしっこしていたら、清流も下流も関係ないわな・・と言われたのである。会津のヒトであるから、愚生と一緒で東北弁でしゃべっていたのだったが、相当ショックを受けた。こちらも呵々大笑であったのである。

 以来、随分考えが変わったんだけど。



 つまらない話であります。

 
 さ、これから登校しよう。

 講義をいたたくからである。

 楽しみである。 師匠とお会いできるからである。 




コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/