大衆日報に掲載していただきました・大衆日報、今日の朝刊に掲載していただきました。ほんとうに、お世話になっております。これで、銚子市内のご家庭に本校のことが、それこそディスクロージャーされるわけであります。やは...
gooが新しいサービスを始めました。
一年前にこんなことを、あーたは書いたのですよというもの。
こりゃ面白いですね。
懐かしや!
大衆日報様。
大衆日報に掲載していただきました・大衆日報、今日の朝刊に掲載していただきました。ほんとうに、お世話になっております。これで、銚子市内のご家庭に本校のことが、それこそディスクロージャーされるわけであります。やは...
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一年前にこんなことを、あーたは書いたのですよというもの。
こりゃ面白いですね。
懐かしや!
大衆日報様。
いいな、若人は。
夢を持ってオオイニ羽ばたかれるがよろしい。
今日、講義が終わった後に、博士を目指している少壮女性研究者と立ち話。
夢があっていいですなぁって申し上げたら、と~まだってそうでしょう?と
言われた。
無い無いのです。夢は無い。
本当になんかになってやろうというのは無いし、今更、もういいのです。
最初なかなかわかってくれませんでしたが、物語を拾ったり、作ったり
駄文を書いてあちこち発表したり、そういうことを語ってくださる方の
ところに遊びに行ったり、そうやって余生を過ごしたいと言いましたら
なんとかご理解いただいたようでした。
?
余技というか、ま、自慢にもならん話ですわなぁ・・・・・・・・・
「見知らぬ在所へ嫁に行く」なる短文を読んで感心した。
宮本常一先生の著作集30巻「民俗のふるさと」のp.135である。
結婚のしかたであった。
愛知県の山中である。場所も特定されているのだが、それは宮本先生の同書を参考にされたい。
80をこした老婆から聞いた話である。
一度嫁に行ったが、相手の男と気も肌も合わないのでわかれて家で働いていたのだそうである。
そしたらその村によく来る小商人が、嫁の世話をするのである。
「あんた、出戻りなら嫁の苦労は知っておろう。一つ嫁に行ってみないか。相手の男はしっかりしてなかなかの働き者だが、その父親が長患いで寝ている。口やかましくて困った者だが、その爺さんはそのうち死ぬだろうから」
というわけである。その言い方がおもしろいのでつい行く気になった。
遠い土地に行ったので、よそ行きの着物を着て、小さい行李を持って行った。
そして、小商人について行って、一緒に台所にいて、新しい亭主の帰りを待っておった。
そしたら、奥で寝ていた新亭主のオヤジ殿が、
「お前お客にきんだじゃなかろう。嫁にきたんじゃろう。嫁なら嫁らしゅう仕事をせぇ。わしは小便したいんじゃ」といきなりきた。
それこそとびあがるほどびっっくりして、シビンを持っていって小便をさせて、台所の片づけをはじめた。つれてきてくれた小商人も肝をつぶして帰っていってしまった。
そのうち亭主が帰ってきた。
「嫁に来たのはおまえか。腹が減ったからめしを食わしてくれ」と、まるで10年もその家にいる者にいうような言葉であった。それで、「ああ、私はこの家の嫁さんなんじゃな」と思ったそうである。
夜になったから亭主が、床を敷いてくれという。蒲団がわからない。聞くと、「お前の気の向くようにしたらええ。女房じゃないか」といった。その晩亭主に抱かれて寝た。10年も夫婦をやっているようであった。
この家にはほんとに私が必要なんだなと思ってそれから身を粉にして働いた。
すぐ死ぬといわれた爺も10数年それから生きた。
その病人が死ぬとき「われにゃえらいお世話になった」といってくれたので、苦労がいっぺんに消し飛んでしまった。
苦労の多い一生であったが、親元が遠いので苦しいからと言って愚痴をこぼしにいく間もなかった。さいわい子どももよくしてくれるので今は極楽です。
以上のように老婆は話してくれたのだそうである。
いい話である。
実によかった。
師匠との楽しい時間が終了しました。
いつもながら、碩学ぶりにしびれております。
愚生の駄文をいろいろと材料にしながら、ご指導をいただくわけです。こんな幸せはない。足りないところ、ここはおかしいというところを、です。ありがたいものであります。中世文学、平家物語、方丈記、徒然草、今物語など古典文学の第一人者です。
こっちの能力がなくて、まことに申し訳なく思います。もっと、もっと勉強ですなぁ。まったくこれじゃぁ話にならんわい。
師匠に申し訳ありませんです。
時間がないながらも、昨夜も宮本常一せんせの著作集を読ませていただいていた。昨夜は、Personal Computerで映像処理をしていたので、BLOGにもなにも書けなくていた。しょうが無いからポメラというテキスト作成専門の機械で、駄文を書いていた。映像処理は待っていれば、機械が自動的にやってくれるから、安心である。
宮本せんせの著作集は未来社版のが全部で50冊くらいあるから、なかなかの分量である。もうかなりあちこち部分コピーをしてきた。ノートも相当とってある。
昨夜は、「庶民の発見」という21巻目の文章を読ませていただいていた。いい文章である。人格が出ている。こういう文章を書いてみたいが、かなりムリですねぇ。慨嘆しているしかない。
p.11に「庶民のねがい 戦争の反省」という部分がある。戦争を教師として体験した宮本せんせならではの珠玉のような文章がある。
「戦の終わったあとわれわれはどのように対処していけばよいかを、今から考えなればいけないと思った」という部分には、その前後も含めて庶民としての生きるための智慧を教えていただいたような気がした。詳しくはこの著作集を読んでいただきたいが、昨今の国際情勢の分析の仕方にも参考になることが書いてあるからである。
p.13には「自らを卑下することをやめよう」という書き出しで、こんなことが書いてある。
「人間が誠実をつくして来たものは、よし間違いがあってもにくしみをもって葬り去ってはならない。あたたかい否定-すなわち信頼を持ってあやまれるものを克服していくべきではなかろうか。私は人間を信じたい」とある。
この文章も最近のニュースで取り上げられている国際紛争を考える上で参考になる文章である。かなり前の文章であるにもかかわらず、今でも輝きを喪ってはいない。
無字社会ということを宮本先生はおおいに研究なされた。頑迷なと批判してくる訳知り顔の新聞記者なんかにも、対決した。ごく一部の農民と接触しただけで、独自のイデオロギーでもって、農民を指導しようとされた一部の似非インテリ集団をである。
ところが、無字社会にあっても、庶民はどっこい生きていた。たくましくである。p.88の「言語生活」という文章は、最近のいじめ問題への対応にも通じるヒントがたくさん隠されている。退職したので、このような問題には触れない。考えて見たい方は、この著作集のp.88を読まれるがよろしい。
それでも一つだけ書く。
それは村の長老の不在ということである。老人は固陋だとよく言われる。愚生もまたおなじようなことを言われる。たしかにそうかもしれない。愚生の場合は。しかしである。全ての老人が固陋であったわけではない。昔からの仕切りを忠実に守ろうとするのは、そうした方が安全であったからである。特に、漁民は経験を大切に扱う。農民もそうである。経験をかなり重視する。
家柄とか、血筋ではなかったのである。技術のすぐれた者、統率力のある者が、村社会のトップに立ったのである。これは現代風のリーダーシップとかなんとかというようなモノと比較しては、失礼となるくらいすばらしいものである。
智慧がある。村の長老たちには。
無字社会であっても、それらの方々は、どうやって生きるかの智慧を持っていたと思うのである。そうした智慧を、愚生ならば聞きにいく。酒を持って、そしてささやかなつまみを持って。「やぁ。。。。世間話をしてくださいな」でいいのだ。たいていは隠居されている。そして最初が肝心である。絶対に、背広にネクタイではいかんのである。紋付き羽織袴で、エリート面をして行ったって、ダレもこころは開かない。
世間で生きていくには、長老の智慧を拝借するにしくは無い。勘違いをしていた部分もかなり多くあるからである。できればいろりがあるほうがいい。いろり端で、茶碗酒でも呑みながら、ずっと世間話をさせていただく。愚生の田舎では、こうした風景が日常的にあった。午後のひとときを祖母の近所の、じじばばたちがお茶を飲みながら雑談に興じていたのである。ワキに座ってその話を聞くのも楽しみであった。夕方までずっと雑談をしているのである。たまには夕方に茶碗酒になって顔を真っ赤にしていたじっちゃまもいたっけなぁ。
生きていないだろうなぁ。当たり前か。その時のじじばばたちと同い年になっているんだから。こっちが。でも、会ってみたいよ。最近の教育問題についてなんて言ってね。雑談だからなんぼでも、参考になるヒントがあるだろうから。陸軍で満州に抑留されていたある老人は、なかなか教育問題に深い知識を持っていたっけ。上杉鷹山のこともよく知っていて、論語もそらんじていたっけなぁ。なかなかオッカナイじーさまで、あまり近寄らないようにしていたんだけど、なかなか愚生のようなひねくれた幼児をのせることがうまかった。おだて方がである。
じーさまの口癖をまねて、論語の文章を暗唱してみせたら、実に褒めてくれたっけ。うれしくて、ますます暗唱にチャレンジしていったなぁ。
そういう長老に育ててもらったようなものでしたな。
今は、そういう方がおられない。アドバイスを求める気も無いようであるし。もったいないと思う。庶民の智慧がいくらでもあったからである。
さ、これから隠棲室に行きます。今日は昨日塾に行かなかったから、夜に勤務シフトをした。またまた若い人との接点を持つことができる。楽しみ、楽しみ。
じゃぁ・・・・行ってきます。