毎日暑い日が続きます。高校以下の学校在校生諸君も頑張っておられるんでしょうねぇ。まったくまったく大変であります。もっとも、それが仕事と言えば仕事。学生は学ぶことが一番大切でありますから致し方なし。
愚生も今日は院生室を抜け出して、図書館に。今日は留学生の学生、院生(修士)の卒業式でしたから、院生室にいたらいろいろ邪魔になるだろうと思って図書館で、作業。能楽源流考という15センチはある暑いじゃなくて厚い本をじっくりと読んでおりました。基本書ですから、やるっきゃないんです。原文が難解でたまりませんが、家でコピーしたのをノートに切り貼りして漢文を読解作業。これまで学校の管理職で学問活動のこういう作業を怠っていたから、難行苦行。
道遠しでありますなぁ。どこまで続くぞ茨の道。
今日は早くから大学にいたので、帰りは三時台の電車にしました。求名駅で電車を待っていたら、妙齢のお嬢様とご両親とおぼしき3人がベンチに座っている愚生のワキに。ああ、良い風景だなぁと思っていました。卒業式(修了式)に出席されたのでありましょう。会話が聞こえてきます。日本語ではありませんでした。遠い国からお嬢さまの卒業式か修士の修了式に来られたのでありましょう。たいしたものであります。実にたいしたものであります。修士論文の研究発表会や、院生室で見かけたことがありましたから、修士をとられたのでありましょう。母国に帰られて前途洋々たる未来が待っておられる。いいものであります。素直に応援したいものであります。
図書館では、駄文に欠かせない唯識論をノートに再度まとめておりました。これが難物なんであります。専門の僧侶でも理解しがたい分野であります。だから、時々愚生はもう出家した方が早かったダンと喚いているんでありますが、まったくなんでこんなのをやっちまったか。
(はれぇ。。。今日は珍しく丁寧体の文章になっている)
やりたいから、やっているんですが。当たり前でありますな。そして、どんどん興味が拡散していっている。民俗学的な傾向を示し始めているから、要警戒であります。今日も、本学図書館から5冊お借りして、また明日から院生室で読書活動。ところどころコピーをしながら、コメントを書き込みながら、(図書館の本ではないですよ=ノートにです)100枚もある分厚いノートを使ってアタマの活性化に取り組んでいますよん。
そして愚生のもう一つのテーマである柔道。そうです、今日は火曜日。稽古日だん。楽しみだん。さっき稽古してきて、帰ってきたんです。小学生が一杯いて楽しかった。幼稚園の生徒もいて、こっちに今晩わ!って言ったら、「ダレ?あのおじいさん・・・・」だって。笑っちまったですなぁ。かわゆいことかぎりなし。「ぶひぃ・・・・じっちでしゅよぉ~~~~~~」って迫ったらキャッキャ言いながら道場の中を逃げ回っておりました。否、そうじゃなくて愚生は稽古台。投げられてばかりいました。
そんな柔道なんか、研究活動にはなんにも関係ないし、そんなのやっているより基本書を少しでも読み進めないといかんのでしょう。第一、こんな武道なんかやっていたら、研究者として立っていけないだろうと叱責をうけそうだ。? そんなこたぁないですな。研究者にはなれっこないでありますから。アタマが良くないからねぇ。オレの高校はけっこう優秀だったから、大学の教授がいろいろいるんです。同級生に。ホントに。中には神父様までいるから、実に変わった高校だったんです。そういうのに言われてしまいますな。「往生際が悪すぎる」ってね。(^0^)
そうじゃぁなくて、身体論的に柔道はいいものであります。西洋的な文化と東洋的な文化といろいろミックスされていたほうが、精神衛生上はいい。そのことを専門に書かれたエライ学者先生がおられて、愚生はそれもお借りしたんです。修士の時に、実に参考になった学者先生であります。湯浅泰雄先生という方。全集本が本学にはあって、これも垂涎の的。明日から読書三昧にまたなりますなぁ。
鬱々と毎日を送らんほうがよろしいですよ。所詮、たいしたことはないんですから。ダレもが天才になれるわけじゃぁないし。消極的に考えて、失敗したらどうしようとか、ダレかに笑われっちまうなぁ、こんなんじゃとか。そんなの考えないほうがよろしい。ここにいい見本がいる。愚生ですよ、愚生。笑われても、馬鹿にされても、一切気にせず、西に困った方あれば行ってナニカチカラになることアリマスカと聞き、東に悩んでいるヒトあれば、グチヲキキマショウって言うのが愚生の仕事でありましたからねぇ。それが教師というものでありましょうから。宮澤賢治みたいなのがある意味理想だから。愚生にとっては。
根底に「明るさ」がないといかんです。特に10代、20代の時には。そういう性癖を無理してでも身につけた方がよろしい。なんだかわかったようなふりをして、方丈記の鴨長明のように隠者として生きたいとか、欲望を否定して無の境地になりたいとか、そんなのムリムリ。やるだけ無駄でありますよん。
特に、エリートといわれる高校とか、大学に進んだヒトほど、自分を特別視してしまいますから、余計悩んでしまうんです。誰しも天才にはなれっこないんです。一流大学を出ても、高校の教員で終わるヒトだってたくさんいるんですから。だから、天才なんてなろうと考える方がおかしいんですがな。
明るく、めいっぱい努力して、駄目だったら仕方なし。
ある意味そういう割り切り方が大切でありますよ。
今日唯識を勉強していて、こっちはこころの問題であって、行動面をまったく問題にしていないから、やはり東西の両方の文化を吸収すべきだなぁと思ったからでありました。またまた、駄文を書いてしまったケド。
(^0^)