と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

コピーをやっていた

2012年09月21日 18時02分36秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

今日は大学でコピーをやっていた。一番は師匠の「文学」(岩波書店)所載の研究論文「方丈記」を拝読させていただき、それをコピーさせていただいたこと。凄いですなぁ。我々には、この「文学」に原稿が出るということは、まさに垂涎の的。そして、師匠は日本の第一人者だから、分量も多い。いろいろと得るところが多く、これから今日の夜は駄文書きをせにゃならんですわい。しかしです。これからジムに行くのだ。やっぱり体を動かさないと、オレはアタマの方も動かないときているワイ。ワイワイ。

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またまた新入生?と言われもうした

2012年09月21日 15時53分20秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

授業を受けにセミナー室に行ったら、師匠と話していた妙齢の女性がいて、今日のゼミからクラスメイトになる方だということであった。いろいろと師匠に報告をさせていたきながら駄文を提出させていただいた。奈良の国立博物館のこと、高野聖のことで高野山に行ったこと、あるいは鷗外のこと津和野にいたこと等々を報告した。さらに、ある研究所から印刷物を発行させていただいたことをも、である。

終了後、冒頭の女性から「新入生?」って聞かれたのである。先輩でありました。なんだか、家の老犬と一緒でオレ何歳になるのかわすれっちまうですワイ。(@^▽^@)

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神谷美恵子流「老年」について 

2012年09月21日 15時19分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 神谷美恵子「こころの旅」(日本評論社)を古本チェーン店から、昨夜買い戻した。塾の帰りに立ち寄ったのである。何度もこの著者の本は捨てては買い、また買い戻しては読みを繰り返してきた。

 なぜか。

 愚生の成長がおいつかなったからである。本当にそう思う。若いころは、心理学者になにがわかるとかなんとか言って、毛嫌いしていたんだから始末に負えない。若いころは心理学のイロハも勉強しないでいた。それが、アルバート・エリスを知ることによって激変したのだが。国分康隆せんせの大影響である。たしかに、心理学だけが万能ではない。しかしである。教育についてはいろいろお世話になったから是々非々ではある。

 その神谷美恵子せんせの本のp.200に「老年について」という短文がある。昨夜立ち読みをして、またまた買ってしまったのはこの部分を偶然開いてしまって、あ、こりゃ買わなくっちゃと思ったからである。値は250円。古本チェーンも高くなったものである。笑

 「安らかな老年を迎えて長寿を全うする人々を見ていると、たしかにこれは大きな『業績』であるように思われる。心がけと同時に体質、健康、社会的・経済的・家庭的条件などがうまく揃って初めて可能なことであろう。・・・彼らはすでに向老期という危機を通り越して、悠々たる時間の中に生きている。べつに何かを、『今のうちに』いそいでやりとげておかなくてはならない、というあせりやいらだちもない。生かされている一日一日をたのしんで、多くの人はそれまでやりつけた仕事なり、趣味なりを自分のテンポでつづけている。・・・・だいたい、明るい、楽天的な性質の人、あるいはそういう心境になってきた人が長生きするようである。いつまでも童心を失わず、青年のようなみずみずしいこころを持ちつづける老人も確かに存在する。・・・・もともと、愛されることを求めるよりも愛することによろこびを感じるこころが、長い生涯にわたってはぐくまれてきたことにあるのだろう」

 以上のように書いてある。

 そうだ、こりゃオレのことだと瞬間に思ったのである。あふぉ~かと笑われてもいい。年をとってから急速に上記のような考えになっているのである。こりゃありがたい。神谷美恵子せんせに長生きの太鼓判を押していただいたようなものである。

 この「こころの旅」という本は、若い時はそれこそページの順番に読んでいた。名著だから読んだほうがよいということを聞いて、読み始めたのだったが、今回のように後ろから、つまり老年から読み始めることもまた一興である。それだけ人生の終わりに近づいたのかもしれないけれども。それでもいいじゃぁないかという神谷美恵子せんせのあたたかい応援歌である。ありがたいもんである。

 定年まで職業生活が持ったということも「業績」である。中には不本意ながら、退職していった人々を知っているからである。途中で亡くなられた方も多い。健康も持った。それも「業績」である。メタボにもなっていない。もっともこれは努力したからでもあるが。これまた「業績」である。

>べつに何かを、『今のうちに』いそいでやりとげておかなくてはならない、というあせりやいらだちもない。

 今の愚生がこれである。いそぐことはまったくないのである。今のうちにといっても、愚生は明日も時間だけはたっぷりあるからである。当然、あせりや、いらだちはまったくない。そんなもんは、どっかに置き忘れてしまった。ストレスもない。なにを言われても馬耳東風である。家のモンが一番口やかましいが、ま、都合が悪くなったら、聞こえないふりをしている。生きる知恵である。

 現役はそうはいかんのだろうなぁと思う。

 いろいろと大変なんでしょう。がんばってねぇ~~~~~と応援歌を贈るしかない。若い人を応援するのもオレの役目だわなぁ。決して出しゃばらず、控えめに、淡々と生きるこってすよ。

 そういうことである。そういうこと。

 ではまた!

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/