若い人を除いては
世の中は、実に平安である。ありがたいものである。
このような平和国家を作っていただいている国家、政治家の俊秀の方々、おほやけのために働いておられる公務員の方々、あるいは会社員の方々、自営業の方々、いろいろな方々のおかげで日本という国家が回っているのだから。GWとか言って、花の精霊に誘惑されたいとかふざけたことを言って、みちのくを彷徨している老人は、だから感謝しているのである。徹底的に。
平和と安全が最も好ましいのである。桜を眺めて、命のはかなさや、もろさを思っているのも、平和と安全が保証されているからである。いくらあふぉ~なじじぃの愚生でも、それくらいはわかるのだ。だから感謝しているのである。若い方々への感謝である。これからは、じじぃの出る幕はないからである。邪魔をしないように、ひっそりと生きるしかない。
若い人を除いてである。若い人は、おおいに羽ばたかれるがよい。これからの一生を輝ける生涯にしていただきたい。ホントウにそう思っている。桜の花にも、若い花と、老いた花とあって、生き生き度が違うのは、いくらオレでもわかるからである。若い方は輝きが違う。未来がある。可能性がある。なんでもかんでもこれからなのである。だから、がんばっていただいきたいのである。
今晩、また中国語講座に出かける。月に二回の講座ではなかなかマスターできない。当たり前である。能力がないのに、練習する機会がない。インターネットでラジオ講座を録音したり、録画したり、それを見ながらトレーニングしたりしていた。この二週間ばかり。それで、今晩講座がある。むむむむ、である。二週間ぶりである。前回何をやったか殆ど覚えていない。がっくりしている。
在籍校のクラスメイトにもちょこっとだけ教えていただいたことがあった。しかし、あちらは愚生なんかよりももっと時間がない。これから学問の世界で活躍される俊秀に時間を削っていただくことはできない。第一、申し訳ないではないか。親切に教えていたけるのであるが、もう遠慮するしかない。どこの世界に、こんなじじぃに教えてくださる方があろうか。優しいこころのみいただいて、愚生は消えるしかない。
今、県立図書館にいる。だいぶ機能が変わって、インターネットも無線でできるようになった。この図書館からは、県内の大図書館の蔵書を殆ど全部と言ってもいいほどお借りすることができる。メールで依頼して、予約もできる。で、折口信夫関連の本を借りにきて、夕方までこうやって原稿書きをするつもりである。その前に、指をならすための、文章トレーニングである。これがいいのだ。
さ、準備運動はできた。
原稿を書かなくてはならない。じゃぁ。。。。。。。。