水商売の店にいく奴の心理
20代の頃、酒を呑む奴が大嫌いで、特に酒を呑みながら議論するというのが苦手であった。愚生のオヤジがオオ酒飲みで、しばしば他者と喧嘩をしていたから。ま、今ならわかる。亡父の心情が。太平洋戦争で当時のソ連から数年間にわたってシベリア強制労働をさせられたことが、相当な精神的負担であったのだ。屈折があったのだ。戦友達の死も、亡父の心に与えた影響については、はかりしれないものがあったのだろう。
だから、愚生も酒だけは呑みたくないと思ってきたのである。ところがだ。この愚生の決意は、見事に崩れる。
なんということはない。亡父と変わらない「オオ酒飲み」になっちまった。議論ばかりするというのにはならなかったが。
若い頃は、それこそ水商売の店で若い方々と呑むのも良かった。あんまり機会は無かったが。前提が自分と同程度ということであった。そういう時期に呑んだ方々も、今はもう60代じゃ。そういう時期もあったのだ。
30代には、オオイニ呑んだ。職場のストレスもあるから、それを理由に呑んだ。ところが、この頃から酒を呑む場がだんだんと変化してきた。それは、自宅での場合が多くなった。たまに、出かけるだけになっていった。ストレスがあるからという理由も、今なら、あんなのストレスなんてとても言えないなぁと思う。甘かっただけである。自分に。不平不満を抱えていただけであったのだ。
この頃から、結婚して、子どもができて、本当に水商売の店に行くことが激減する。居酒屋も含めてである。
一番、通ったのが、40代後半から50代である。管理業務が入ってきてから、仕事上のからみで呑む機会が増えた。仕方がないといえばそうだけど。
そして、けふのお題「水商売の店にいく奴の心理」である。
結論から言う。
愚生はお題の反対で、スナックだのという水商売の店には定年後一度も行っていない。還暦を過ぎたのだ、オレは。巷の寿司屋で、板前さんの作ってくれた旨い肴を相手にしながら、ちびちびとやる。これくらいしかやらない。それもたま~にである。配偶者の監視つきである。一定量を越すと、たちまち徳利が愚生の目の前から消えてしまうのだ。情け無いこと限りなし。
できれば、日本酒のいいのがいい。故郷山形の清酒がいい。十四代が好きだが、ありゃ高すぎる。出羽桜もいい。あと、同級生が社長やっている米沢の浜田酒造のもいい。いいって、勝手な思い込みだけど。
だから、若いねーチャンのいるスナックにも行かない。つまんねぇのだ。どれが素顔だかまったくわからねぇ厚化粧を、でたらめに褒めて逆にカネをとられる。さらに、安いジンロみたいな焼酎と、これまた安いポテトチップスみたいなのを食わされて、へたくそなカラオケをやって目の玉が飛び出るような大金を請求されて、立ちくらみをしていたんじゃ、ここまで生きてきた甲斐がねぇってもんだ。(^0^)
議論もしない。面倒くさいのだ。なんでもいいのだ。どうなっても。(^0^)/ウフフ
さらに、水商売に行きたがる奴の心理って、すべてが疑似体験なのだ。オレは、渡辺淳一みたいな不倫なんて関係のねぇ人種だし、そんなのやったら財布に数億円は必要になるだろう。おお、怖い。20代の頃なら、冒険もできるのだろう。されど、60過ぎて若い奥さんをもらうのがいるが、あれもカネがなけりゃできないこった。ドリフスターズの二人のタレントもカネがあるからであろう。ほら、あの方とあの方である。有名だもんな。
けふは、大学の食堂でランチミーティングである。知人が来てくださる。企業の経営者である。たまに、彼といろいろとしゃべっていると、実に勉強になる。世間のことについて。こういうのもいいものである。しかも、つまらない水商売の店でやるのではない。学食である。
そんなのつまんねぇじゃないかという方は、まだまだですな。そういふ方は安い焼酎とポテトチップスで、有り余っている銭を払って自己満足すればいいんだ。
(^-^)/