「伊能忠敬に学ぶ50歳からの転身」 日本実業出版社
伊能忠敬という人は、生涯学習の神さまみたいな方であると、愚生は日頃から尊敬しておる。だから、じじいになっても、若い方と一緒に勉強していられるんだなぁとしみじみ思う。それに、楽しいしねぇ。
そこで、Amazonから買ったこの本で、またまた惚れたのだ。忠敬せんせに。値段は、たったの1円。
(^0^)
目次からいくつか拾って感想を書いてみまひょ。
1 後半生は青年返りでいこう
これだ、これだ。そして、いまわの際に何を思うかは、今だからこそ修正できるとある。死ぬときに、あ、あれもやっておけばよかったとか、これをワスレテいたとか、アァ~~ハァァアア~―┐ √レvv~(^q^)─w――ァンヘ√レと、やっていたんじゃぁたまらんではないか。ご同輩!
思い切り青っぽく生きてやろうともある。これである。青臭くていいんだよん。じじいになったからって、なにも聖人君子ぶらなくてもいいんである。それに、こうも書いてある。「利根川のゆうゆうとした流れが忠敬をつくった」とも。同感である。セコセコ生きることはないのだ。世間に通用しない愚生のようなもんでも、生きてきたんだ。ま、なんも自慢にはならんが。
2 戦略としてのリタイア=隠居
今だからやっておきたい「決意」と「段取り」と書いてある。同感である。のんべんだらりと生きるのも人生である。愚生がまさにそうである。のんべんだらりの、ノンべぇである。(^0^) 生涯学習も決意が必要である。やってみたいと決めなくちゃなんにもできない。若い人と一緒じゃ格好が悪いとか、スーパーエリート校に行きたいとか、都会でのじじいの一人暮らしはできねぇとか、考えることはたくさんある。しかし、そんなことは、決意の前には吹っ飛ぶ。やりたけりゃ、やりゃあいいんだ。
そしてワスレテならんのが、配偶者である。男を支えるのは女である。愚生も一緒。配偶者が健康だから、愚生はこうやって学べるんである。感謝しなくちゃならんのだ。もっとも、定年後に家にまったくいないから、これは愚生の配偶者は助かっているだろうと思っている。ハハハハハである。
3 気分の自由度を確立しよう
今まで随分いろいろなことで縛られていた。法律の縛りがきつい職業だから、当たり前である。しかし、法律は遵守するものの、いつかその縛りから脱していきたいとも密かに思っていた。書籍の世界で、自由奔放に遊ぶのが夢だった。朝から晩まで。
そのためには、家から通学できる学校がいい。近くて図書館の充実した学校がいい。一人暮らしをして、ステップアップとか言っていたら、笑われる。それに、師と仰ぐ先生がおられること。これが一番重要だなぁ。
それに今までの仕事でついてしまった「アカ」を振り払うことである。くだらんプライドも捨てることである。世間に通用する常識を持つことである。せこい組織が、自分をあなたをダメにする場合もあるのだから。
4 脳の快感が生涯学習の決め手である
気持ちいいから、生涯学習をやるのである。知らないことを知ることが、快感になる。こりゃぁホント。高名出世を求めて勉強しているんではない。まったくない。
年をとるということは、思考を停止させるバリアを至るところに貼ってくる。十分働いたんだから、旅行三昧ですごしまひょという誘惑もそう。そりゃ、毎日旅行していたら、楽である。されど、そんな生活をしていたらダメになる。確実に。愚生は、定年後に民俗の旅を始めたから、その点は大丈夫である。旅行が、論文に反映されるのだ。わははははははである。
5 いい師を選ぶのに手を抜かないこと
チャンスを見逃さないことである。
材料はいくらでも転がっている。何にでもある。愚生は、生涯学習仲間からいろいろな情報をいただいた。手を抜いていたら、在籍校にご縁をいただくことはできなかったに違いない。郷土史まで手を広げている。これもまたいい師に巡り会えたからである。今月の後半に郷土史の印刷媒体デビューをしちゃうのだ。ありがたいことかぎりなし。
6 停滞は人生への冒涜である
生涯学習というのは、生涯やるものなのである。
卒業はない。修了・終了はない。停滞をしていたら、自分自身に申し訳ないではないか。歩き出そうとして、やめちまうのは誰でもできる。歩くのだ。徹底して歩くのだ。躊躇してはならない。まずは歩き始めるのである。勝負は40代から始まっている。今の仕事のプロになって徹底的にやる、そしてその道において成功する。さらにリタイアしてからも努力するのだ。なんでもいい。楽しいという快感があればもっといい。
「面白い」と感じるのも、人生の目的であるとしみじみ思うからである。
たまには、いいこと書くでしょ?
愚生も。
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