毎週木曜日は・・ふううう
木曜日は、毎週疲れる。在籍校とは別の大学で授業をさせていただいているからである。
責任もあるから、気が抜けない。教えていただいている方が、若干、若干であるけれども気が楽である。現役の研究者候補とか、学者のたまごとは違って、ただの生涯学習者である。だから、いろいろと文献を読んでは、100の本からエッセンスを一つだけつかめばいいと思っているだけである。邪魔にならないように、ひっそりと生きるしかない。そんなもんだ。オレのできることなんて(^0^)
石牟礼道子という作家について、ちょいと興味がわき出て、調べている。例の水俣病を扱った作家である。昨日、実は折口信夫の貴重本が千葉の中央図書館から入ったと居住地の大図書館からメールが来ていたので、貸出を受けたくて参上したのだった。そしたら、今年の2月に発売になったばかりの石牟礼道子全集の第16巻が、新着図書としてコーナーにでぇ~んと鎮座していた。たまげた。こういうように、まるでオレを誘惑するかのように、あちらから誘ってくれるのである。
こういうときは、断らない。断られることがあっても、基本オレはお誘いを断らないのだ。呑み会、旅行、ツーリング、柔道の応援、孫とのデート・・・あと何があるかなぁ。あ、若い時から、オレには恋人というのはいなかったので、そちら面はまったくウブだがねぇ。勉強ばっかりしていたので。(USOでしょう?と言われるけど、ホントだよ~ん)
16巻を開けると、石牟礼道子女史の写真まであった。知性あるひじょうに良い雰囲気である。ちなみにオレのような山賊じじぃには全くご縁の無い世界の方である。だから、楽しいものである。この方の本は学部生をやっとのことでやらしていただいていた時代に、ムチュウして読んだ記憶がある。
音声の古代層から語りかけてくる、声のコスモロジーといったものが、石牟礼女史の文章からは非常によく伝わってくる。
能楽もやられているとはまったく知らなかった。そして、この16巻が、彼女の新作能「不知火」を掲載していたのである。昨晩ずっと拝読していた。すばらしいものである。
在籍校のクラスメイトから聞いて、能と石牟礼女史との関連を教えていただいて、初めて知ったのである。
だから、あの水俣病の世界が、ひときわ違った魅力を持っているのだ。水俣病自体は悲惨なことであるが、単なるルポルタージュとして読むべきではないのだろうと思う。
こういう世界はなかなか書けない。たいしたものである。詩もいい。なんだかワクワクしてくる。そして、石牟礼文学とオレの農民芸能と宗教への関心は実は同じ世界を希求しているのではないかと。はたと気がついたからでもある。古層の世界である。古層の世界になにがあるのか。
楽しみである。これだもの、オレは年をとっても、中身は若いなぁと思うのだ。またまたUSOでしょ?と言われそうだけど。
けふは、ヨルバイトである。塾に行く。英語と数学、付け足しで国語。いつまでも若いなぁ。もしかして、ただのポンコツかもしれないけど。あ、昨日の夜、NHKの中国語講座をオンデマンドで見ていた。一回105円かかるが、ラジオと違って実にいい。表情が見えるというのは、こんなにいいものかと思った。しかし、暗記で手こずっている。劣等生の面目躍如である。これだけは年齢を感じるなぁ。
それに、NHKテレビの中国語講座の女性講師があまりにも美しいので、見とれてしまうのだ。ハハハである。これじゃぁモノにならんぜよ。
それでは、夕方ですから、これにて失礼!
(^_-)-☆