こころの安定といふこと
ふうううううう、22:05になった。原稿書きをしていた。4万字を突破した。おかげさまにて。これで今日はやめにしよう。しかし、明日の近代文学の御講義を受けさせていただく予習ができていない。44年前に学部で使った恩師のテクストも見たが、もう古い。資料はたくさん用意した。でも、もう通用しないだろうなぁ。
だからワクワクする。
その後の日本近代文学研究の史的展開を直接別の教授から、明日の午後御講義をいただくのである。楽しみです。楽しみ。
あれから40年。。。。というのは、綾小路きみまろさんがよく使う台詞だが、オレにもあてはまるなぁ。
(^0^)
いい加減じじぃになったオレだ。通用しないだろうけど、少なくとも他の院生の邪魔にならないようにはしようと思っている。参考文献も一回目の講義で使われるものはAmazonで全部買った。安いものだけど、せめてそれくらいしないと、先生に申し訳ないではないか。
オレには、焦りがないんだろうなぁ。焦っても、どうにもならんのだもの。あはははである。焦ってなにかになろうかっていうの、無いんだよん。焦っていたって、笑いもんだよ。
土台人間なんか当てにしていないし、偏執狂的な方には閉口するだけで、対話する気にもならん。よくいるのだ。愚生なんて、どうせ馬鹿だろうからって、議論をふかっけてくるのが。時間の無駄でございまするよん。
相手にしていないのだから。それに、オレ、議論に耐えられるだけの能力も体力もにゃ~であるのだ。
ま、相手にしていないのだから、逆に相手にもされていないけどね。
それでもいいんだ。それでも。古代の祖先達と、文献の中で会話をさせていただくだけでいいのだ。オレはそれで大満足である。
だから、オレのこころは安定している時が多い。
多いというのは、たまには爆発することもあるから。滅多に無いケドね。いつもいつも聖人君子のごとき行動はできませんから。
(^-^)/
それに気をつけているのが、相手を利用しないということ。利用されても、オレは相手を騙したり、ペテンにかけようということはしなかった。それだけである。それだけ。だから人間を相手にしていないのだ。いつもその背後にあるものはなんだろうかって考えるタイプのようである。
フンフンと話を聞きながら、へ?とかほ?とか、疑問点を考えているんだ。ほんとうにそうなのか?って。
これホンマでっせ。
馬鹿だから、理解できるまで考えたり、質問したりするんだよん。聞かれた相手は困るようだけど。真底、なんでもわかるって神のような方って世の中にはいないからねぇ。たいていは知ったかぶるだけだから。オレはその知ったかぶることすらできねぇけど。
なんてったって、還暦過ぎた老年学生でっせ。なにか知的財産があったら、今更こんなことやっていないっちゅうの。
年取っても、なんも分かってないんだもの。情けねぇなぁって思うでっせ。だから勉強しなくちゃならんのですワイ。
こんなことばかりやっているから、精神的に安定してくるんだろうなぁ。マジにそう思う。惚けることもないだろうし。
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