じーさんのナミダ
昨日孫を送っていった。雨が降っていた。まるでオレの気持ちを代弁するかのように、しとしとと降っていた。
帰したくないと思ったが、もうどうしようもない。娘を他家へやっちまったのだから。名字も違いますからのう・・。あっちのもんだから。オレの孫には違いないが、ムコドノの家の子でもあるから。
理性では分かっているんだけど、これがなかなか難しい。ま、そうやって他家の娘を奪ってこのつまらないじじいのオレも一家をなしてきたのだから、おあいこだよん。てなことを人類学の本で読んで、妙に感心したことがあったっけなぁ。つまり贈与なんだ。それで人類は発展してきたのだ。あきらめが肝心である。しかし、分かっちゃいるけど、なかなかでしゅ。
今日は快晴である。オレの気持ちと違う。フン・・・・・。
家の片付けのお手伝いをして、午前中はさらに町内の側溝清掃をした。愚生の茅屋の側溝は、なんと23メートルもある。これを一人でやるのは相当に辛いのだ。はははははである。だんだんできなくなってきた。体力がもたないのだ。柔道4段なんて、嘘でしょと言われるなぁ、これじゃ。
そして、終わってから、昨日まで孫を撮りためた動画鑑賞会もやった。側溝清掃とか、掃除の後である。なんと90分も動画があった。Tabletで、どこでも見られるが、それをテレビにつないで、鑑賞していた。またまた帰したくなかった病になっちまった。ハハハハである。往生際が悪いですなぁ。
さっきまでのど自慢を見ていた。ラーメンをいただいて、それからNHKの時代劇を見ていた。故郷山形の俊秀藤沢周平先生の「蝉しぐれ」である。最終回と書いてあった。画面に。
オレは、蝉しぐれをどうしても見てしまう。なんという哀愁があるんだろうといつも思ってしまうからである。去年だったか、映画の方をレンタルビデオで借りて来たときも、涙腺が緩んでしまったっけ。そして、今回もNHKを見て、緩んだ。涙腺が。最近、年をとったせいか、およそ顔と似つかぬ涙腺もろい病になってしまっている。
藩主の側室になってしまった幼なじみの「ふく」と、主人公の剣豪牧文四郎が明日は尼になるというふくと最後に会う場面は出色である。夏の午後に、外で蝉しぐれが鳴いている。二人の間には、淡い、清流のようなこころの交流がある。ただし、NHKは残念ながらつまらないことをした。ラヴシーンにしてしまった。がっかりである。
ま、どうでもいいけど。オレにはご縁の無い世界であるから。
蝉しぐれの音が実に印象的である。なにをここに表象しようとしたのか。NHKの映像作者たちも、藤沢周平先生もである。
夏の蝉たちの声は、やはり山形の風景でないと聞いた気がしない。山が迫り、ささやかな田園が広がる。そういう風景でないといけない。いけないって、そんな言い方はねぇだろうと叱られてしまうが、オレにはそういう世界でないと音と言語の持つ表象が一致しないのだ。体験からもだ。しかたないではないか。
なお、NHKテレビの方の「蝉しぐれ」は、2003年8月22日 ~ 2003年10月3日NHK金曜時代劇として放送。全7回。第30回放送文化基金賞番組部門(テレビドラマ番組分野)本賞(第1回放送回)や第44回モンテカルロ・テレビ祭フィクション部門最優秀作品賞等を受賞したのだそうな。
それだけの価値はある。
すばらしいものである。
そして思った。この夏は、故郷山形に墓参りに行こうって。オレも、蝉しぐれを聞きながら、語りあいたいものである。
あ、そんな相手は誰もいなかったなぁ。
アハハハハハハハ。
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