ご縁というふこと
ご縁ということを最近はよく考える。たとえ一瞬でも関わりのある方々とは、大切なひとときを過ごしたいものである。しみじみとそう思う。
旧友ともそうである。これまで、オレのような人間といろいろ議論したりしてくれた事に感謝しているし、よくもまぁ飽きもせずにつきあってくれたもんだと思うからだ。
家族もそう。オレのことは、隅から隅までわかっているから、今まで捨てられないできたこと自体が不思議である。欠点も、あんまり無い長所も全部わかってくれて、その上腐れ縁でもなんでもがまんしてつきあってくれている。ま、あきらめとも言うのかな?よくわかんないけど。
職場の人間関係も、一時とは言え、大切にされた方がよろしい。投げやりにどうなってもいいやというのはいかかがなものか。永続性はないのが職場の人間関係ではあるのだろうけれども。
最近、不思議に思うのが、学校を共にして、学んだという人間関係である。母校を同じくする。つまり、同窓生ってやつである。これもまたご縁のひとつになる。濃厚な人間関係になるとでも言ったらいいのだろうか。ちなみに、愚生は、高校が1、学部が1、修士が2、専門学校が1、城西国際でさらに1となる。通信教育が殆どで、通学は城西国際だけと言ってもいいくらいである。つまんねぇことだが。
そして、それぞれの母校のためには、あるいは、関係している方々のためには、たとえささやかであっても尽力させていただきたいと思うから不思議である。今までオレの書きためてきた、あるいは収集してきた資料なんかも母校の関係者ならば、どしどし提供できるからである。こういうのをなんというのであろうか。母校愛?・・・かもしれないなぁと思うが、ちょっと違うような気もする。あんまり狭い人間関係だから。
オレの場合は、資料を隠蔽してオレだけのものだと言っても、無意味である。将来性がまったく無いのだから、オレは隠蔽して誰にも教えないというようなことはしない。可能なかぎり、若い方々のためになることならつまらないオレの資料を提供させていただく。それが贈与であると思うからである。
ただし、なかなかそういう場所が無い。しかも、年々狭まっている。しがみつくのは嫌いだが、されど新規に新たな人間関係を構築するっていうのも、これまた困難である。面倒なんだなぁ、ここまで生きてくると。・・・おっと、おめぇなんかまだ61歳じゃぁねぇかって叱られそうだが。
(^0^)
これから、6:50の電車で千葉県文化会館に行く。
郷土史へのデビューである。いよいよ還暦すぎて、新人デビューである。緊張島倉千代子である・・おっとこんなギャグ、誰もわからんか。
それにつけても、ありがたい。こんなオレでも、まだ使ってくださる組織があるからである。デジカメ持って、るんるんと行こう。
またねぇ~