と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

お年寄りと子供を離してはいけない。13日に孫が来る。

2013年10月07日 08時45分29秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 

  1. ■「お年寄りと子供を離してはいけない。彼らを引き離すことは、過去と未来を断つことと同じだ。」【ラコタ族長老のことば】

 

 

 

 いいこと書いてありますねぇ。
 

 13日に孫が来るけど、まったく楽しみでならない。

 要するに、孫の母親であるオレの長女が帰ってくるんだけど、当然あの子もくっついてくるからである。自分の娘より、孫の帰省の方が楽しみジャ。

 なんでか、と思う。なんででっしゃろ?

 かわゆいからだけではないなぁ。

 オレの遺伝子をちょこっとはつないでくれているからかも知れないからか。それに名付け親はオレだ。こいつはムコドノの術中にはめられたな。ま、いいか。感謝してますよん。

 これでもって、孫から引き離されたら、オレは死にたくなっちまうですな。

 それほど、バカ丸出しでございますよ。

 こういう心境というのは、できてみないとわからんのですが。

 (^-^)/

 

 あ、その前に、独身諸君!

 こどもを作る方が先です。

 その前に、配偶者がいないと無理です。

 当たり前ですが。

 

 わはははははははは。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あまり勉強しすぎると健康に良くない。

2013年10月07日 06時51分14秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

まただらだらと書いてしまったすケド

 

 

 · 

今後四年の内ということで、四巻から成る主著の完成が予告されて います。その表題だけでも人を怖れさすに足るもので、『権力への意志-あらゆる価値転倒の試み』というのです。そのために、私には何もかもが必要です。健康も孤独も好気分も、もしかしたら一人の妻も。(86/9/2 母と妹宛の手紙)

 

 今朝のお題である。

 ニーチェさんでも『もしかしたら一人の妻も。』と思うことがあったのだと感じた。へぇぇぇ!と思った。しかもだ。『(86/9/2 母と妹宛の手紙)』とも書いてある。ほほえましいではないか。あのニーチェが言っているのだ。あのニーチェですぜ。(ちょっとしつこいか)

 ニーチェも妻が欲しかったのかねぇ。

 へぇぇなのだ。

 このTwitterの場合、要注意は『私には何もかもが必要です。健康も孤独も好気分も』という部分である。特に、「健康と孤独と好気分」が並べられていることに。やはりニーチェ先生は病んでいたのである。残念ながら。

 アタシャ、人生終わっちゃっているので、若い方々に「勉強頑張ってねぇ」とよく激励するのが得意技である。しかしながら、一点だけ気になっている部分がある。殆どの若い方が「頑張ります!」と雄々しく返事をするからだ。

 頑張るっていう言葉には、ある種の無理があるからである。気になる。非常に気になる。根性論というか、努力論というか、そういう精神文化最優先というものが見えてくるからである。

 つまり、オレは必ずしも、根性とか努力というものだけで、成果を残すことができるとは云えないのではないかと密かに思ってきたからである。まったくないとは云わない。

 それよりも、自分を見失う程に努力して、根性を使い果たして、心身共にぼろぼろになるまでやっても、いかがなものかと思うからである。早い話が、健康を損ねてまでやって何になるのかねぇと思っている。成果なんて、そんなのは、他者との比較で成り立っているだけで、真の価値はとるにたらないものだったりしているのが真実である。

 オレの方が優秀だとか、あいつはバカだとか、あるいは、国公立大学***名進学とか、そんなのは比較の話だということに早く気がつくべきだ。進学率だって、***名の高校の上には上がいくらでもある。その程度では、進学校とは云えないとぼろくそに云う人だっているのだ。そんな現象面のつまらぬ数値であっちふらふら、こっちメソメソと右往左往しちゃいかんでっせ。

 病気になっちまう。

 つまり、他者からどう見られているかということしか、関心がないからそうなるのだ。

 どう見られたっていいじゃないですか?と申しあげたい。特に、それで病気になっておられる方々へ。励ますってことはそういうことでもあるからである。特に、オイラはそうやって励ますことを職業にしてきたからである。天職であったとすら思っているから。

 あまり勉強しすぎると健康に良くない。

 ただし、全くやらないというのは、「もっと健康に良くない」と云いたい。特に頭脳のためには良くない。オレのようにじじいになると、こいつは深刻である。ボケるからである。わはははははははははである。

 そう、ボケないために生涯学習をやっちょるのだ。ニーチェ先生のように、全てを犠牲にしてまでという覚悟はまったくございませんということなのだ。情け無いけど。

 それにオレには、「配偶者」がいる。ありがたいことに。わはははは。だから、オレには成功という文字は無いのだ(>_<)ゞ。

 「健康」はお裾分けしたいほどあるし、毎日が「好気分」である。この二つだけは、まったくバカみたいにたっぷりあるのだ、オレには。「孤独」というのは、オレも欲しいねぇ。好きなだけ、一日中読書する思索にふけるっていうのは憧れである。されど、できない。当たり前である。町内の役員もやらせていただいているし、ボランティア柔道もやらせていただいている。それに、趣味で塾講師もやらせていただいている。数学と英語と国語をやらせていただいているのは、まったく趣味だ。

 あ、教わっている大学もそうだ。趣味で通学しているんだっけな。行ってもなにもならない!って家族に叱られてばかりだから。それはそうだ。就職するためとか、資格取得のために行っているのではないから。もうこのトシで雇ってくれる会社もないしねぇ。定年でやっと自由になったんだから、もういいんである。就職は。ま、趣味というと誤解があるから、「生涯学習」のために行っているのだと主張することにしているケド。マジに。 

 そういえば、この間、日本には大学院文化というのが無いという話になった。外国の大学出身者とである。日本人は学部を卒業してすぐ就職する文化である、だから大学のランクが非常に重要であるというようなことを外国の大学の先生と話をしていた。お互い非常に納得した。

 会社の人事担当者も大学のGPAというのを信用していないから、独自に入社試験をやるということにも言及された。そうかもしれない。大学間にランク競争があるのなら、必然的にそうなるしかないだろうとオレも思う。

 アメリカとか、中国というのは、教育バブルという状態である。上へ上へと進学している。博士の資格がないと、大学教授にはゼッタイなれないのだそうだ。日本は逆だ。博士は就職先が無い。博士になると食う手段に困るのだそうだ。NHKでもやっていたっけ。東大の博士を出て、築地の魚仲買人をやっている人を。オレはそういう人の方が好きだけどね。会ってみたい。一度でいいから。地位も名誉も要らない。好きな勉強していればいい、って人に会いたい。

 ほら、いたっしょ?

 ディオゲネスだっけ?ウィキペディアに以下のように書いてあるから引用しよう。

 

紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。ディオゲネスは体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたにそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。

 

 これが有名であるがもっと面白いのがその死に方である。

 

死が迫ってきたとき、「私が死んだら、その辺に投げ捨てておくれ」と言った。一説には「河に投げ込んでおくれ」と言った。ディオゲネスはアレクサンドロス大王と同じ頃死んだ。死因はタコを食べて当たったためとも、犬に足を噛みつかれたためとも、自分で息を止める修行をしたためとも言われている。

 

 どうです?

 なかなかのもんでしょ。わはははははである。

 思想的にも面白うてならない。

 

ディオゲネスは「徳」が人生の目的であり、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考えた。そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。知識や教養を無用のものとし、音楽・天文学・論理学をさげすんだ。プラトンのイデア論に反対し、「僕には『机そのもの』というのは見えないね」と言った。プラトンは「それは君に見る目がないからだ」と言い返した。プラトンは、ディオゲネスはどういう人かと聞かれて「狂ったソクラテスだ」と評した。運動の不可能(おそらくゼノンのパラドックス)を論じている哲学者の前で、歩き回ってその論のおかしいことを示した。また「人間とは二本足で身体に毛の無い動物である」と定義したプラトンに、ディオゲネスが羽根をむしった雄鶏をつきつけて「これがプラトンの言う人間だ」といった「プラトンの雄鶏」の故事でも知られる。唯一の正しい政府は世界政府であるといい、「自分はコスモポリタンだ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作った。 

 

 

 はれ~~~~5000字を越している。もう止めます。けふも学校行って原稿を書かなくちゃならんので。

 

 

(^_-)-☆

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月6日(日)のつぶやき

2013年10月07日 05時22分15秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

Facebookのアルバム「初めて卓話なるものを経験しました」に写真を5枚アップロードしました fb.me/2lyxMLjuW


 卓話というものを体験。昨日。初めてだった。およそ、会場がホテルで話をさせていただくということも初めて。良い経験になれり。資料は充実していたものの、映像を13分やって、説明したから、かなりわかり... goo.gl/ojQERj


【君津】鹿野山神野寺 奥の院開扉法楽 10/9 10:00~15:00 年に一度の奥の院ご本尊飯縄大権現(烏天狗様)のご開扉です。どなた様もご自由に参拝ができます。秘仏の為普段は拝み見る事ができませんので、是非この機会にご参拝下さい。

と~ま君さんがリツイート | 1 RT

新しい写真をFacebookに投稿しました fb.me/6wUqklTNQ


去年の記事 庶民生活(オレも含めて) goo.gl/KrpdZS


現在、46歳の私が、これから先、自らの妊娠・出産・育児を経験することは、ほぼ有り得ないでしょう♪10年後には、孫の世話を楽しんでいると思います☆゜・。* RT @hiroco2003: おばさん(^^;

と~ま君さんがリツイート | 1 RT

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』に出てくる日本人たちは「敗戦国民ではない日本人」についてのSF的想像です。日本人の作家で、それを書く人がいないかな。誰かが21世紀の大日本帝国臣民の姿を想像的に活写してくれたら、僕たちが何を失ったのか、少しはわかるはずです。

と~ま君さんがリツイート | 153 RT

この計画書を読んだあと、僕は閲覧室の机の上に頬杖をついて、「計画通り、40年に東京で五輪が開かれた場合の世界」のことをぼんやり想像しました。日本がアメリカと戦争をすることがなかった世界です。たぶん帝都はもっと整然と美しく、日本人はもっと剛直で、誇り高かったでしょう。

と~ま君さんがリツイート | 73 RT

東京開催が決まったのは36年。37年に日中戦争が始まり、38年には開催返上ということになりました。計画書が書かれたのはそれより少し前の、戦争の暗雲は迫っているけれど、まだ「平時」だった時期のことでしょう。

と~ま君さんがリツイート | 52 RT

老人も中年も若者も、自分たちが一番正しいという誤った自信を捨て、無垢(むく)な感性を取り戻し、自分をもっと柔軟にしていけば、滑(なめ)らかな人間関係が生まれてくるはずです。

と~ま君さんがリツイート | 12 RT

「不遇の原因はすべて自分,何でもかんでも自己責任」。こういう精神風土に,ブラック企業の存続基盤をみてとれる。ブラック企業って,海外でもあるのかしらん。労働時間の国際比較をしようとしたけど,「年間300日以上・週75時間以上就業」なんていうカテゴリーは国際統計では設けられていない。

と~ま君さんがリツイート | 19 RT

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/