家父長制ついでに
家父長制について書いてしまったから、もうちょっと書かせていただく。家父長制というのは、東日本に多いということを、民俗学の本で読んだことがある。女性がヨメに入るという風習が多...
家父長制ついでに
家父長制について書いてしまったから、もうちょっと書かせていただく。家父長制というのは、東日本に多いということを、民俗学の本で読んだことがある。女性がヨメに入るという風習が多...
観察する目を持つこと
電車で通学する時に、他者をそっと観察することにしている。目はまっすぐ前を見たまま、視野に入る範囲内である。得意なんだ。でないと、武道人を自称することはできない。直視...
[村中の努力が必要だ]
ネイティブアメリカンの名言 @Indianteachings 3時間
■「ひとりの子供を育てるには、村中の努力が必要だ。」【オマハ族】
いつもTwitterで拾っているつぶやきに↑のような記事があった。
こいつはすばらしいことが書かれていると思った。なにしろ逃げの姿勢がない。「村中」の努力が必要だと書かれているのだ。学校だけに任せて、オレは、アタシは無関係だよんという姿勢がない。
子供を育てるっていうのは、村の財産を育てるっていうことだ。将来どんなふうに大きくなっていくのか、はかりしれない楽しみがあるではないか。こういう話題は、レヴィー・ストロースあたりが好んで書きそうな話題でもある。不勉強で、彼がこのことについて何か書いているのかも知れないが、まったくわからない。どなたか知っていたら教えてくださいませ。
だから、村中の人たちが逆に子供たちから見られているということを忘れないほうがよろしいと思うのだ。子供たちは、大人の行動を見ながら育っていく。観察しながら。言葉の習得だってそうだ。赤ちゃんが、言語を発するまで、周囲の大人達を観察して、真似をして、そしてしゃべるようになっていく。この時期は本当に重要な時期である。自戒と共に、オレはどうだったんだろうかと孫を見ていて思うのだ。いい加減な親だったなぁと反省ばかりしていた。今でもそうだけど。
子育てと共に、親も成長していくのだと思う。子供に教えられることも多々あった。いや、過去形ではない。今でもそうだ。孫を育てているオレの娘を見ていても、教えられることがたくさんある。オレの親としての過去を思い出すからだ。反省と共に。だからといって、くだらないアドヴァイスなんかしない。聞かれたら答えるけど、オレには聞いてこない。あたりまえである。オレの配偶者の方がよほど子育てに関してはプロである。オレなんか何をやってもアマチュアである。話にならない。
アマチュアと云えば、一昨日、実に反省したことがある。講談社学術文庫というのがあって、内容の高い、いい文庫を出してくださっている。その中に、「古典の読み方」というのがある。実は、今日から修士課程に在学している院生のゼミに、聴講生として参加させていただくのだが、その資料なのだ。今日の午後3時から始まる。だから、事前に読んでいくのが義務だと思って、読んだ。ノートをとりながら。
がぁーんと数発殴られたようなショックがあった。古典の速読というのも方法的にどうやればいいのかということが書いてあった。古典というと精読ばかりだと思っていた愚生は、速読法が確立していたことすらしらなかったことになる。なんちゅうこった。
古典文法のこともそうだった。大学受験対策程度のレベルの低いものしかやっていなかった。助詞助動詞の分析法でも、まったく世界が違っていたのだ。
さらに、古語辞典のあり方についてもまったく新規の知識を得ることができた。感動のあまり、昨日書店に行って、新本を買ってしまった。岩波とか、旺文社とかの古語辞書を愛用してきたが、小学館である。これでまたまた楽しみが増えた。なにしろ編集方針が全く違う。助詞助動詞の分析も違っている。これ以上書くと宣伝マンになっちまうから、これくらいにするが。
62になっても、知らないことが多すぎるなぁ。
それにこれまでは、狭い専門分野に閉じ籠もるのがいいことであって、興味関心が拡散していくのはよくないと勝手に思っていたが、そうではなく、むしろ古典を読んで興味関心が拡散していってもよいのだと知って、逆に安心した。
そもそも、専門家というレヴェルにいないからなぁ、と~ま君は。
村中の人々にこれから育てていただくしかないようです。村の財産にはけっしてなり得ないんでしょうけど。わははははっははははのは。
(^_-)-☆
今年、山形の某中規模市町村を愛車で通った時もそうだった。田舎に、タワーマンションが建っていたのだ。隣地には、サクランボ畑があった。佐藤錦の産地であ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/d1444…
残念!けふは大学に行っちゃならないんだって・・・配偶者に禁じられてしまったホイホイ。台風のせいです。情け無い。明日は、修士の院生たちのゼミを聴講させてもらうから、根性で行くけど。とほほ。
居住地の大図書館に行こう。それから早めのフィットネスクラブに行く。元気なおばさまたちの、でかい声が聞こえてきたら一目散に逃げる。クラブのサウナと温泉に入りまっせ。
六、所謂「聖なる」歴史は、それに相応しき名称をもって、呪われし歴史として、呼ばれるべし。「神」「救世主」「救い主」「聖者」なる語は、罵詈讒謗の言葉に、犯罪者用の記章マークに、利用さるべし。-反キリスト-
【担当じゃないけど新刊案内】元国立国会図書館員で古典籍に詳しい井坂清信先生が、積年のご研究をまとめ上げた『江戸時代後期の水戸藩儒』(A5判636頁、定価12600円)、今日発売されまーす。『大日本史』編纂の過程が明らかに!(の) pic.twitter.com/CBB6ngrjLx
昔は『鉄人28号』みたいに、少年が警察署長さんをこき使ってるのを受け入れることができたんだけど、今はできないですよね。できないと思います。つまり、少年が主人公になり得たのはその期間だけなんですよ。
アイデアを引き出す秘訣は「アホなことを聞く」?(dot.) - goo ニュース news.goo.ne.jp/article/dot/li…
「古風」「伝統」「始源」というような、昔への回帰しか興味・関心がないと、いつまでも地域の発展性ということに目が向かない。現在についての思考が無いかぎり、地域共同体の発展は無い。人口減ばかり気にしていたら、それは先祖返りでしかない。
そんなことをふと思ったので。カビの生えた学問も、そうでないのも、課題意識なんだろうなぁ。民俗芸能学者で、ストリッ*を研究している人もいて、なかなかのものである。けっこうおもしろいのだ。そのセンセの本。
4時には家に帰る。居住地にある大図書館で過ごしている。それから、古語辞典で小学館のを買う。古本である。それで十分じゃ。フィットネス・クラブに寄って、おばさまたち(オレよりは若い)のうるせー声に堪えながら、トレーニングじゃ。
新潮社の古典集成本がいちばんいいと、明日から一緒になる修士課程の院生が言っているというので、書庫を探したらあったのすけでしたから。これも古い本だなぁ。やっていないことだらけだ、できの悪い不良院生だよん、オレは。
かわいそうに!
まるでオレの未来みたいだよん。
いじけるな、じーさま探偵団!がんばってね。お互い。 fb.me/1CPJiG7iN