と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「自力でなんでもやれる」ということの否定

2014年07月05日 13時01分40秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

自己否定は、「自力でなんでもやれる」ということの否定でもある。なんでもかんでもオノレ一人でやってきたとか、オノレの能力のしからしめるところであるとか思っていると、しっぺ返しをくらってしまう。碌な事にはならないのだ。

wifeや、オレの子供たちに、現役教師であったときに生かされてきたのである。道具としてではない。そりゃ、オレは確かに稼いできてナンボの男だっただろうけれども。そうではなくて、稼ぐという役割をいただいてきたのであると思っているのだ。

現役の大学生をさせていただいているのも、「こんなじじいにだけはなりたくない」っていう見本であるのかもしれないではないか。就職してどのように働くかということで、考える材料になっているのかもしれないではないか。ただし、教師としてのあり方、考え方、方法論というようなことは、別の大学で教えさせていただいている。感謝である。二面的な意味で。だからこっちは別である。

そういう役割をいただいているのである。

それでいいのだと思っている。

若い方々には絶対にできないこともさせていただいているから。具体的には、定年まで働くこと。一生涯、一つの仕事に打ち込むこと。これはオレだから云うことができることだ。若い人は時間的に無理である。

もう一つある。結婚して家族を大事にしてきたこと。こいつは結婚していない人には無理である。

三つ目は、じじいとして生きることである。孫がいて、じいちゃんと云われながら、余生を過ごしていることである。これまた時間的に若い人には無理である。

当たり前のような話である。しかし、この当たり前だということがなかなかアタマの悪いオレにはわからなかったのである。そもそもその程度の人間だから、自力でなんでもやってきたと自惚れていたのである。馬鹿だったなぁ。ま、今でも馬鹿は馬鹿だけれども。(^0^)

午後は、図書館に行って、ちょっとcomputerに原稿を入力して、英語の長文読解もやってgymにいく。久しぶりである。欧州で腹一杯喰っていたから、ダイエットをしようっと。

そして、夕方6時には電車に乗って宴会場に行くのだ。これまた自己矛盾ですなぁ。ダイエットしてから、宴会に行くのだから。オオイに矛盾しておりまする。

 

なんの意味も説得力もありませんな。


 

(^_^)3 フムフム。

 

 

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オレは世界一駄目な人間であると思っているから、努力する

2014年07月05日 09時30分34秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

自己否定から入ると、掴みが無い

 

 

時差ぼけがまだある。ちょっと辛いことになってきた。睡眠がおかしいことになっている。けふも朝の4時に起きた。ところが寝たのは1時である。高齢者にはちょいと辛いのである。この記事を書いているのは9:14である。結局3時間しか寝ていない。

参ったな。参った。じじいに3時間睡眠というのは、体罰ですな。アカンですな。

で、しょうもないから、英語の長文読解をやって、さらに国語の資料を作成していた。あるところに提出しなくてはならないのである。オレのようなモノに仕事を依頼してくださる方がおられるからである。感謝である。相手していただけるだけで、シアワセである。国語の方はお手の物である。一介の田舎教師であったけれども、長~い経験だけはあるからである。ま、どうでもいいことである。

師匠にWordで駄文を作成ということをやんわりとご指導いただいたので、縦書きなのであるが、いろいろそれも工夫していた。要するに、手法が大切であって、知的生産の技術についてはうるさいguyだと自称しているので、こんなことは楽しいもんである。いろいろやることが楽しいのである。

さらに「自己否定」から、いろいろとやり始めると、これまた楽しい。基本的に、「オレは馬鹿だから」ということからスタートしていくと、全てが楽しくなってしまう。

そうなのだ。自己否定から入ると他人に聞くことができるし、自分でも工夫する。これは大事なことである。逆に、オノレは優秀であると自己規定していると、失敗する。必ずである。もっとも、オレは優秀であると感じたことはただの一回もなかったけどねぇ。

オレは世界一駄目な人間であると思っているから、努力するのである。ど~も、オレはそういうタイプであるらしいのだ。

生活も規律正しくなる。マジにそうである。駄目な人間だと思うということは、オノレの原罪意識にも直結する。そうなのだ。オレは罪作りな人間である。ムシなんかも、蚊やハエ、ゴキブリをはじめとして何匹殺したかはかりしれない。豚や、牛などの肉食も大好きである。肉食で何頭殺したのであろうか。さらに、亡父、亡母にもウソをついたことがあるし。

自己否定から全てを考えると、「掴み」が無い。「掴む」ことは、執着である。地位や、名誉、つまらない自尊心、嫉妬というようなものから無縁でいられる。だから可能なかぎり、オレは自己否定から入る。

オレを捨てていった美女達にも、ハラが立たないのである。わははっははははである。

今日は、いくつか卒業させていただいた大学の中で、一番最初の母校の同窓会に行ってくる。40年前に卒業させていただいた学部である。なに、ただ一緒に酒を呑んで騒いでくるだけである。しかも香水をつけたのは誰もおらん。つまり、加齢臭のただよう男しかいないのである。加齢臭プラス哀愁もただよっているけどね。

つまらんのぉ~(^0^)

つまらん日々を送っているさみしいじじいでござりまするよ。

 

(^_-)-☆

 

 

 

 

 

 

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7月4日(金)のつぶやき

2014年07月05日 05時50分28秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

英語長文読解で8割得点できるようになる勉強法と35の手順 ty-method.com/english-reading


中国語講座が終わった。成東のインフォメーション・センターちゅうところで留学生達に教えていただいていた。生徒は、オレのような高齢者達である。講座の高... blog.goo.ne.jp/tym943/e/b49f9…


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/