自己否定は、「自力でなんでもやれる」ということの否定でもある。なんでもかんでもオノレ一人でやってきたとか、オノレの能力のしからしめるところであるとか思っていると、しっぺ返しをくらってしまう。碌な事にはならないのだ。
wifeや、オレの子供たちに、現役教師であったときに生かされてきたのである。道具としてではない。そりゃ、オレは確かに稼いできてナンボの男だっただろうけれども。そうではなくて、稼ぐという役割をいただいてきたのであると思っているのだ。
現役の大学生をさせていただいているのも、「こんなじじいにだけはなりたくない」っていう見本であるのかもしれないではないか。就職してどのように働くかということで、考える材料になっているのかもしれないではないか。ただし、教師としてのあり方、考え方、方法論というようなことは、別の大学で教えさせていただいている。感謝である。二面的な意味で。だからこっちは別である。
そういう役割をいただいているのである。
それでいいのだと思っている。
若い方々には絶対にできないこともさせていただいているから。具体的には、定年まで働くこと。一生涯、一つの仕事に打ち込むこと。これはオレだから云うことができることだ。若い人は時間的に無理である。
もう一つある。結婚して家族を大事にしてきたこと。こいつは結婚していない人には無理である。
三つ目は、じじいとして生きることである。孫がいて、じいちゃんと云われながら、余生を過ごしていることである。これまた時間的に若い人には無理である。
当たり前のような話である。しかし、この当たり前だということがなかなかアタマの悪いオレにはわからなかったのである。そもそもその程度の人間だから、自力でなんでもやってきたと自惚れていたのである。馬鹿だったなぁ。ま、今でも馬鹿は馬鹿だけれども。(^0^)
午後は、図書館に行って、ちょっとcomputerに原稿を入力して、英語の長文読解もやってgymにいく。久しぶりである。欧州で腹一杯喰っていたから、ダイエットをしようっと。
そして、夕方6時には電車に乗って宴会場に行くのだ。これまた自己矛盾ですなぁ。ダイエットしてから、宴会に行くのだから。オオイに矛盾しておりまする。
なんの意味も説得力もありませんな。
(^_^)3 フムフム。