ささやかながら
居住地の図書館に午前中から行く予定である。夜はアルバイトの塾があるから、通学していたら疲れてしまうからである。夕方はgymにも行く。図書館は、文学・哲学・歴史に特化してあるから実にいい。県立図書館全体では100万冊を超える蔵書数で、これまたインターネットで予約して、配本してくださるからもっといい。国会図書館の書籍も取り寄せてくれる。博士論文のコピーも有料でやってくださる。だから、知っている先生、教えていただいている先生方の博士論文も集めている。たいへん参考になる。当たり前である。基礎学力が違うからだ。相手は、天下の大秀才である。小生のように最下層からスタートしている輩とは違うのである。(今も最下層だけれどもねぇ)しかし、コピー代は無職の小生にはこたえる。こたえるけど仕方がない。乏しい薄っぺらの財布を握って、図書館に通うことになる。
小生は、そういう意味で知的な能力とか、知的財産というものを非常に尊敬する。価値があると思っている。だから、いくらも入っていない財布を出してカネを使う。と云っても年金生活者だから、低レベルだけれども。語学の個人トレーナー(在籍大学男子学部生)にも薄謝であるけれども、差し上げている。ところがだ。高すぎると云われた。ある方に。困ったね。そうでもしなければ、小生如きに教えてくださる方はいないだろうからだ。ささやかながら、学生生活の応援も兼ねている。そうなのだ。そういうことなのだ。
ただし、際限なくカネをつかっていたらこれもまたいかがなものかとは、いくら馬鹿の小生でもわかっている。そこは計算しながらやるしかない。これには限度を**万円とか計算してやっていないと、破綻する。語学の男子学生にも全体でこれくらいと伝えてある。それでいいならやってくだされ!とお願いしてあるのだ。そういうものであろう。ある意味、師匠に対するマナーでもある。
もっとも、来年はいない。在籍大学に。単位がとれなかったら、冗談でも博論書いてみたいなんて云えない。それは常識であろう。単位もとれねぇで、無理だよ、無理。遊ぶために通学しているのではないからである。こういふ世界がいかに厳しい世界であるかは、よーく知っているつもりであるからである。
それに高齢者学生である。友達もいないし、あえてつきあってくれと云ったら殴られる。そこもわきまえていないと、アカン。昨日、中国の大学の先生に、「とーま君はいつも一人でいるねぇ」と云われた。まったくそのとおり。大学にいるときは、孤独なままである。第一、だべっている時間がない。次から次へとIdeaが出て、それを書きとめ、大学図書館に走り、参考文献をさがし、資料としてノートをとったりしている。そうなのだ。こういう生活を送ってみたかった。そもそも人生そのものの「残り時間」がない。大学でいまさらサークル活動なんてやっていられない。学部生とは違っているだろうからである。もっともアレだな。今更大学生と柔道なんかできない。美男系だから、腕力もカネもない。わはははっはははである。
九十九里の浜辺で、恋や愛を語っている暇もない。デートで、素敵なレストランで飯を食ったり、カラオケにも入学してからは一度も行っていない。あたりめぇである。相手がいねぇ~ではないか。スナックには院生一年生の時に、一度行ったきりである。教員時代の仲間との二次会であった。それっきりである。不思議な生活を送りはじめた。笑ってしまうくらいに。わははっは。
あ、こういうことを云っているから、馬鹿だと云われるんだよん。
けふも打鍵が快調である。
ささやかな生活だけれども。
やるぞぇ。やるぞぇ。
(^_^)ノ””””