なぜスランプになるか
一昨日から、書けない。絶不調に陥っている。拙ブログは、生涯学習者仲間との連絡、報告、相談の意味もあって書いているから、時々他の方々のブログとかを見させていただいて、パワーをもらっている。他の方のスランプ克服法も参考になるからである。
そして思った。
結論から書こう。それは、「今の在籍大学でも成果が欲しいからだ」という幻想があるからである。学費を払っている以上は、というスケベ根性があるからだ。成果主義で退職までは生きてきたが、もううんざりしていたからだろう。定年後は、ゆったり、のんびり生涯学習でもやって余生を過ごしたいというのがあるからだろう。しかし、結局そういう姿勢は抜けないのである。どっかに潜在意識として成果主義、モーレツサラリーマン主義というのが残っているのだ。仕事が忙しいと逆に生きがいを感じていたし、それはそれでけっこうだったからである。そういうタイプの勤め人だったのである。
要するに目標がないとやってられないのだろう。これは生涯学習から脱落したら、ろくでもないことをやり始めるだろうから、辞めるわけにはいかない。来年どうするかという問題は別として。
悟っていないのだなぁとしみじみ思う。
性欲、金銭欲、食欲とは無縁であると広言している宗教家で、天上から下の娑婆世界の女性の脛を見ただけで落ちた方と一緒である。これじゃぁ。
要するに、評価を気にしているからである。生涯学習といっても、評価が気になるからである。QualifyTestのことも気になる。オオイに気になる。駄目だったら、潔く諦めるしかないのに気になる。気になるから準備もしている。論文も、評価が気になるから構成をいじったり、訂正をしたりしているっちゅうわけだ。当たり前だということでもあるが、それを楽しんできたから、このままいくしかないわけである。
しかも、生涯学習オンリーで生きているわけではないではないか。孫の面倒をみたり、社会貢献活動もさせていただいている。おさなごたちとの柔道、塾でのアルバイトもこれに近いですな~。
名古屋大学の教授でabe先生という方がおられる。碩学である。異色の経歴から、旧制帝国大学の教授までなられた方である。小生より一歳下であるが。まだまだ現役の学者として頑張っておられる。専攻分野は非常に特殊で、大学院を出られてからは苦労なされた。小生なんかabe先生に比べたら、文句を言えた立場にはない。ささやかながら収入はあったし、飯を食って、寝る場所だけはあったからである。
余計な計算をしないことであろう。
評価が気になって、論文の文章が書けないというのは、どっかにスケベ根性があって、それでスランプになるのだと思う。
これって、おなごにモタテイけど、当該のおなごがオレのことどう思っているかっていじいじ考えていて、結局すてられるのと一緒だ。馬鹿ですな、馬鹿。評価を気にする前に、オノレの実力、能力を反省するしかないのでございますよん。
さ、けふも暑い。暑いから、通学する。大学院生室に籠もる。夕方まで。本は大学図書館にいくらでもある。厭きたらキャンパス内をウロウロ散歩する。評価は気にしないでいこう。「ダメ元」でいいのである。そもそも、元々駄目人間であったのだし、ほんとうにほんとうに一介の田舎教師であっただけの、それだけの人間だったからである。それの延長で年金生活を楽しんでいるからである。「趣味で大学生活を送っている」と、去年まで広言していたのである。それでいいではないか、それで。
大学院の他の学生とは違っていて当然である。目標がないのも当たり前である。わらわれっちまう。今更、なにかになろうっていったって無理である。じーさまは引っ込んでおれということである。
ふふふふふ、これでかなり論文を書くトレーニングにはなったですな。なった。十分なった。やる気になってしまったですよん。
(^_^)ノ””””