と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ボロボロのシャツ着た、異相のじじいだけど

2014年07月20日 18時53分05秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

充実した一日であった。


午後からずっと図書館で過ごしていた。もう、すっかり顔馴染みである。中国語の勉強会仲間の司書さんもいるし。カードを出す前から、予約していた書籍を出してくださるし。そりゃそうだわな~。異相だもの。スキンヘッドに、ボロボロのシャツを着て、ジャージをはいて、素足にサンダルである。たまには、クビからタオルをかけているし(^0^)。要するに、ただのじじいである。

(^_^)3 フムフム。


ただのじじいだというところがミソである。

つまらねぇ自尊心なんて、オレにはどこにもない。

真底、馬鹿で禿げだと思っているからである。

なんにもならないことにチャレンジしていて、時間と金の無駄をやっちょるし。

変わりモンなんだそうだ。家族、学生仲間等々周囲の人全部がいうのだから間違いはない。自覚しているしねぇ~。



今日は、論文を相当修正したのだ。構成からである。古典文学との関わりを入れなさいと、指導をいただいたので、急ピッチで書いているからだ。それなら、お手のモンである。今日で、260枚近くなった。8月までには、300枚である。目標である。


いいもんである。生きがいというのは、こういうところにあるのだよん。もっとも、恋愛だの、賭け事だの、飲酒彷徨だの、彼氏・彼女を追っかけるだの、あとなんだ?・・・つまり遊びなんていうもんとは、もうきれいさっぱり縁を切ったのであるから。わはっはははは。

向こうから切られてしまったんだろうって?
再度、わははっははっははっははである。

 



(^_^)ノ""""

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の記事 慚愧の思い

2014年07月20日 18時37分54秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年
 
早朝散歩

 文体をちょっといじっている。である調から、・・た調へ変化を意図している。しかし、なかなか難しいものだ。こういう試みは、世の中の塵芥にまみれているときは、発想自体生まれない。ひたす...
 

 基本ができていねぇなぁあと思うからである。なんでもそうだ。オレなんか基本の基本もなんにもわかっちゃいねぇのだ。話にならな い。ひたすら原典にあたっている。今も机の脇に は日本書紀がある。これと毎日格闘しているのだ。全然わかっていないから、かなり焦る。あと何年生きられるのだ?・・そう思うと遊んでいる暇はない。なん も分かっていないまま、死んじゃうのはあまりにも辛いではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

7月19日(土)のつぶやき

2014年07月20日 05時48分56秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

これから国立能楽堂に能「百萬」を見にいく

今は、3:26である。

そうなのだ。早起きしたのだ。というより、昨日はあまりにも体力を消耗して、バタンキュ~であったのだ... goo.gl/Zo7E0u


昨日、院生室でゼミに提出する資料を印刷していた。朝も早くからである。そしたら背後から「おー!校長センセ」と呼ばれた。誰だ?こんなことを云っているのはと思ったら、なんとclassmateであった中... goo.gl/iv34Wr


きれいですなぁ。

あ、東京駅ですよん。

goo.gl/x5yuTm


神田神保町です。

近代日本思想大系の「芸能」「差別」、新岩波古典体系「日本霊異記」の3冊を購入。

合計で1500円なり。

申しわけないくらい。

小宮山書店がやって... goo.gl/dsN7BY


中央線四谷駅だったと思うけど。

駅から釣り堀が見えましたよん

いいもんですな。

goo.gl/s40TUp


いいですなぁ。

オレの隣が、和服の似合う若い女性だった。男がいたけど。(^0^)

いい雰囲気です。

こういうところは和服の似合う... blog.goo.ne.jp/tym943/e/facdd…


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能「百萬」について・・・鬼の目にも

2014年07月20日 03時15分21秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

能の「百萬」を見たくて国立能楽堂(千駄ヶ谷)に、昨日行ったのだ。

書きたいことはたくさんある。芸能についての勉強のきっかけとなった能であるからである。どう書こうかと考えていたが、拙ブログにはあまり突っ込んでは書かないことにした。論文には書いているけど。

しかし、最初からもうオレは目にうっすらとナミダが出てきていたのである。あ、これはいけないと思った。入れ込みすぎる。むろんストーリーもなにも徹底的にアタマの中に入っているからである。もう少し冷静になって見ないとアカンと思ったからである。

こんなんじゃいけないのはわかっている。

白拍子「百萬」が出てくる前に、子どもが登場してくる。百萬の子である。もう、最初から感動していた。ウルウルである。百萬に限らず、能というのは宗教の世界と完全に一致している。しかも、この能では念仏も出てくる。宗教的世界を現している。だからこそ、オレは浸りたかった。百萬の世界に。ところが、最初からお目々がウルウルしているようでは、思い込みが激しすぎる。これでは駄目だ。

客観的に分析しなくてはならんと思った。

しかし、できない。

ま、それでも良かったのではあるまいか。

帰りの高速バスの中でそんなことを思った。勉強のため、研究のためとかそんなんじゃなかったからである。完全に、百萬の世界に浸りきって、ただの孫のいるじじいになって感動してきたからである。それだけでよかったんだと思い直した。

それにしても、演者の所作にはギグっとなった。能面から伝わってくる波動にも恐ろしいような迫力がある。我が子への愛というものを演技ではあってもそうやって見せてくれるわけである。オレの長女と重なって見えてしまった。長女も男の子二人の母親である。

怖いくらいの迫力である。

9月にまたある。国立能楽堂で。

もう一度見たい。

また行ってくるか。

一人で。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京に行くことでの楽しみ

2014年07月20日 02時53分24秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

昨日東京に行っていて、神田神保町で古書店を徘徊していた。東京に行くことでの一番の楽しみである。能は、11時30分から受付開始であったから、10時からだと十分堪能できると思って、行ったのである。45年も行っている小宮山書店がお休みであったのが、残念であった。

二往復して、いろいろめぼしい書籍をチェックして、もう一度同じ書店に行く。そして、買ったのである。3冊。岩波の近代思想大系と古典文学大系。日本霊異記をいろいろ書いたり、読んだりして駄文に反映させているから、その他の雑誌、論文、古書も見ていた。高いのも随分あった。古典の研究書なんか、1冊25万円もしていた。参ったね。

この間、柳田国男の全集を買った東陽堂書店にはめぼしいのがなかった。もっとも仏教書専門だから、とてつもなく高価である。

こんな古書に囲まれて過ごすのも、オレにとってはいいものである。

マジに。

それくらいしかできないのだけれども。

 

それにアレですなぁ。

やっぱり女性のミセハラというか、露出度の高さというのには辟易してきた。あんなに肌を見せていていいのかね?あれは犯罪なのではないのかね。オレが同じ格好をしていたら、犯罪だな。犯罪。下着がみえそうではないか。馬鹿もいい加減にしてほしいよ。まったく。

本人は何を考えているのだろうかと思ってしまいますよん。

なにも考えていないのだろうな。でなければ、あんな格好はしないだろうから。

 

能楽堂に来ておられる女性たちは和服が多かった。それで、安心した。レベルが違う。レベルが。半裸同様の服で能楽堂に来ないで欲しいと思うくらいである。能楽堂に来るくらいの女性はそんなのいないけれども。いるワケもない。

オレが、半裸で能楽堂に来たら、いくらチケットを持っていても、入場できないだろうに。

わかってないなぁ。

わかって。

 

オレのようにはっきり云ってあげないと、わらかねぇのだろうけど。

 

(^_^)ノ""""

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/