9:36である。
明日の教えている方の大学講義で使う資料を作っていた。それで在籍している方の大学には行けなくなった。そうなのだ。いかなオレでも、良心というのがあって、明日で最後の講義になるから、総括をしたいと思ったのである。そのためには、せっせと資料を作って、授業構想をたてるしかないのである。
これまで教育の技術と方法というのをやらさせていただいて、最後くらいきちんと総括して、大学生さんたちとはお別れしたかったからである。(オレも現役の大学生だけれども=混乱のもとである)
なんでもそうだ。
最後はきちんとしめくくりたい。
最後くらいは。そして感謝の気持ちを表現することである。
かの有名な内田樹センセの「教育=贈与論」を資料として使って、90分やるつもりである。むろん他にも資料は使うが。
どんな話だって、それを聴いている時は、理解できない。学校の授業だって、後からじわじわと効いてくるのであって即効性はない。つまり卒業してから、わかってくることがたくさん世の中にはあるからである。
だからこそ、内田センセの云う「卒後教育」が大事となる。オレのやっている生涯学習である。
学校時代に教えてもらっていることは、「謎」である。なんだかよくわからないけど、ともかく先生から贈り物をもらうわけである。役に立つか、立たないかなんていうことは、問題外である。それをわかるようになりたければ「成熟」して、大人になるしかない。
よくいるではないか。学生時代にやんちゃで、不良で、どうしようもなかったのが、成熟して大人になってから、非常に大成するのが。そういう人は、学生時代に周囲に「謎」ばっかりあって、わけがわからなかったのである。
道を踏み外す美女もそうだ。周囲にチヤホヤされるから、自分にかけられた「謎」がわからなかったのである。だから、気がついたときにはもう遅いということになる。
教育というのは、受け手が気がつかない「謎」なのである。だから、贈与になるのである。
オレも他人のことは言えない。
在学させていただいている大学でも、多くの謎かけをしていただいた。先生方に、classmateたちに。最後の学年になってそれがしみじみ理解できた。夢も持たせていただいた。知ることのよろこびも、還暦過ぎて持たせていただいた。感謝しかない。
今頃になってやっとわかったのである。63歳でやっとわかったのである。太宰治ではないが、恥の多い生涯であることよん。まったくあふぉ~でございまする。
だから、在籍大学の関係者、先生方、classmateたちには、「ありがとうございました」とか「さようなら」とか、テレサテンみたいに「忘れないでね」とか、やっているのである。そしたら、まだ退学していないではないかと云われてしまったけど。
でもねぇ、人生そのものが残り少なくなってくると、常に逆転の発想というか、残りの刑期を待っている死刑囚みたいなもので、時間を意識するのでありますよ。ホンマに。
どういうふうにくたばっていくのか、逆にオレも楽しみにしているんだけれども。
内田センセのいうように、「ああああああああああ、あの学校に行って良かった」と思えるようになりたいもんである。たぶん、オレはそう感じるであろうと思う。今からそう思っているのだから。
さよなら!
おはようございます。
今は7:14である。今日も暑いのだろうなぁ~と思うと、大学に逃げていきたくなる。どうしようか。水曜日だから、塾もないし、非常勤講師させていただいている大学の仕事もない。もっとも、非常勤講師は前期だけの仕事だから、もうすぐ終わる。後期はないからだ。後は、ひたすら論文を書くことだ。もっとも、QualifyTestが合格すればの話であるが。なにしろ夢にまで出てくるのだから。
わはははっはっはは。
教えるのは得意だが、自分がタメされるのはイヤだってかとclassmateたちから云われたことがあるが、まったくそのとおりである。参ったね、参った。そのとおりであるからだ。
そもそも実力があればいいのだろうけれども、オレは、天下一品の超劣等生である。自他共にそれは認める。酒呑むしか能がねぇからなぁ~。
これで学生をさせていただいている大学から放り出されたら、朝から飲んだくれていて、それこそ60代で死んじゃったらどうしようもない。
それだけはいかん。やらないけど。いや、死ぬんじゃなくて、呑む方。まだ、死にたくはないからだ。
そういう意味で生涯学習はいろいろな厄難を防止するためにもいいものである。
それにしても、いい経験だったよん。60過ぎて現役大学生にさせていただいたことは。こんな経験もう二度とないだろうからなぁ。本当に、少ない友人たちだけだったけど、親切にしてもらったからなぁ。ありがてぇよん。パソコンが使えないって云うと、たちどころに教えていただいたし。単位の取り方がわからねぇと即教えてくれたし。図書館の使い方も、指導してくれたのだった。あ、中国語も教えてもらったんだっけ。呆れ果てられながら。ご迷惑をおかけしました。
(^.^)ご(-.-)め(__)ん(-。-)ね(^.^)
まだ退学していねぇけど、全てが過去形で語らざるを得なくなるのももうすぐである。仕方がない。時間はどんどん過ぎていくからである。
一瞬一瞬が、オレにとっては貴重な時間であったのだ。
明日どうなるかわからない、そういう老残の日々であるからである。だから貴重なんだなぁ。しみじみとそう思う。周囲に若い人が多いということは、オノレの老残の身を自覚させてくれる。
若い人たちの中にぽつんと放り出されていると、年取ってしまったのを忘れてしまうだろうというのではない。ますます、じいいになったことが鮮明に事実として突きつけられる。
それでも、じじいはじじいなりに充実した余生を送りたいものであるという姿勢だけは持ち続けたい。そう思っている。成果は出せないだろうけど。成果主義の人生はもういいのだ。十分そういう人生という戦場で戦いすぎたからである。
疲れてしまったかもしれない。現役で仕事している時期は、それほど大変であったのである。
これからは「趣味」で生きていく。
なんの趣味だって?
生涯学習である。
わははっはははっはは。
(^_^)ノ""""
これから大学に通学するけれども
昨夜は、小椋佳さんを聴きながらゆっくりと過ごしていた。白ワインを含みながら。おいしかったな、実に。
図書館で、ノルマとしている原稿... goo.gl/VP2K0E
塾から帰ってきて、風呂に入ってちょっと書き物をして、これから寝る。
今日は疲れた。なんでか。日本霊異記を読みながら、論文を作っていたのだ。け... blog.goo.ne.jp/tym943/e/2e21e…