別れの歌は世の中に数多い。
その時は、哀しい。実にオノレのことが情け無くなる。マジにである。そういうときは、テレサテンの歌を聴きながら、白ワインでも呑みながら、ナミダを流すに限る。ほんとうに、そうである。特に、相手から捨てられてシマッタ時は実に哀しい。でもしょうが無い時は、しょうが無いのである。これまでの人生でなんどあったかはかりしれないから、慣れているといえば、慣れているのだけれども。
相手には嫌う自由があるからである。それをいつまでも、未練がましくお友達ズラをしていてはアカンのである。ただし、通り一遍のただの友人であったら、そんな心情にはならない。問題は、心の友だと思っていた時である。親友ならぬ心友であると思っていた方である。人生百般の問題を議論し、相手のナミダに、オレもナミダしていた友人である。困ったときには、助け、助けられていた友人である。
それが、オレから去っていった時は実に哀しい。ここ2、3日で去っていかれたからである。オレからである。もうオレとはcommunicationをとりたくないという方々である。
しょうがないではないか。
ひとつの時代が終わったのである。
もう、オレなんかと、クチもききたくねぇ~ってやつである。
それだけの価値しかなかったのである。
これはそれだけオレに魅力がなかったのであろうし、必要とされていなかったのであろう。そういうことである。こちらから何度接触を試みてもナシのつぶてであったときには、潔く、こっちから去るしかないのである。
諦めが肝心である。
中国に友人との別れの漢詩がある。
受験業界では有名である。
これである、これ。
黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る 李白
故人西のかた黄鶴楼を辞し 故人西辞黄鶴楼
煙花三月揚州に下る 煙花三月下揚州
孤帆の遠影碧空に尽き 孤帆遠影碧空尽
唯だ見る長江の天際にながるるを 唯見長江天際流
さらばじゃ!
元気でね~。
(^_^)ノ""""