大学院は、就職するために行くのか?
「高学歴ワーキングプア」という新書をさっきまでフロの中で読んでいた。90分も入っていた。おかげで読了した。その程度の新書である。あ、許されよ。作者にはなんの魂胆もないからである。(^0^)
就職するために、いかに大学院の博士課程に在学している若者たちが苦労しているかという報告書みたいなものである。確かに、大学院の博士課程まで入ってくるのは、将来研究職につきたい、学者になりたい、大学のセンセになりたいからというのが殆どであろう。
そのために、いかに苦労しているか、非常勤の講師とか、塾の講師とかやりながら、結婚もできず苦心惨憺勉強をしているという姿を書いていたのである。まるで中島敦の「山月記」のようなおどろおどろしい話である。
博士をとっても就職できず、中にはパチプロとかなって、あるいはコンビニのアルバイト店員になって糊口を凌いでいる方もいると報告があった。
そもそも大学院重点化政策が原因であるとも書いてあった。あるいは少子化の影響で、学校法人の危機を救うために編み出された文科省のアイディアであるとも書かれていた。それはそれで認める。さらに云えば、特定の研究大学院大学(旧制帝大以外にはありえない話だ)が、学歴ロンダリングの院生も入学させて、特定行政法人としての経営基盤を確立させるための政策でもあるとあった。学歴ロンダリングは、確かに魅力的であろう。オレも、旧制帝大にはオオイニ魅力を感じるからである。
しかしである。
この新書は、アメリカにいるような、リタイアしてから自己の人生の充実のために、大学院に入学してくる高齢者のことをあまりにも簡単に書きすぎである。
つまり、大学院は、キャリアの養成のためだけではないだろうにと思ったからである。オレのようにである。オレは、充実した思考経路を確立したくて大学院に入れていただいたのであって、なにも石にかじりついてでも大学のセンセになりたいと思ったことはこれっぽっちもないからである。生活のために入学したのではないのである。
そんなんだったら、オレは再雇用をしていただいたのである。カネのためにはである。しかし、オレはこれまであまりにも不勉強であったから、もう一回、自己の人生の充実のために勉強したくなったのである。それがいけないというなら、オレと直接対決をしていただきたいくらいである。
リタイアしたから、引っ込んでいろっていうのは理不尽である。
オレのような懶惰なじじいでも、学ぶ権利はある。考え方を深めたい、これからの後半生を考えてみたいという人文科学系の学問をやってもいいではないか。
就職するためではないのである。
学部生の時には、そこまで思い至らなかったから、大学院で学ぶのである。
それでいいではないか。
学校法人が、プラチナ高齢者として、大学院に入れたがるという経済の論理からはちょっと外れているけれども。
だから、ドクターは憧れであっても、収入の道には該当しないのである。アメリカでは、固有名詞の前にドクターをとったら、ドクター*****とやる。そういうのに憧れているだけである。オレの場合は。取れないかもしれないけど。それでも、それを目指して年限を区切って、3年なら3年で、脇目もふらず努力することが、後半生で役にたつと思っているからである。
世間的なキャリアアップとか、ステップアップとかという話には無縁である。
そういうことである。そういうこと。
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