「百座法談聞書抄」
「百座法談聞書抄」という古本を購入しました。今昔物語集と鬼来迎の関連をずっと追っていたので、参考文献として読みたかったのですが、県立図書館にもない。大学図書館にもない。しょうがないから、Amazonで探したらありました。中古で1500円。即購入しました。昨日の夕方来たようです。小生の家の郵便受けに入っていたのに気がつきませんでした。今朝から楽しみに読んでいます。
こうやって次から次へと課題が出てきて毎日実に充実した生活であります。真ん中に、駄文書きという柱があって、それを中心に生活が回っているからです。対象についてはなんでもいいと思います。なんでも。
これがライセンス取得のためだとなると相当苦しいのではないでしょうか。自動車学校だって、苦しい思いをして取得しましたからねぇ。目的があるっていうことは、ステップがあるということです。つまり挫折の可能性があるのです。ステップというのは、踏み外す可能性があるからです。たとえ僅かでもであります。
挫折というのは、実に苦しいものであります。小生の人生そのものでありましたから。だから、小生はこれから大海原に乗り出して行かれる若者たちが無事その大海原を乗り切られて、どっかの港に到着されることを望むわけです。途中で難破したらかわいそうでありますから。
小生は、競争の無い世界に住んでいます。今更、競争をして競っていくと云っていたら嘲笑されます。何を焦って生きているのだと、ね。実績なんて要らないですし、あってもクソの役にもたたないわけです。言わば、兼好法師のような「趣味」の世界にいるわけであります。兼好法師が、趣味の世界に生きていると言われたのは、ある著名な学者でありますが、こういう視点で兼好法師を見られる方はなかなかいないのではありませんか?受験業界では有名な古典ですからね。
受験業界というと、小生は寄生虫のようにその世界で生きてきたわけです。なんだかつまらない世界でしたなぁと思います。もしも、教育というものが、受験のためだけであるならばという条件つきでありますが。しかし、小生の教員生活は受験オンリーではまったくありませんでした。いろいろな恩師達に、それこそいろいろ知識や人格の磨き方とか「贈与」していただきましたが、そういう「贈与」は、直接的にはまったく関係ありませんでした。むしろ学校を出てからの「卒学校教育」の方が、役に立つということではナンバーワンでありました。学校時代というのは、結局「謎」に満ちていて、学生でいるうちはワケがわからないものであったからです。卒業して、大人になって、「成熟」してから気がついたという事が山ほどあるわけです。
「成熟」?
まだまだだろう?
枯れているっていうんだよん。
そう言われるかもしれません。年齢を重ねても、中途半端ですから。要するに成果を出していないし、成果社会の落ちこぼれでありますから。でも、もういいんです。もう。
今日も暑いのだそうです。
居住地の図書館に行ってまいります。「百座法談聞書抄」を持って。
(^_^)ノ””””
私には本来そこ(ヘリゲルの『弓術と禅』)で書かれていることは、事象としてあらゆる芸術家が知っていることと根本的に非常によく似た、ひょっとしたら同じものでさえあるかもしれないことであるように思われます。つまり、無意図的なものへの到達です。『MOMO erzählt Zen』
日本の仏教はまだ男の世界だから「瞑想」も教えているのが男の人ばかりなんですよね……。それも残念だな。瞑想は女性に向いています。仏教瞑想の会、やってみようかな。とりあえず、坐禅ガールツアーかな(笑)
■「すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生をかけておまえの中に取り込むのだ おまえはやがて輝きはじめ いつの日か 月は思うだろう おまえこそが月なのだと」【クリーインディアンの詩】
日本の神様たちって、本当にささやかな人たちだと思うんですよ。それが国家の神様になっていろんなものを背負わされて困った人もいるでしょ。天神様なんかも合格祈願の神様にされてしまって、英語がわからないから困ったでしょう。
amzn.to/obhrmF
ネットで自由に意見言えることを礼賛したお前らは本当にバカだな。呑気だな。お前らは害悪でしかねぇよ。うぜぇ。何がウェブ2.0だよ。なんか「ウェブ3.0」とかいった呑気なオッサンもいたな。どいつもこいつもウェブが関ると呑気になりやがってよ。一生iPhone見て眼精疲労にでもなっとけ