人間は、人間の不釣合を信じないでは存続できない以上、私の願うところは、人間が自然の更に大いなる探求に入る前に、その自然を一度真剣に、またゆっくり観察し、また自分自身をも見つめることである。そして、その人間がそこでどういう釣合になっているかを知って……。§72
おはようございます。
今日も学校じゃ、学校。
ちょっと、ショックなことがあって、基本的な事項から見直しをしなくちゃならない。コンテンツは、オレ、いろいろあるが、構想力が問題ですなぁ。ムム。
連戦連敗記録を更新中です。ガックリ。
こんなことを書いても誰も慰めちゃくれねぇしなぁ(>_<)ゞ。
自業自得っちゅうんですよねぇ。わははははははははははは。
朝からずっと大学の院生室にいる。
午前中は、主として慶応大学の大学院から出ている民俗学論文を印刷して読んでいた。さすがである。日本の知性である。書きっぷりが美しい。NHKの神の数式でも、... goo.gl/y54Rhv
午前中、国会図書館に行ったけど、明治期の『文部省年報』はもうネット公開されていて、自宅で閲覧できると教えられた。これってスゴイこと!著作権保護期間はもう切れてるんだって。
CiNii 論文?-? 訓読・諏訪大明神絵詞(一)(<共同研究>関東周辺の歴史と文学の研究) ci.nii.ac.jp/naid/110007324… #CiNii
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。(マタ7:13-14)新共同訳 #seisho
もう4時だ~。なんというこっちゃ。朝の10時からずっと、院生室にいた。論文を読みながら、これまで書きためていた駄文の再構成をしていたのだ。コンテンツは書きためてあるから、構成を見直さなくてはならん。
それにしても頭が悪いなぁ。こんなんじゃ、マジに放校されてしまうなぁ。慨嘆するしかないですよん。しょうもない。それにあれだ。オレの愚痴をきいてくれる人は誰もいないのだ。家族に云っても、オレが何をしているのかまったく無関心だから。
この間、明海大学に行ったのだって、何しに行ったのかまるで関心がないのです。わはははははは。できれば、生涯学習なんてカネ食い虫を追っ払いたいらしいから。
こういうブルーな日は、大学の帰りに居酒屋でも寄りたいが、無いのだ。珍しいくらいに健全な場所にあるのだ。オレの学部生の時には、いろいろあったからなぁ。在籍校の学生がかわいそうです。(^-^)/
もっとも、飲み屋すら無いって健全な場所の方が、学生さんの保護者の方は安心ですか・・・。オレは自分が保護者で、学費負担者だけどね。誰も安心してくれないのですけど。
オレでも、ブルーな日ってあるんだねぇ。暴れたいというような危険日。 ? そうじゃなくて、愚痴りたい日。ここのところが現役時代と、リアイヤ時代の差ですな。しかし、まだまだ若いんですねぇ。こんなオレでも。いいかげんクタビレテきたっちゅうのに。
おじぞーさんでも、バッグの中から出して、にっこりするか。それくらいしか出来ないからなぁ。オレごときじゃ。(^-^)/
旧約聖書を味わう力があるか否かこそは〈偉大〉と〈卑小〉を分かつ試金石だ。家畜的な人間は、[…]新約聖書の方を、はるかに自分の心にかなうものと思うに違いない(新約聖書の中には、それこそ本物の、甘ったるい、カビ臭い偽信者的・小人根性的な臭気がこもっている)。-善悪の彼岸-
非常に大切なのは、「教師と子どもの接触が、徹頭徹尾芸術的な要素に浸されたものでなければならない」ということです。子どもの個性との関連において、教師が正しい瞬間に働きかけなければならないものの多くは、これによって一種の直感的、ないしは本能的な性格を得るようになるでしょう。
如何なる賭けへの投入も、如何なる供犠も、肉欲の過剰と同じように、力(force)の消失であり、消費であるのだから、我々は、自分に消費が生じるそのたびごとに、空約束であろうとなかろうと、利得の約束によって、この消費を理由付けせざるを得ないのである。『ニーチェについて 好運への意志』
[存在の内に巻き込まれていると同時に人称的でもある]存在者は、自らの訴訟で抗弁すべく呼び出されており、従って既に成年に達しているが、他方まさに成年であるが故に、歴史の匿名的なことばに対して単に口先で同意を与えるのではなく、ことばを語ることのできる存在者なのだ。-全体性と無限-
世界と人間の意識は同一なのです。そこには差異はありません。それを、客観的実在と人間の意識を区別し続けることは無意味です。互いに単独では存在しえないものだからです。それは同じ一枚の硬貨の表と裏です。 『エンデの文明砂漠』
私のやっている、哲学[=真理の政治学]における権力メカニズムの分析とは、「我々の社会の中で展開される闘争・対決・闘い」と「その戦争の諸要素である様々な権力戦術」によって生産される様々な知の効果がどのようなものであるかを示すことを役割とする。-安全・領土・人口-
年をとったら孫と山へ芝刈りに
孫を背負子に背負って、山へ芝刈りに行き、キノコのひとつでも採ってきて、里の家から持ってきた握り飯でも食いながら、夕陽を眺めていたいねぇ。「おおおおお」とか「むむむぅ」と...
朝からずっと大学の院生室にいる。そして他に誰もいない。
ずっと駄文書きをやっていられることを感謝しつつ、こんな老後が待っているとは思ってもみなかったというのが正直なところである。だから、周囲の人々すべてに感謝しているのだが。
午前中は、主として慶応大学の大学院から出ている民俗学論文を印刷して読んでいた。さすがである。日本の知性である。書きっぷりが美しい。NHKの神の数式でも、式が美しいということを取り上げていたが、まさに美しい論文が多い。
それに引き替え、オレの駄文はまさしく駄文である。話にならない。ブログを書いているから、文体が乱れるのだと云われたことがあったが、そうではないだろう。要するに才能が無いのだ。一番良くないのが、構成ができない。論文形式というのはある程度形式が決まっていて、それを遵守できないとアカンのである。そんなこともわからんのか?って叱られてしまうなぁ。
ふううううううう。
最初から出直しだな、出直し。イチからやり直し。
しかし、コンテンツというか、材料には事欠かないのだなぁ、オレは。そこら中にあるもので書けてしまう。だから文が乱れるのだ。この傾向のあることはわかっていた。修士論文を書く時も、ずいぶん恩師の先生にご指導をいただいた。つまり、研究者向きではないのだ。オレの駄文は。駄文は駄文であってそれ以外のなにものでもないからだ。さらにオレは書き流す傾向がある。いけない傾向だ。
ま、苦しんで、苦しんで、やっとこさこしらえるというのが一番いいんだろうよ。それでなくちゃぁ、やった甲斐がないっていうもんだ。
なんでもそんな簡単にやれるわけがないからだ。
苦労してこそナンボの世界である。
それでいいのだよ、それで。
午後からまたずっと、籠もりっきりで論文を読む。
これくらいのことはしなくちゃならないのだ。
メモをとりながらである。地道な作業を経てやっていかなくちゃならないのだ。人生なめたらアカンのである。言い訳のきかない世界に突入してしまったのだから。
趣味で勉強するっていうのも、またつらいもんですな。趣味だからつらいのかもしれないけどね。
外は雨が降っている。
なかなか涼しくなってきたと思ったら、そうでもないようだ。今朝電車で学校に来る途中は、じめじめしていた。中国語の録音を聞きながら電車に乗っているので、あまり感じなかったが。結構集中して聞いているので。(^0^)
それでも、オレはえっちらこっちらと学校に来る。
好きなんだな、学校が。
他にやることもないし、ほんとうに。
わはははははは。
(^_-)-☆
孫に恵まれ、九十九里海岸で隠遁の生活を送らせていただいている。配偶者としばしば旅行をさせていただいて、全国各地を放浪している。
熾烈な人... blog.goo.ne.jp/tym943/e/bcee7…
学校にいる。生徒をさせていただいている方です。参考文献を部分コピーして、これから午前中は院生室で原稿書き。午後からは、大学図書館に籠もる。いい人生ですなぁ。ありがたい、ありがたい。
さっき、院生室のパソコンをいじりながら、中国の大学の先生と話をしていたです。日本語教育のスペシャリスト。オレは国語だから、話があうんです。すばらしいもんですな。大学の先生というのは。
23:00塾から帰って参りました。例の高校3年生とずっと個人指導です。サーヴィス残業。しかし、楽しいですねぇ。オレにはない文才が、あの子にはある。育てる喜びというのが、こっちのじじいにはある。楽しいですな。
必要とされるってことが、どんなに嬉しいことなのかってことですよ。オレを求めてくださるってことでです。それが、人間の生きる意欲につながりますですねぇ。ま、オレの場合男ばっかりで、じょせーは一人もいないけど(>_<)ゞ。
それとオレに教わりたいって入塾したちゅーぼー、Testの点数が大幅にアップ。数学が。嬉しいねぇ。柔道も、数学もオレの担当じゃ。あと英語も。? 国語がねぇですな。
土佐源氏
宮本常一せんせの「土佐源氏」っていう文章がある。名作であるということは、知っていたんだが。なんだか、とっつきにくい名前だなぁと思っていたから、岩波文庫の「忘れられた日本人」の前後の...
あと7年後に開催
東京オリンピックが、あと7年後に開催される。今朝の産経新聞にかの増田明美さんが書かれていたが、彼女の実の父親が71歳になってそのオリンピックを楽しみにしておられるという。今年病気になられて、背骨の病気だからちょっと動きに不自由されておられるのだそうだ。しかし、あと7年頑張ろうと云われているそうだ。
これは実にいいことだ。
あと7年やろう!って自分を自分で奮い立たせることができる。しかし、オレは思った。あと7年がんばって、そのアトも数十年頑張ろうって!
これのほうが、積極的である。生きる意欲が湧いてくるというもんだ。オレはオリンピックの時は、69歳だ。まだまだ若造である。見た目も若いけどね(@^▽^@)。いや、そういうことではなくて、こころ持ちだと思うからである。
人間、あれですよ、気持ちの面から老いていったら、あっというまにカンオケに片足つっこんでしまう。
将来のことを悲観して、あるいは進学や就職に失敗して、またまたいろいろな面で挫折して。。。というのは、オオイニあり得ることであって、誰しも可能性はある。だからといって、それを心配して、働く気力も失せ、生きるための活力も無くなるっていうのはいかがなものかと思うからである。
将来どうなるのかというようなことは誰にもわからんことである。それを知っている、知ってから生きるというのでは、人生なんも面白くない。面白いから、生きてる価値があるんだと、オレは思っているし。
豊臣秀吉だって、あんなふうな人生を送るようになるとは自分でも思ってもみなかっただろうとオレは思う。大阪城を作ったり、関白になったり、最初から計算してなったわけではないと思う。それこそ、「今」を精一杯生きてきたから、あれだけの成功をしたんであって、***になる、なりたいから努力したわけではあるまい。
このことは、***になりたいから大学に行く、大学院に行くという思考法とも違う。最初から計算して、その方程式を解いて、正解を得たから行動をするというのとも違うとオレは思っている。
「今」を大切にするということは、そういうことなのではないのか。もっとも、学校に行くというのは、資格取得のためならば、それはそれで仕方ない部分もあるから、一概には言えないと思ってはいるけれども。そこまで否定する気持ちはない。医者になりたいから医学部に行くんであって、まずは医学部に入らなくちゃ、なれるものもなれない。それくらいのことは、いくらオレがあふぉ~でもわかる。
勝ち負けだけで人生を生きていると、そもそも前提がおかしかったのではないかと気がつくことがある。
受験勉強だってそうだ。勝ち負けだけの世界である。今ならオレは云える。そもそも、それだけではなかった筈である。勝った人にはそれなりの人生があり、負けた人だってそれなりの人生がある。
オレは全ての面で、連戦連敗だった。オレの人生なんてこんなもんだろうなと思って生きてきた。努力だけはしたけれども、計算通りにはまったく行かなかった。本当に一介の田舎教師で終わってしまった。だから慚愧の思いで老いさらばえているのではない。敗者には敗者なりの、楽しい人生が用意されていたからである。
孫に恵まれ、九十九里海岸で隠遁の生活を送らせていただいている。配偶者としばしば旅行をさせていただいて、全国各地を放浪している。
熾烈な人生競争で健康を損ねるというようなことも無かった。今も、すこぶる健康である。それに元々頭脳が優秀ではなかったから、能力が衰えるということもない。つまり、元々最低ランクからスタートしているのだから、アトは落ちようがないのである。これからは、上昇する一方なのである。「上昇じじい」である。だって、スタートがドン底だったんであるから。こういう人生を生きているじじいがいても良いのである。じじいたちの希望の星である。なんとでも云い給え。オレはオレ。好き勝手に生きるんだから。わはははははである。
オレの周囲にたくさんいる学校秀才さんたちとは、そこが違っているのである。
落ちようがないのだ。
だから巷間流行している「倍返し」なんて考えたこともない。あの半沢・・なんとかいう番組は、狭い自分のテリトリーであがいているだけの人間をいかにみっともなく描くかというものにしか見えないからだ。
もう、社会的には葬られてしまった人間である。オレは。何を云っても、なんの意味もない。
せめて、7年後の東京オリンピックを楽しみに生きてまいりますよん。
そのアトも、しぶとくね。
(^0^)/ウフフ
じゃぁ、これから学校に行ってきま~す。
さよなら、元気でね。
記者は、いや報道は記事を売る商売なのだから、売れる記事でないと辛い。また、売りやすいパッケージが可能でないと辛い。例えば「震災前の原発」を思い出してみると、それを「ネタ」に恒常的に記事が書けたかは疑問だ。それでは科コミュにならない。
では現実にはそれは誰が担っていたのだろう?と考えると、おそらくそれは、「地元議員」だろう。原発立地地域の人の感情や利害全部耳に入れて聞いて、落とし所を作ってたに違いないから。ただし、「落とし所」は極めてお粗末な有様だったことは今や明らかである
天才というと、オレのクラスメイトたちも語学の天才がおられて、いちいちオレはたまげているんですよん。英語もすげぇし、母国語もすげぇ、日本語もすげぇ... blog.goo.ne.jp/tym943/e/505f4…
ガラパゴス・ケータイに着信
午前中は、居住地の大図書館にいたのです。
相変わらず、暇なもんだから、駄文書きをしておりました。万葉集の巻16を参考にしておりました。ここには、折口信夫が言ったようなホカヒビトのことが書いてあるからです。おっと、これ以上は書けませんが、なかなか書きたいことが山ほどあって、追いつかないのです。
次から次へと、憑かれたように文章がアタマの中に浮かんできてくるのですからしょうもないじーさまですよ。それをため込んでいたら、健康に良くない。
基地外になっちまいますから。
さらに、オレ如きと遊んでくれる類人猿もいないし、(今年、石垣島に一人いたっけ・・身長40センチの)ゴルフに至っては全く門外漢。最近では、飲酒も家呑みばかりで、外で呑む機会もない。カラオケもまったくやらなくなっちまったし。
?
さみしいだろうって、聞いているんですか?
わははははは。
そんなことはないっすねぇ。まったく、寂しくないです。くたびれてきたら、大学に行って読書していればいいんだし。たまには、つまらんじじいの会話につきあってくださる方もいるし、ありがたいことでございます。こんないい大学はないっすねぇ。むろん若い方々がたくさんおられるけど、オレのようなじじいにも門戸を開いてくださっている。
もっとも、最近は国立千葉大学でもリタイヤした高齢者を受け入れてくださっているようですし、全国的にも生涯学習をするきっかけは増えているようです。一時期、在籍させていただいた放送大学にも大学院博士後期課程ができたようですし。これからは、オレのような高齢者でも学べる環境がドンドン増えていくんでしょうなぁ。
良いことであります。
実にけっこうなことであります。
なんにもしないで、配偶者とにらめっこして、どっちかが笑ったら負けだ!なんてやっていたら、オレはゼッタイに勝てない。オレはダメ。すぐ負けちゃう。そもそも、マンガみたいなカオをしているからねぇ。
居住地の大図書館にいたら、今日は、滅多にかかってこないケータイ(ガラパゴス・じーさま用)に、同年の古い友人から電話がかかってきて、面倒だからきっちまえと思ったのです。基本的に、男性からのケータイは着信拒否。もっともじょせーからもかかってこないけど。
そしたら、丁寧にも留守電まで使っていやがるのです。すぐ電話くれとの仰せ。仕方がないから、図書館を出て、駐車場から電話を。ナント、今から図書館に来るというのです。来なくてもいいと云ったのですが。
来週の土曜に酒宴をやるので、その座席表をいかに作るかという大問題でありました。オレはもう前職とはまったく関係ないので、関心無かったのですが、彼は再任用をしているからそうもいかない。
座席表をソッコーで作ってあげて、彼は1時間でまたどっかへ。あ、その酒宴でオレ、卓話をするんでした。他人事ではなかったですな。もっとも、資料は出来ておりますけど。一人、15枚ほど。2種類あって、一つ目は学術書の抜き書き。もう一つは、全部漢文。三種類。それに、オレの訓読をつけてあります。聞いている方で、専門家がおられる筈だから、オレの間違いを指摘していただいたら、こんな仕合わせなことはないからです。
笑ったのは、座席表を作っていて、どうしても人数があわない。何度やってもあわない。くだんの彼が、「おいおい、おめぇさんを人数に入れているか?」「あ、しまった・・」
これじゃあ、いつまでたっても、人数があわないっすねぇ。
そもそも、数学が大嫌いでしてねぇ。
あははははは。
神の数式とかいうNHKで2回連続でやっていた(今週)番組を録画してあったので、14:40視聴完了しました。が、理解不能。凄い世界を生きているものですなぁ。よくまぁ、あれだけの番組をNHKという国営放送が放映したもんですよ。
書いてある数式の意味がまったくわかりませんでした。あれを一回見ただけで全部分かるっちゅうヒトは、オレの知人でも5人くらいしかいないですな。ほら、そこのあなた、あっちのあーたです。
世の中には天才という方がおられるもんです。
天才というと、オレのクラスメイトたちも語学の天才がおられて、いちいちオレはたまげているんです。英語もすげぇし、母国語もすげぇ、日本語もすげぇって方。そういうヒトに、そのヒトの母国語を教わったら、バカにされるだろうなぁ。
こんなのも出来ないのか!って。
ああああああああああ、オレはそれが怖いから、教えてたもれって云えないんだけど。すがりついたら教えてくださるかもしれないけど、嫌われてしまいますなぁ。100%足蹴にされるっちゅうもんだ。諦めが肝心です。
こんなバカに教えている暇はにゃぁーい、ってね。
わはははははははは。
(>_<)ゞ
哀しいよ。相変わらず、誰にも相手にされてないからなぁ。
さしあたり何を研究の対象にしようと、哲学にとって本質的なことは、対象に向かって純粋に観察的に対処し、これを探究することであって、なにかの行為を指図したりすることではない。
A「城の崎にて」とB「オツベルと象」とは対照的な作品だ。「語り口」は、Aが回想風で聞き手は自分、Bが童話風で聞き手は子どもだ。伝える朗読ではAの表現はできない。Bも文章の読み上げずに作中の聞き手に語るのがむずかしい。また現実の聞き手が録音で聴くか対面で聴くかによる表現の差がある。
ちょっとばかりいい暮らしをするために、命も魂も売り渡しちまったやつらを見てみろよ!俺は嫌だな、そんなやり方は。たとえ一杯のコーヒー代に事欠くことがあっても―ジジはやっぱりジジのままでいたいよ! 『モモ』
8:08 おはようございます。よいお天気ですね。昨日のボランティアでやっているちびっ子柔道教室で、痛めていた右足が心配でしたが、おかげさまでなんともなかったです。安心しました。柔道着も久しぶりで着ました。
やはり、わたくしの根底に流れるのは、柔道です。そんなことはねぇだろうと反論されそうですが、間違いないでしょう。わたくしがそう思っているだけですけどo(^-^)。
まさに、まさに、オレだなぁ・・・・・
楽しい老人を地で行ってるよん。
わははははは
矢部武の「孤独死」から「自立死」へ Vol.20
60歳からの人生の再設計~楽しい老人になるために... fb.me/Kt9M2MGw
30代で容姿が普通以下でも高収入の人と結婚出来ますか? #oshietewatcher blog.goo.ne.jp/oshiete_watche… @oshiete_gooさんから
NHKの「神の数式」、数式だけで宇宙の起源に挑む、ってミスリーディングの気がするなあ。自分は修士までしか物理をやってないけど、自分が見た限りは、理論物理の研究者は実験系の研究者と意外なほど、密接にコラボレーションしていた。素粒子物理とかは違うのかなあ。
産業界や官庁で開発や政策の実体験を積んだ人が大学で教えるようになり、大学教員はリアルな研究のニーズを探るために現場の近くで実践的な活動(営業)をすることが必要になっている。もう、大学の内と外の間の壁を低くして、人材が頻繁に交流すべき時期に来ていると思う。
『都道府県別の大学進学率』 amba.to/18j1wSp「男女の差が大きい県とそうでない県があることで、 イマドキ男尊女卑なんて、と思いますが 明確に数字となって現れているのを見ると 驚きます。」
人間は伝承の森である
宮本常一せんせの言われた珠玉のような箴言である。「人間は伝承の森」である。まさに、まさに然りである。愚生と一緒で、名も無き庶民の智慧を求めての調査探究の生涯であられたと思う...
[カラオケはなんのために]
なぜカラオケをやるのか、ということを考えたことがある。
みんながみんな好きだとは思わないが、カラオケは要するに祭りだからである。酒宴と共にあるし、ワイワイと騒いでいるようで実は絶好の人間観察の場面でもある。違いますか?そこのあなた様(‘-‘*)。
古来、酒宴はカミへの捧げものであり、だからそれを祝うわけである。言祝ぐという言葉があるくらいである。だから、愚生のように酒が呑めない、呑みたくないというような輩には辛いことなのであった。(ホントか?)
今でも、組織内のあらゆる言祝ぐ行事に参加しないという方はおられる。いや、だんだん増えているような気がする。つまり拒絶である。
そのことを良いとか悪いとか云っているのではない。酒飲みや宴会についての不興というのは、TwitterやFacebookとかで検索してみると、いっぱい出てくる。人生諸相、さまざまである。
上司の悪口を云う会とか、仲間をこき下ろして溜飲を下げるとか、本来の目的をお忘れではありませんかと云いたいのである。
宴会は、そもそもカミへの感謝の行事であったはずである。それを、くだらない人間世界のレヴェルまで引き下げて、バカバカしいことをやっていたら、申し訳無いとオレは思うのだ。ま、オレだけがそう思っているだけだけど。
Twitterで、大学の先生と呑んでいると、素人の聞き手がまったくわからないのに、蕩々と自説を展開されて、こっちがわからないというそぶりを見せると、たちまちのうちに軽蔑をされ、罵倒されるという書き込みがあった。笑った。久しぶりにおおいに笑ってしまった。
現役時代に同じような経験をさせていただいたからである。オレなんかよりずっと若い方が、***の本・・・・の本等々を読みましたか?と云ったのである。全部ビジネス書だったのは笑ってしまったが。東京にあるチョー有名大学を出ておられるのだから、知性万端オレなんかよりカミのように優れていることはわかり切っている。
オレはその時点で読んでいなかったから、素直に、まだ読んでおりませんと申しあげた。当たり前である。読んでいないのに、読んだふりはできない。オレはそういうウソはつかないことにしているから。
されどその若手インテリは、オレをかなり罵倒したのである。普段でもオレはトラブルを起こさない、避けるための智慧だけはあるから、上手にさばいたつもりであった。が、執拗に迫ってくる。
呆れた。
こういう輩は相手にしないことが一番である。自分がカミになってしまっているのだ。なんでもかんでも自分が基準。
ま、オレはおいしく少量の酒を呑んでいればいいから、ニコニコ笑いながら、それこそカミに感謝しながら座っていた。
しばらくして、と~ま君、キミの愛読書は何かね?ときた。特にありませんねぇと目線を遠くにやってお答えした。すると、持っている全集は何かね?とも云われたので、お答えした。多少なら茅屋にあるので。
ここからが面白かった。くだんのエリートさんは、オレの持っている全集本を書いた作家を読んでいなかったのである。あまりにかわいそうだから、オレの方から突っ込むことはしなかった。理解の程度がもうばれていたからである。あっちの方の理解が。
オレもいい加減だが、彼氏もかなりなものである。
そもそも、宴会は、カミに感謝するはずのものである。おいしく呑んでおればいいだけのことだ。酔ったら、家に帰ることである。クルマは運転しちゃなりませんぞ。マジに。これだけは守って欲しいですな。
(^-^)/
さようなら。
まさに、まさに、オレだなぁ・・・・・
楽しい老人を地で行ってるよん。
わははははは
矢部武の「孤独死」から「自立死」へ Vol.20
60歳からの人生の再設計~楽しい老人になるために fb.me/ZZVPTaTS
元商社マンの人生再設計~塾の英語講師デビュー:Good Doctor NET fb.me/2ojQjOk1P
宮本常一が地を這い、みつめた民衆の暮らし 『飢餓からの脱出』 WEDGE Infinity(ウェッジ) bit.ly/18C11lD
「定年になる何年か前から、どういう最終章を描こうかを考えた方がよい。退職してからでは遅すぎるのです。自分が何をしたいのかをよく考え、それについて詳しい人に話を聞いてみるのもよい。そのためには会社以外の人とのつながりをつくることも... fb.me/2sLcUIHXk
こうして自分が本当にやりたいことがわかれば、退職後に何もすることがないと退屈したり、奥さんに邪魔者扱いされたりすることもないだろう。会社人間的な生き方を変えるには時間がかかるので、退職する何年か前から準備しなければならないという... fb.me/2xft9HSvG
愚生は、職業的に聞き役に徹してきた。それがオノレの適性にもかなうと思ってきた。正しかったと思っている。年若い生徒諸君に、どったけオノレの能力や人... blog.goo.ne.jp/tym943/e/ee488…
大野湊神社(金沢市、出雲式狛犬のあった神社です。)
御祭神 護国八幡大神、天照皇大御神、猿田彦大神(佐那武大神)
社格:旧県社 延喜式内社 神社本庁別表神社
大野湊神社さんfacebookもあります。... fb.me/2J9n9COQX
信じて浸礼を受ける者は救われるであろう、信じない者は断罪されるであろう。-マルコによる福音書-16章16節
汝の信が汝を救った。安らかに歩んで行きなさい。-ルカによる福音書-7章50節
信仰は我を至福にしない、特に我に対する信仰は。-ツァラトゥストラ-
心を込めて看病してきた人を亡くし、もっと何かしてあげればよかったと悲しみ悔んでも、亡くなった方は喜びません。メソメソしているあなたを見てハラハラしていることでしょう。早く元気を取り戻して下さい。
どこかへ行くには、魅力的な目標が必要なのです。出発するには、行き先のイメージが必要なのです。私は自分の作品の中で―不十分かも知れませんが―、人間にとって価値と思えるもの、指針として望むことのできるものについて、イメージを展開しようとしています。 『芸術と政治をめぐる対話』
王の寝御の間 王の正式な盛儀寝台とその部屋です。寝る為だけでなく、宮廷の中枢としても存在してたそうですよ。 pic.twitter.com/0F7eqSlf86
おはようございます。今日から三日間神鍋高原で合宿です。総員70名余。バス二台を連ねてただいま高速道路疾走中です。快晴の三連休初日ですから観光バス多いです。みなさん、怪我のないように、風邪引かないように、深酒しないように、夜更かししないように。ばばんばばんばんばん。
今日は宮澤賢治の命日で、花巻では賢治祭が行われている。生前その作品や活動は一部の熱心な友人の他にはほとんど共感や賛同を得られなかったようだが、今多くの人がその世界観に影響を受けている。その一方で賢治の生きていた頃の東北の風景には、今は失われたものも多いのだろう。
こころの時代~宗教・人生~「“源氏物語”と歩む」 www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2013-…
源氏物語研究の第一人者、秋山虔先生がご出演されるそうです。
9月22日(日)Eテレにて午前5時00分~午前6時00分放送。
去年の記事 神谷美恵子さんのこと blog.goo.ne.jp/tym943/e/aa3cf…
Facebookのお友達が65になっている。考えてみたら、**観光協会さんとか、***道の駅さんとかの組織票も随分はいっているのでした。実質、10人程度のお付き合いだし。美男美女と、善男善女だけの。感謝です。
遺伝子的に優秀なモノだけを結婚させよと、かのソクラテス先生が言われたのだが、それってオレのような恋を語ったこともないっていうのは絶望せよってことなの?
美人が結婚遅れるのは、わかるような気がするなぁ。遺伝子的に優秀で、美女だから。プライドが高すぎるんだよ。それとも、男性から美しいって言われ過ぎて、なんだかわかんなくなっているのかね?
18:32 スポーツジムから帰ってきたけど、今日はお二人のガッコのセンセにご挨拶をいただいた。最初だれだかわかんなくて、困った。だって、もう現場から放り出されているから。
どこでどんなヒトがオレを知っているか、これじゃぁわかったもんじゃないっすね。おちおち歩いてもいられない。ましてや、デートなんかできねぇできねぇ。相手もいねぇ。わはははは!
だから、FBのお友達も増えないのだなぁ。組織票だけ増えているけど。石垣島のホテルさんとか、周防大島のリゾートホテルとか。情報収集には、かなりいいからねぇ。
今日から、柔道教室に行く。ボランティアの。やっと再開できる。足をちょっと痛めていたので。オレらしく、寝技だけやって帰ってきますが。復帰にむけてのトレーニングでござる。
教員と飲みに行くとこうなるケースが多いのです。→“特に興味が無い話を延々と聞かされて、「はー、そうですねぇ」みたいな相槌を打ちながら時間が過ぎるのを待ち”「「職場の飲み会で親睦が深まる」という幻想」dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2013/09/…
これなかなかの話じゃなぁ。まじめにそう思います。(^-^)/
日経BP社もおもしろい企画を持っておるんですねぇ。 fb.me/1vw7G4Axb
神谷美恵子流「老年」について
神谷美恵子「こころの旅」(日本評論社)を古本チェーン店から、昨夜買い戻した。塾の帰りに立ち寄ったのである。何度もこの著者の本は捨てては買い、また買い戻しては読みを繰り返してきた。...